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【マルチ投稿】アステリアの鎖_第四十六話【有現】

 一方。首だけとなったファウストは、なんとか自分にできることを模索していた。
 殺された使い魔――アルことアルファがいてくれたら、精神異常を鎮静化させる魔法の紅瞳で、この出来の悪い脳みそを円滑に動かしてくれたのだろう。が、もはやそれは叶わない。

 躊躇う時間も惜しく、命を捨てる覚悟で挑まなければ、このまま運よく生き永らえたとしても、ずっと引きずることが分かりきっている。

 だからどうか。

「ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロン、ゼータ、イータ、シータ、イオタ、カッパ、ラムダ、ミュー、ニュー、クサイ、オミクロン、パイ、ロー、シグマ、タウ、ユプシロン、ファイ、カイ、プサイ、そして――オメガ!」

 ファウストはビーストテイマーとして契約していた、魔法動物たちを全部出した。普段は彼らの相性を考えて、複数体出すことを良しとしていなかったのだが、そんな悠長なことは言っていられない。

 この魔法生物たちは、アルと同様に魔菌糸を仕込まれてはいるが、脳まで魔菌糸を寄生していない状態だった。それは、彼らを信頼しているからだ。
 だが、自分は今、苦楽を共にしてきた使い魔たちを潰そうとしている。

「――すまない、次は地獄出会おう!」

――!

 使い魔たちは、自分たちの身になにが起こっているのか、分からないのが幸いだ。
 体内に仕込んだ魔菌糸によって血肉が裂けて、骨が飛び出し、断末魔の叫びをあげて果てていく。

「すまない、すまない」

 ファウストは詫びの言葉を繰り返すが、その一方で冷静に魔菌糸を操って、魔法生物たちの死体を、新たな自分の器にするために改造する。
 蠢く肌色の魔菌糸を首の根っこに取りつけて、ごろごろと首を転がしながら、使い魔たちの残骸を練り込んで、どろどろのたうつ肉色の海にファウストは飛び込んだ。

――上位世界へのアクセスを。

 黄金に輝く翠色の瞳が、なだれ込む肉塊を凝視し、意識が闇の彼方へと飲まれていく感覚。ファウストとしての形を捨てて、自分に課した任務を遂行するための生体端末へとみずからを改造し、魔菌糸で神経を拡張させて、ポーションであらゆる神経系統を継ぎ接ぎさせる。
 ぶくり、ぶくりと盛り上がったり凹んだりを繰り返す肉の塊に、ファウストの意識が滑り込んで行き、意識の背後に広がっていく暗闇が、季節を跨ぐときの嵐海のようにあらぶって、突き上げるようにファウストの意識を上位世界へ押し上げた。

――っぅ、ゴボッ。

 視界いっぱいに広がる黄金の広がり。狭いチューブの中に意識が放り込まれ、勢いよく流されていくような息苦しさに、ファウストの意識が悶絶する。
 この世界は、脳の負荷を軽減するためにファウストの認識に合わせていると、ゼロは言っていた。
 つまりこの状態は、上位世界に突入するファウストの脳を壊さないために、認知が歪められている結果であるのだろう。

――やはり、ゼロの【傀儡神アリアドネの糸】のアシストがないと、自分では無理なのか。

 今の自分は、端末化させたために脳は健在だが、五体はおろか口や眼や耳は完全に破壊されている。だが、失っているにもかかわらず、ファウストの五感は通常通りの苦痛を訴えて、生命の危機を知らせているのだ。

――ぐっ。

 失ったはずの口から酸素が零れ、鼻から水が入り込み、閉じることが出来ない目に映るのは、狭い黄金の空間と水に気泡。凄まじい水流の中でもみくちゃにされて、耳の奥がキンキンと音を立てながら、全身を圧迫される。

 このままでは、このままでは。

『おい、こんな所で、諦めんじゃねぇ!』

 ファウストの心がくじけそうになった時、乱暴に鼓膜を殴りつける声が聞こえた。
 だが、それは、そんなこと。

「警視総監殿……っ!」

 自分の直属の上司であるーー魔導王国オルテュギアー 王立警察 警視総監 プルートス・オケアノス。

 試練の間に踏み込んだと同時に、首を飛ばされて、命を落としたはずのプルートスの声が、なぜいま聞こえるのだろうか。こんな状況でも浮上する疑心に、すぐ近くで苦笑する気配があった。

