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【マルチ投稿】アステリアの鎖_第三十話【晩散】

 過去の世界で天使たちが仲間を弔っている。
 主人の癇癪によって羽虫のように潰された同朋を、彼らは清潔な布で包んで穴に埋めた。

「ちがう。こんなの、まちがっている」
「このままではいけない。亜神は、前提を間違えている」

 本能が沸き上がる疑念と激情にブレーキをかけるも、天使たちは仲間の埋めた場所に視線を落として、怒りで肩を震わせている。
 さながら、コップに溢れる寸前の水のような状態。
 意志が本能を凌駕して、彼らは自らの意志で堕ちようとしていた。
 天使たちの強い怒りに吸い寄せられるかのように景色が揺らぐ。
 
『あぁ、ついに当たりを引いたのかもしれない。さぁ、見せておくれ真相を。なんで人間が、この世界に発生したのか、その真相をっ!』

 興奮気味なアステリアの声は、懇願に近い切実さで掠れていた。
 ティアを取り巻くすべてに電流が走り、彼女の全身に脳内に身を潜ませていたヘビたちが、ティアの負荷を軽減させるべく電流の激痛を肩代わりするのだが、それがさらなる電流を呼び、衝撃を誘い、そして激流のごとく痛みが流れ込んでくる。

「――っ!!!」

 ティアの視界は真っ赤に染まり、肉体が弾けそうな勢いで激震し、心臓が引き裂かれるような痛みで、声にならない絶叫がほとばしらせた。

 遡ろうとする過去の年代をさらに遡り、様々な景色が砕けた硝子となってティアたちを高速で通り過ぎる。

 過去へ、過去へ、さらに過去へ。

 触媒として繋がれているガイウスは野太い悲鳴をあげて、背にある飾りのような小さな翼を羽ばたかせる。

「ㇾ、ㇾ、ㇾ、ㇾ、ㇾ、お、お、なっ、すま、な」

 振り絞るように娘の名を呼ぶガイウスの声は、痛みで思考がマヒしそうなティアを正気に戻すのに充分だった。

 お願い、はやく、はやく、アステリアの望みを叶えさせて。
 ガイウス殿を楽にさせて。

 彼女の望みが叶えば、自分たちは解放される――そんな都合の良い可能性に、ティアは縋りついた。

 溺れる者は、蜘蛛の糸すら救いに見える。
 糸が重さで切れることも、水で溶けることも考慮せず、ただただひたすらに救いを求めて破滅する。

 ティアは意識を集中させて、肉塊と溶けて一体となった自身の手であった場所に意識を集中させる。常時発動状態だった――相手の魔力に干渉させる月の女神トリウィアの手を、さらに自身の中で干渉、増幅させて、自分の中で暴れまわっているアステリアの魔力を制御しようと試みる。

 今自分がどんな状態なのか分からないが、カーラの蛇たちは自分の中で蠢き、アステリアの手で魔菌糸のコロニーが拡張された。しかも自分の纏っていたドレスが魔道的な生き物だとするのならば、微量な魔力を帯びているはず。

与え・たまえレドニ・モワ

 ティアはアステリアよりもさらに、自身を増幅装置として改造し始めた。生命活動を考慮せず、アステリアさえ行き届くことが出来なかった最奥に蛇たちを導いて魔力を送り込み、魔菌糸たちが肉塊を運んで、魔道生物たちで致命傷に至る傷を修繕させる。

 暗黒種の血が流れていなければ、とうに命が尽きてるほどの自殺行為を決行しながらも、ティアは自分自身を失わなかった。いや、失えなかった。

 なぜなら、その先にあるものが彼女にとっての希望であり、未来なのだから。アステリアの願いを叶えることで、この地獄が終わる。
 この忌まわしい苦痛からも解放されて、そして。

 これ以上、彼女は考えることをやめた。
 様々な前提が次々に覆されてきたがゆえの防衛本能であり、考えれば考えるほどに、思考の糸で雁字搦めになりそうだったからだ。

『さぁ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ、過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ過去へ』

――過去へ。

 魔導姫と末姫の望みが同調した。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 大きな扉が開いたような手ごたえと共に、光の奔流がティアの意識を攫って行く。潰れたはずの視界は白一色に染まり、存在丸ごと遠くへ持っていかれるような浮遊感。
 再び意識だけの存在となって、過去の世界へと同化を始めた魂は、濃厚な血匂いと獣の咆哮に意識を向ける。

 デーロスと切り離された、亜神族が作り出したはずの異空間。月の表面のような広大な荒野で、多種多様の種族の先祖たちが無秩序に暴れまわり、喰らい会い、途方もない殺し合いを繰り広げている。

――オオォォォオオオオォオオォォォォッ!!!

