【マルチ投稿】アステリアの鎖_第三十二話【理葬】
『父様……っ!』
――レオナ、すまない。
『父様、行かないで。レオナも連れて行って! ここはイヤッ! 独りにしないで!!!』
――無念の声と一緒に、ぶちりと太い紐が切れる音がした。
自分の中に流れ込んでいたガイウスの思念が霧散し、忌まわしくも恐ろしい種神の気配が消える。
過去への門が閉じられて、ティアの潰れた耳に流れ込むのは痛みでもがくアステリアの声だけだ。
ガイウス殿。
さぞ無念だっただろう。彼は結局、レオナールの死の真相を知ることなく、アポロニウスやアステリアに都合よく利用されたのだ。
許さない。
こんなことって、ないっ!
激情が全身を駆けめぐり、冷静な判断が吹っ飛んだ。
肉塊と共に自分の中に潜り込んだ蛇たちが、もぞもぞとティアの心情にあわせて蠢動し、肉塊に根付きはじめた魔菌糸たちが活動に活発するのが分かった。この肉塊はもともとファウストの細胞から作られた魔導生命体なのだ。結合し、増殖し、ファウストの【魔力菌糸体】に近いネットワークを彼女の体内に構築しようとしている。
もっとだ。
もっと! もっと!
――もっと!
強い呼応にあわせて魔菌糸が増殖する。まるで芋虫のように太く、長く成長し、やがてそれは肉塊からあふれ出して、大理石の床一面に広がりながら、巨大なアメーバ状に膨れ上がっていった。
ティア自身は気づいていない。自分の中に渦巻く魔力の膨大さに、アステリアと繋がったことで手に入れた、種神の悪趣味なプレゼントが末姫の中でおぞましい花を咲かせている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ぐじゅぐじゅと音を立てながら、ティアは感情のままに自身を肥大化させた。肉塊のスライムと化して、原型をとどめていない体がグロテスクな悪夢を広げて試練の間に広がった。巨大蜘蛛の死骸と殺された使い魔のアルを吸収し、大切な身内と人形を我が身に保護し、濁流の如き進撃で、倒れたままのアステリアに襲い掛かる。
だが。
「――ムダだよ。君程度のレベルでは、私は殺せない」
短い言葉からあふれ出る万能感には、氷のような冷たいモノが潜んでいた。ゆっくりと起き上がり、剣を振るうように右手を水平になぐと、彼女に襲い掛かろうとしていた肉塊の触手があっけなくちぎれた。
「種神は私に、この世界の心理と真相を教えてくれたよ。そして、この私と君、そしてこのガイウスの三名は運命の輪に閉じこめられてしまった。当然あるはずだった並行宇宙が今の時点ですべて破壊されて、破壊された分の圧倒的な熱量が、この時間軸の混在しつつも、絶妙なバランスを取りながら収束しつつある。これは、うん。ピンチかもしれないし、チャンスなのかもしれない」
アステリアは化け物相手に動揺していなかった。むしろ、彼女はこの事態を歓迎しているようにも見えた。
「あぁ、すごい、すごいよ。まるで夢をみているようだ」
熱烈な言葉とは裏腹に、魔導姫の表情は冷めている。
「なんて茶番だ。私が過去を覗こうとした行為が、本来あるはずだった複数の世界線を一つに収束させてしまった。未来は過去となり、過去は未来となって、今いる現在が、はたして現在であるかもわからない。そうだ、そうさ。これこそ、望んでいた夢の展開であるはずなのに、すべてが望み通りに運ぶはずであるのに、種神の手のひらで踊らされていたという茶番が、こんなにも動揺を誘うなんて、君みたいに狂えたらどんなに良かっただろう。この世界の定義すら、もはやあやふやとなっている。なにせ、私が過去を覗き、種神が私達をみつける。そのためだけに、この世界と運命は回っていたわけだ。強制力が無くなった今、このデーロスは解放されたといってもいいっ!」
興奮気味のアステリアだったが、やがて落ち着きを取り戻すと、肥大化しグロテスクな肉塊となったティアに対して手をかざす。無駄な肉がないしなやかな腕に青い電流がバチバチと走り、試練の間にある赤い石柱が反応した。
「生命の樹とは真逆の、賢者の石の成り損ない。搾り取られた命は下の階にある魔法陣を経由して、本来の継承者に注がれる。そして、継承者の肉体を経由して溢れた生命力・マナ、すべては魔王に取り込まれた勇者へと、魔王の意思と永遠に戦い続ける、勇者アレンの寿命を延ばすために……あぁっ、アレイシアっ! 私は間違っていたのか!」
アステリアは重要なことを淡々と語り、言外に絶望を物語る。
「やりなおさなければ、この汚点を! この時点で、過去の干渉が可能だと証明された。ならば、私にだって出来るはずさ! すべてを無かったことに!」
魔導姫の叫びが響き、過去を歪ませる虹色の揺らぎが展開される。
――だめ!
触媒のガイウスが死んだとはいえ、増幅装置としてのつながりが、ティアの意識を過去へつなげようとしていた。
――だめ! ヤメテ!