『金髪のねーちゃんが、結果的にオレを叩き起こしてくれたんだ。どうやら、まだオレの出番が残っていたらしい。……そら、手を取れ』
「…………っ!」

 その手は見えない。なのに、ファウストの五感ではなく魂が、自分の前方に差し伸べられた大きな手の存在を捉えて、ファウストに中に光が弾ける。

――見える。えるぞ。

 上司が気に入っていた仕立ての良いスーツの袖と、見慣れて憧れた大きな手。差し出された手に摑もうと、必死に伸ばした意識が、見えない何かに触れて、その手がぐっと握られた。

――っ。

 強い力で引き上げられる。意識全体が浮上して、失ったはずの身体が輪郭を得ていくのを感じた。引き上げられたと思った瞬間に、自分を苦しめていた黄金の空間も水流も無くなり、清流が流れる河原にファウストはいた。

「おう! しばらく見ねえうちに、ずいぶんと男前になったな」
「警視総監殿……っ!」

 プルートスがいる。
 もう二度と会えないと思っていた上司が、水の王が、相変わらずの不遜の態度で腕を組んでいる。

「警視総監殿が死んで、まだ数時間しか経過しておりません。しばらくという表現は不適切です!」

 悲しくて嬉しくて声が震えた。自分の身体が五体満足なのも、ずぶ濡れではなく、プルートスと同じブランドの、いつもファウストが愛用しているスーツ姿であるのも、プルートスの存在が認知の軸となって、ファウストを形作ってくれたのだろう。

 まるで、元通りの、いつもの日常そのものだ。と、ファウストの翠色の瞳が潤んだ。
 もしかしたら、いままで自分たちは悪い夢を見ていたんじゃないか。……そんな甘い夢に浸ろうとすると、上司の青灰色の瞳から冷たい視線が放射される。

「オイ! 捜査を続行するぞ。オレたちは決着をつけにゃいかん!」
「はい! はいっ! そうです! その通りです!」

 嬉しい。とにかく嬉しくて、声が上ずって震える。
 プルートスの野太くて腹に響く声に、体の内側から火がついて、熱が全身に行き渡り力がみなぎっていく。
 今の自分なら、どんな運命でも打ち勝てそうな気がして、ファウストは笑みを浮かべた。

「いくぞ、この先に面白いものがある」
「は、はい」

 プルートスが顎でしゃくって、上流へとファウストを促す。
 サードの力を介していない上位世界は、情報体の膨大な文字が飛び交っている神秘的な空間ではなく、霧が立ち込める山中であり、歩いている河原の石の感触が、靴の底で存在感を放っていた。ハッカの涼し気な匂いと、蒸れて濁った川の匂いが混ざり合って、遠くから鳥たちの歌が聞こえてくる。
 今まで自分たちが身を置いていた、血と魔法と理不尽な因縁とは程遠い景色。水面の上を勢いよく飛んでいるのはコイオスカワセミであり、川の中流まで移動すれば、ホースマガモとマンダーオオバンが上流を目指しながら優雅に泳いでいた。

 やがて視界から川の先が見えなくなり、大量の水が落ちる音が聞こえてくる。
 どうやらここから先は、滝になっているらしい。

 警視総監殿が目指しているのは、滝の辺りだろうか。

 歩を進めるごとに、滝に近づくごとに川の色が赤茶色に濁っていく。自分たちが近づくごとに、周囲の木々が枯れ始め、鳥も魚も見当たらず、鼻腔をくすぐる生臭さに、バニラのような甘い匂いが混じり始めてきた。

「う”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”……」

 滝の音に紛れて、苦痛の呻きが聞こえてくる。
 バニラの匂いに紛れて、林檎の匂いも紛れ込んで、この先に待ち受けているプルートスの『面白いもの』がなんなのか、想像を巡らせば巡らせるほど、腹が見えない拳で圧迫されるような緊張を覚えた。
 全身に汗が噴き出して、恐怖に膝が笑い出しそうになった。

「ここでは、お前さんのマナマイは使えん。だが、本能で分かるだろう?」
「えぇ」

 平然を装っているが、プルートスの野太い声にも微かな揺らぎが感じられた。自分だけが恐怖を感じているわけではないことに、ファウストは安堵するとともに改めて視線を前方へと見据えると、滝面のあたりで人影が見えた。服を着ておらず、滝口近くに立つその人物は、遠目でも二メートルを超えた体格。巨人族・もしくは半巨人であることは間違いないだろう。