 流れ込む彼らの思念は、無尽の飢えに苛まれていた。
 お互いのあるものを奪い合い、壊し合い、犯し合い、再び奪い合う。

 それはまさに原始の世界で繰り広げられる弱肉強食の光景だった。理性を持たない彼らが、同族の屍を踏み潰してでも飢えをしのぎ、血の陶酔で痛みを紛らわせて、産みの喜びで絶望を打ち消す。

 遠くで成り行きを見守っていた亜神たちは、そのあまりにも単純で野蛮で、統率する理性の欠片もない彼らに頭を抱えていた。辛うじての分別は、亜神と天使たちの命令は絶対であり、それ以外のことは病的な上に身を任せて、生理的衝動を解消するために、命と命を無駄に消費させていく。

『このままでは、この世界は滅んでしまう。狭間に住まう種族を呼び寄せて均衡を保つぞ』

 意を決した亜神の言葉に、同胞たちは頷いてその場に跪いた。
 自分たちの判断に誤りがないと確信した声だった。

種神しゅよ。どうぞ、この世界を救うための生贄を我らに使わしたまえ』

 祈りを捧げるかのように跪く彼らは、自分達の主である創造主を仰ぐ。
 しかし、世界と一体となったティアは知ってしまった。
 彼らを見下ろす視線は冷たく、無機質なもの。まるで、心が壊れた人形のように、虚ろな眼差しで亜神たちを眺める大いなる存在――世界の創造主である種神たねがみ

 種神もまた、本能にとりつかれるがまま無秩序に世界を造り、破壊を繰り返している。次元の狭間に種をつけて、その空間のねじれから自らを孕ませて、世界を生み出す。雄と雌の喜びを狂ったよう味わいながら、絶対的で身勝手な親としての立場で、世界を我が物顔で蹂躙していくのだ。

『よろしい。だが、われの手を借りても尚、失敗すればこの世界は諦めろ。自らの手で幕を下ろせ』

 こうべをたれる亜神たちを見下ろした種神たねがみの声には抑揚がなく、感情のない声だった。それが逆に恐ろしいほどの恐怖を植えつけてくる。
 この瞬間にティアは理解してしまった。人間がどういう存在なのか。失敗とはどういう意味なのか。

 種神の見えざる手が次元を引っ掻くと、そこから多くの人間が溢れ出した。

『この狭間の者たちは、諸刃の剣である。この世界に本来属していない、異世界の民である。そのことを肝に命じよ』

 こうして、この世界における人間の地獄が始まった。

『あぁ、やっぱり、そうだ。人間という存在はデーロスにとって都合が良すぎるというのに、人間というものはデーロスの在り方から随分と逸脱している』

 真相を半ば予想していたらしいアステリアは、納得するように呟いて悔し気に奥歯を噛んだ。

『聞け、生ける者たちよ。この人間は種の存続を助ける箱舟であり、飢えをみたすにえであり、そなたらの存続を証明する種族である。決して滅ぼすことなく飼いならし、このデーロスを発展させてみせよ』

 そして高らかに人間の重要性と説く種神は、次元の荒野で争う全ての種族たちの脳みそに浸透し、彼らの本能として刻み付けられた。

『種神よ、おおいなる慈悲に感謝します』

 喜びをあらわにする亜神たちは、種神がいるであろう方向に平伏すと、荒野に投げ出された大勢の人間たちを一部保護して、残った人間たちを化け物たちに喰らわせた。

 おびただしい臓物と血肉が飛び交い、共通のエサという認識が彼らに統率の意思を呼びおこし、理性の火を灯していく。やがて彼らの魂を蝕む飢餓感は薄らいで、現実を見据える頭脳を働かせた。

――外に出なければ。

 ここは現実から隔離された空間。
 彼らがあまりにも飢えていたからこそ、亜神たちはこの空間に幽閉したのだ。

 世界を発展させる理性と頭脳を獲得した今、彼らは自分たちの役目を果たすために外界へと出なければならない。

 その足に多くの人間の屍を踏みしめて。赤い血だらけ足跡を残しながら、彼らは本来のあるべき世界へと戻ってきた。

『おぉ』

 だれかが感嘆の声を漏らした。
 人間を喰らい飢えから解放された彼らの瞳には、以前所属していたはずの世界が、まったく違う顔を見せていた。

――この世界にはまだ見ぬ領域がある。
――まだ知らない味や食感がここにはある。
――世界は広く、神秘に満ちあふれている。
――それはとても心を躍らせるものに違いない。
――あぁ、なんて素晴らしく、美しい世界なんだろう!