アステリアは自棄になっている。
そして、自分の手ですべての幕を下ろすつもりなのだ。
ティアは必死にアステリアの魔手から逃れようとした。
さらに自分の中で保護している、母や友人たちを守ろうと取り込んだ死骸を盾に、魔力の干渉を防ごうとするという二重の攻防でもあった。
このままでは埒が明かず、不毛な根競べが続く。
――ならば。
【ゲリール……】
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『いいえ、ちがいますよ。自分の血には、妖植族と鬼菌糸種の血が入っています。肉体の中で薬草を作ったり、肉体が損傷したら魔力と菌糸で疑似的な部品を作り、損傷した部分を治療することもできるのです。この技術を応用して、姫様の父君であるイーダス様は、新たな検死方法と治療法を王立警察と医療院に提供いたしました』
『……それは、損傷の激しかったレオナ姉さんの死体を復元することも含まれているのですか?』
『そうです』
これは一か八かの賭けだった。
アステリアはティアの月の女神の手に干渉し、ノルンの三翼を強化している。
繋がりの元を断ち、増幅装置の機能を無効にすれば、魔導姫の過去への干渉は阻止されるはずだ。
【ゲリール・アミッツ】
ティアは自分の中に潜む、魔菌糸と魔導生物たちに呼びかけて、自分自身を治し始め――。
「ぐっあっ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
おぞましい肉塊から元の自分に姿を戻す。
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暗黒種の血を信じ、ファウストのもたらした情報と父の叡智を信じて、彼女は自分自身を定義し、身を引きちぎられる激痛に耐えた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
苦痛で、激情で、虚勢で、ティアは叫んだ。
やがてカーリアとカーラを肉塊から解放させて、人の形にまとまりつつも不定形に形が定まらず、虹色の揺らぎが肉塊を包もうとしている。
「あぁ」
この時、アステリアは目をつぶって涙を流した。
沈痛気味に顔を歪めて、悔し気に唇を噛み拳を震わせる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
蛇たちが踊り、魔菌糸が猛り、取り込んだ多種の生命が脈打つ、小さな宇宙――混沌そのものが、強烈な黄金の光を放ったかと思ったら、虹色の揺らぎに黄金の粒子と肉塊の一部が吸い込まれていった。
黄金に輝く光の粒が、虹色とともに消えた時、アステリアはゆっくりと目を開ける。
そこには、黒いドレスをまとった一人の少女が立っていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「魔菌糸を利用して自身のマナ神経肝を治し月の女神の手を使えなくしたわけか。そして過去へと吸い込まれた君の一部が、500年前に一人の人間へと転生した――そうなんだね、アレイシア」
呆然としたアステリアは、ティアに向かって呟いた。
魂の半身が引きちぎられて、見えない血を流している。
永遠に失われて、もう二度と自分の元に戻らないことは分かっている。
分かりきっている。
アステリアを通じて、否、種神を通じてティアは自分が生まれてきた理由と、始まりが分からないミッシングリンクにはまり込んでしまった。
思い描いていたハッピーエンドは踏みにじられて、残された道は、不確定な未来へと進むこと。
彼女は絶望するのを辞めた。
なぜなら、何度も心がくじけて周囲の思惑に絶望しても、自分自身が惨めでもいいから、浅ましく惨めに万別を生きたいと願っているからだ。
「あなたは、今、なにを望んでいるの?」
目を閉じたまま、ティアはアステリアにたずねる。
「私の望みは、アレイシアを救い出すことだ。彼女は自ら魔王に取り込まれて、この500年――魔王の魂をずっと抑え込んでいる。王位継承の儀式は、魔王の封印の補助と同時に、アレイシアの肉体を維持させる効果があるんだ。だが、限界が近づいてきている」
彼女は遠くを見る緑の瞳を床に落として、サーモンピンクの大理石の床を蹴りつける。
「彼女を救うためにも、アレイシアの魂を受け入れる器が必要なんだ。彼女の魂に適合する肉体が。まさか君がとは思ったけど、納得したよ。君がアレイシアであったのだから」
魔導姫の言葉には、複雑な響きが帯びていた。
過去が未来となり、未来が過去へと繋がり、現実の今が次の瞬間には過去に還る。
おそらく、すべてを把握しているのは種神。
彼の神の関心ごとは、亜神族であり巨人族へと退化した存在を、なおもいたぶり続けるための血道をあげている。
種神はティアたちを含めた全てを巻き込んで、憎くて愛おしくて悲しくて腹立たしくて狂おしくて悦ばしくて、果てしなくおぞましい感情を惜しみなく注ぎ続けながら、過去も未来もない世界の中心で嘲笑っているのだ。
愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して/殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して=∞1/2=?諞弱¥縺ヲ諢帙♀縺励¥縺ヲ謔イ縺励¥縺ヲ閻ケ遶九◆縺励¥縺ヲ迢ゅ♀縺励¥縺ヲ謔ヲ縺ー縺励¥縺ヲ縲∵棡縺ヲ縺励↑縺上♀縺槭∪縺励>諢滓ュ繧呈?縺励∩縺ェ縺乗ウィ縺守カ壹¢縺ェ縺後i縲?℃蜴サ繧よ悴譚・繧ゅ↑縺?ク也阜縺ョ荳ュ蠢?〒蝌イ隨代▲縺ヲ縺?k縺ョ縺?縲
「私は彼女を救いたい。だから、アレイシアを説得したかったのだ。500年前、彼女は勇者アレンとして戦い続けて、今もなお魔王と戦い続けている。こんなことって、あるか? なにせ彼女は、世界が混沌に満ちて人間種が多種族から脅かされているのは、魔王が存在しているからだと考えたからさ。魔王が大人しくなれば、人間種は脅かされずに済むと考えて、私の反対を押し切って、魔王に自ら取り込んでいった。私の傍に残ったのは、ナノマシーンの投影による彼女の映身だけ。そのナノマシーンがまさか、私の命を繋いでくれたのだから、本当に運がいい。……ちがう、運が悪い。とことん、それこそ呪われているといってもいいほどに。その原因が、今日分かって本当に良かったよ」
アステリアは、自嘲を込めて吐き捨てると、ゆっくりとティアに近づいた。
完全形が定まっていないのか、ユピテル産の合成生物だった拘束具の名残が黒炎のドレスとなり、蛇たちは黄金のバラの刺繍に、ティアの髪とも肉体とも同化し始めて、彼女の中に内包している各種族の特徴が、取り込んだ残骸たちの残滓が、小さい体からデタラメに生えて、デタラメに引っ込みながら、悪夢に近い様相をていしている。
その中には、巨大な蜘蛛の前脚、澄んだ青の鱗、漆黒の翼、エルフの耳、華奢な腕が半巨人族の太い腕となり、華奢な腕になることを調整するかのように何度も繰り返して、小さな現身に内包する。
瞬間、どろりと音を立てて、海洋生物のようなグロテスクな触手がティアの腰の下から生えた。今まで鳴りを潜めていた、暗黒種の血が一連の出来事で活性化したのだろう。黒炎と一体化して、服と肉体の境界線が分からないくなった一匹の生き物が、眼を閉じたままの状態で魔導姫の視線を受け取める。
「その後は? あなたはこの世界をどうしたいの?」
醜悪な形態となっても、ティアの声は少女のままであり、落ち着いた声音の裏に、強い感情のうねりが渦巻いていた。さながら、赤黒いマグマを限界まで貯め込んだ噴火寸前の火山のようだ。
あぁ、キレイだろうな。
アステリアはティアの声から、噴火してすべてを血のように赤い溶岩で埋め尽くす世界を想像した。金とオレンジの火花が散って、溶岩が触れた先から紫がかった煙が立ち上り、紅蓮の炎が踊るように波打つ光景。
アレイシアと出会う前だったら、この光景に心を打たれて、世界を滅ぼしてまわっていただろう。
他者を蹂躙し、圧倒的強者を屈服させて、この世界に渦巻くきれいごとを粉砕する。壊して壊して壊して、最期に自分も壊して、あとはなにも残さない。さっぱりとして、潔い、破滅的な願望。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「やっぱり、君はアレイシアとはちがうんだね」
声のトーンを落とした魔導姫にティアは沈黙して返す。
彼女の脳裡にあったのは、アステリアが自分にかけた言葉。
『うん? もしかして、視力が悪いのか? 暗黒種の血をひくように設定したのに、なんでそこまで視力が落ちた。いったい君はどんな拷問を受けたんだ?』
あの時、うっかり聞き逃してしまった言葉。
そこから分かるのは、アステリアは少なくとも25年前から暗躍し、生殖機に干渉してティアが暗黒種の血を引くように設定した。
――まったくもって、ふざけている。
自分はアステリアの思惑の元で作られて、空転する舞台の上で虚しい演技を続けていた。
だが、それも終わりにしたい。
マナ神経肝を治したティアは、このまま自分自身を治そうとして考えた。
「………」
しかし、ここにきて、果たして自分はどこまで治せばいいのだろうか。と考える。
自分の生がアステリアが干渉した結果だとするなら、周囲を欺くために生み出されたのだとしたら、本来の自分としてそのまま治すのは、彼女の中で強い違和感があった。
反抗心とプライド、ずっと無理やり納得して、正しくあろうとしてきた自分自身、幼稚な正義感に駆り立てられて世界を救おうとした愚かな少女、全部嘘で全部本当で、けれども確かな自分の過去。
変わりたい。
前に進みたい。
自分が何者でもいいから、
今ここでこの瞬間、
生き残る
ために。
固まる決意が力を呼ぶ。貪欲に取り込んで自分の力として、自分で設計し、自分で理想の自分をデザインする。少なくとも、今のティアには望みを実現させる力があるのだ。
もっともっとと、神経を深淵へと伸ばし自分が自分である定義を強化、変革し、変化させて自己を確立する。
全身に巡ってまわる林檎の香り。この世界で最初の果実だと言い伝えられているソレは、種神を通じて亜神族が伝えたもの。濃厚な香りに包まれるティアの意識の奥底で、いじわるく嗤う種神の声が響く。
【つづく】
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