 その人影が、ゆらりとよろめいたと思った瞬間、ふっとその姿が消えた。
 滝に落ちたのだ。

「見たよな? お前の目にはどう映っている」
「はい。体格から種族は、巨人、もしくは半巨人の可能性ありますが」

 ここは現実世界ではなく、この世界の情報が集約されている上位世界なのだ。この現象は、なにかの暗喩である可能性がある。

「どうやら、俺等が刑事だったせいで、事件が起こっているように、脳内が処理されているんだろうよ」

 ふぅっとため息をつくプルートスは、眼を半眼にして、小走りに滝口へと近づき始めた。
――すると。

「え」

 ファウストは呆気にとられる。
 自分がなにを観ているのか、理解が遅れてしまった。

 濁った川の行く先、滝口に再び人影が現れたのだ。
 ただ先ほどの人物とは違う、女性を思わせる華奢な肉体、全身には痛ましい無数の痣、吹けば飛びばその場から消えそうな危うい後姿。
 なのに、本能的な部分が『目前の人物も、先ほど滝から落ちた人物と同一』であると告げているのだ。
 案の定、正体不明の人物は、滝の水流に抗えず体勢を崩して静かに消える。おそらく、そのまま滝底へ吸い込まれていくのだろうが。

 また間をおいて、再び同じ場所に人影が現れる。
 青い肌にコウモリの羽根が生え、性別が分からない中背中肉の後姿だ。
 また落ちるのだろうと思ったら、普通に落ちた。
 この姿も、自分の認識が先ほど見えていた、痣だらけの人物であると告げている。

「これは一体」
「本当に面白いのはその先さ、転ばないように気を付けるなよ」

 プルートスの面白がる言葉に、ファウストは首を傾げる。
 滝口に到着して、ぎりぎりの距離で現れた人影を観察すると、次は犬の頭を持つ半人半獣の戦士。おそらくウェアウルフ種・もしくはライカンスロープ種が姿を現せた。

 正体を見定めてもらう。

 ファウストは川に入って滝口ぎりぎりでふんばり、現れる人物を正面を見据えることで、ようやく性別と表情を確認することが出来た。
 恐怖に満ちた表情の男性であり、近づいてきているファウストの存在に気づくことなく、まるであらかじめ決められた行動をなぞるようにして、滝をへ身を投じる。

「許して、許してくれ」

 派手に飛ぶ水飛沫に紛れて、犬頭男の呟きが聞こえてきた。

「!」

 その誰かに許しを請う声は、切実さと、この先に待ち受ける『運命から逃げたい』という浅ましさがにじみ出ており、家畜のあげる悲鳴よりも醜く響いた。

「…………」

 ファウストは顔をしかめつつも観察を辞めない。
 滝に落ちた獣人の男は、途中で落下の軌道が大きく逸れて、滝つぼ付近にある大きな岩に胴体が叩きつけられた。
 血が噴き出し、周囲に肉片と臓器をぶちまけて、四肢があり得ない方向に捻じ曲げられている。

――どう見ても、死んでいる。
 生き返ることなんてありえないのに。

「!」

 次に起こることが分かっているのに、ファウストの瞳が驚愕で見開かれた。
 隣に気配を感じると、次に現れたのが金髪の女性であり、人形めいた美貌にはうっすらとした笑みが浮かんでいる。

 下の遺体は完全に消えていた。
 まるで時間が巻き戻ったかのように、流れた血も肉片もきれいさっぱり消え去って、代わりに現れたのが金髪の美女。そして案の定、滝から落ちたのだが、先ほどの獣人と同じではなく、落下の途中で不自然に軌道が変わり、河原付近の大岩に腹を打ち付けて動かなくなる。

「…………」

 ファウストは見ていて気分が悪くなってきた。
 自分の隣に再び人影が現れて、思わずその人物の腕を掴んでしまう。

「やめるんだ!」

 次に現れたのは、長く黒いくせ毛をなびかせた子供だった。
 得体の知れない存在だというのに、ファウストの倫理観が理性を拒んだ。この先に待っている惨劇を止めようと、その腕を掴んでこちらに振り向かせようとすると……。

「――っ」

――どくんっと、心臓が大きく脈打つ。

 触れた瞬間に、ファウストの頭を数多あまたの光景が駆け巡り、あまりの情報量の多さに、掴んだ手が離れて、子供が滑り落ちるように滝つぼへ落下していく。

「コイツの正体がわかったろ」
「えぇ、自分たちの目の前で、無限の死を繰り返している存在」

――それは、世界が擬人化された姿だった。

「つまり、俺達が遭遇したのは殺人事件ならぬ、殺世界事件さつせかいじけんだったわけさ」

 この世界デーロスにおいて、人類と人類の混血が半数を占めるため、人を使った表現が多い。
 とはいえ。

「もうちょっと、語呂ごろがよくなりませんかね?」

【つづく】

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