『あぁ、ふざけてる、ふざけてる、やっぱりそうだったんだ、ちくしょうめっ!』

 口汚く悪態をつく魔導姫は、射殺すほどの強い殺気を緑の瞳から放出しているのだろう。自分たちの手で問題を解決できなかった亜神たちに。人間たちを本来の居場所から無理やり引き離した種神に。

 亜神によって保護された一部の人間たちは、三つのグループに分けられた。一つは天使の手によってマナ神経肝じかを埋め込まれたグループ。このグループは人間の国を興し、前の世界の知識を持って、この世界で活動することを強制される。

 二つ目のグループは天使たちが取り囲んで、生きながら上半身と下半身を切り裂かれた。
 逃げる間もなく、悲鳴をあげる間もなく、殺された人間たち。
 亜神たちは一片の慈悲をかけることなく、人間たちの下半身を束ねて一つの大きな肉塊にすると、魔水晶の大窯で煮込みだし、天使たちは人間の上半身を柱のようにつなぎ合わせて、巨大で悪趣味な樹木を作り出した。

『これから我らは、生命の樹と揺り籠を成長させて、聖杯の作成に取り掛かる』と。

 亜神たちが種神を称える歌を歌いながら剣を振るうと、さらにそこから別の空間が現れて、人間で作りだした醜悪な聖杯と、最期のグループを無理矢理、その空間へねじ込んだ。

 人間たちは傲慢な亜神たちに抵抗するも、戦力差は分かりきっている。
 最後のグループである人間たち――彼らは亜神たちから知識を共有されて、生命の樹の世話をし、揺り籠を成長させるために幽閉されることになった。体を弄られ、寿命を弄られ、死にたくても死ねない体にされた彼らは叫ぶ。

『滅んでしまえ!』
『呪われろ!』
『消えろ!』
『死んでしまえ!!』
『殺す、いつか殺す!』

 人間たちは分かっていた。今の自分たちでは、亜神にも天使たちにも敵わない。助けが来ないことが理解しているからこそ、ありったけの呪詛と憎悪で魂を黒く染め上げる。

 この人たちがどうなったのか、あなたは知っているのですか?

 先刻から黙り込んでいる魔導姫に、ティアは話しかけた。

『…………』

 返事の代りに場面が変わる。
 デーロスで力をつけた人間たちが、科学と魔法で多種族を蹂躙している光景だ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 人間たちは声高に叫ぶ!

『我らを帰せ! 元居もといた世界へ帰せ』と。

 戦っている人間は、連れてこられた人間の子孫であり、生まれ故郷はデーロスである。だが、彼らはこの世界を否定し戦いを挑んだ。親から受け継がれてきた望郷の念と、多種族に狙われる理不尽な怒りと共に、全世界で一斉に蜂起したのだ。

 そして世界の八割近くを掌握したところで、天使と亜神たちが戦争へ参入する。圧倒的な数と技術を持つ人間たちを、亜神たちは蟻の如く蹴散らし、散開する天使たちが残党を取りこぼすことなく殲滅した。

 人類側の敗北だった。

 せっかく発展した文明は衰退し、各種族の数も減少し、このままではデーロスは天使と亜神たちしか残らない。
 だが彼らには、奥の手があった。

 生命の樹と揺り籠。

 大勢の人間の上半身で出来た樹木はエサだった。
 人間の下半身を煮溶かして、マナで固めたグラスのような容器は揺り籠だった。

 そこにセットで現れる、生命の樹を世話し、揺り籠の作成に従事していた人間たち。彼らはお互いの手を溶かされて、結合し、人体の鎖となって生命の樹と揺り籠を繋ぐ接続機となった。

『種の存続の意思を持つ者よ、この生命の樹へと集え』

 亜神の命令は絶対だ。人間によって数を減らした種族は、醜悪な巨木に集い、喉を鳴らす。彼らから見たら、生命の樹は自分たちを絶対的な飢餓から救い出してくれる生贄であり、自分たちの立場を理解していない常に反抗的な異分子である。
 亜神が住まう領域へと次元が開かれて、各種族は我先にと殺到した。

 オークが、ゴブリンが、ドラゴンが、エルフが、アラクネが、マタンゴが、ケルピーが、ドワーフが、吸血鬼が、リッチが、ウィスプが、天狗が、マインドレイクが、ヒュドラが、ハーピーが、グリフォンが、ノッカーが、スピリットが、獣人が、このデーロスに住まう全種族が、誘われるがままに生命の樹に殺到して、次々と一体と化していった。

『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』

 生命の樹と揺り籠を繋いでいる人間たちは絶叫する。
 自重の痛みと、自分たちを経由して揺り籠へと流れ込んでいく命の情報が、彼らの負の感情を糧にに増幅され、揺り籠の中を見えない力で満たしていく。

「我らの血でもって、この聖杯は完成する」

 そこへ亜神の一神が剣をかざして、刃を手首に滑らせた。流れた血が揺り籠に吸い込まれると、林檎の香りをさせた黒い液体が湧き出て、液体からぞろぞろと生物たちが現れる。生物たちはのたうちながら、同一の存在を二倍も三倍も増やして、黒い液体を吸収しながら、揺り籠を食い破って外へ出る。

 観るだけでもおぞましい奇跡にティアは絶句した。
 でたらめに無秩序に数を増やしていく光景は、秩序と摂理に反し、あきらかに【ナニカガマチガッテ】いた。

【つづく】

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