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【マルチ投稿】アステリアの鎖_第三十三話【開化】

「そうだ。人間はもともとこの世界の住民ではない。そして亜神族は本来、傷つけられて血を流す存在でもない。魔王を造って、亜神族と天使たちに弓を引いた人間たちは、このデーロスに呪いをもたらした。人間に傷をつけられた亜神の血――ありえないことのルート二乗と、魂の欠損が魔物となる条件。……500年前、魔王と神族の戦いは、居合わせた個体に多大な恐怖を与えたはずであろう。それこそ、魂を欠損させるほどにね。メディカルポットで亜神族の血から汚染を防ごうとしたものの、運悪く先に血を浴びてしまった個体は、メディカルポットをも取り込んで魔族化してしまったんだ。なるほど、納得だよ。周囲を汚染する強い呪いなら、たったニ、三年で世界は滅んでいたはずさ。けれど、世界が滅ばなかった。その理由はいたって単純で、魔王は滅ぼす側ではなく、滅びを防ぐ側だったというオチさ」

 アステリアは膨張と縮小を繰り返すティアに対して、淡々と言葉を吐き続ける。様々な異種族を取り込んで、デタラメに翼と蟲の足魚のヒレを生やしつつ、無数の嘴が、口吻が、口が、むき出しの歯列が、歯舌しぜつが気孔が不規則に歌うように呼吸と悲鳴を繰り返す。

 幾多の法則を無視して、巨人族をも受け入れる天井の高さまで成長したティアは、その体躯に似合った巨大な脳髄をゆっくりと回転させていく。
 
 あぁ、いびつな胎児が見る夢よ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 もっともっと、強く。
 もっともっと、大きく。

 ティアは自分の中に湧きあがる力に酔いしれながら、肉体を変形させる激痛に耐えた。皮膚が裏返り、外気に晒され、溶けだした皮膚にあぶられ、ありえないスピードで臓器を複製し、正常に臓器が稼働するのか何度も試運転を繰り返しなが調整を繰り返して、赤、白、黄色、緑、青、透明と、様々な体液を試練の間に飛び散らせながら、さらに自身を肥大化させようとしている。

「そう、君は魂の欠損によって魔物に変ずる条件を得た。種神が私に見せた500通りの未来の内の一つ。500年だから確定した未来は500通りのみだってさ。まったくふざけていて悪趣味な神だよ。ふっ、ははははは……」

 こらえきれずに泣き笑うアステリアは、異形そのものとなったティアを見上げて、血の気の失せた唇をひくつかせる。実体がないために涙が出ない彼女は、歪んだ笑みしか零すことができない。

 末姫だった存在は肉体が膨れ上がり、体細胞の分裂を開始してでたらめな進化と退化を、さらに細胞分裂を繰り返すたび彼女の体の一部として、血管と神経となった魔菌糸が周囲の物質を吸収して、より強靭なものへと変化させながらも成長を続ける。

 あぁ、ああ、あぁっ。

 肉体を構成する物質が変容し、同時に自分の意識そのものが変わっていくのが分かる。 
 混血晶マーブルという不安定で、不完全な存在の枠を超えて、安定した一つの個へと到達する異形の塔は、過去の世界で観た生命の樹にも似ていた。が、こんなにも醜悪で凶悪で邪悪で悍ましく冒涜的で堅牢な存在は、このまま成長を続ければ、生命の樹を遥かに凌駕すると魔導姫は仰ぎ見る。

「君こそ、この世界に咲く黒いバラ。新たな魔王にふさわしい。この腐りきった世界を一掃し、すべてを無に還してくれ。そして、私にかけられた鎖を壊してくれ」

 これは紛れもない彼女の本音なのだろう。
 種神になにを見せられたのかは定かではないが、アステリアは自分を見失いつつあった。まるで死を乞うように両手を広げて、母親に縋りつく子供のような顔になった。

 試練の間に響く、肉と肉が次々と潰れる鈍い音。血管がパイプの如く機械的に脈動し、魔導生物と触手が混ざり合い、毛髪サイズだった蛇たちはキロハアナコンダの如く長大となる。成長を続ける異形の塔は、さらに中央の石柱を取り込み始めると、ティアの意識に、彼女の脳天に、500年分の膨大な情報が灼熱の杭となって刺し貫いた。

――っ、――っ、――っ、――っ、――っ。

 内側を抉り込むような焼け付く痛みが、嵐のように荒れ狂う情報が、ティアの意識を飛翔させる。塔全体を蠢動させて赤い石柱にしゃぶりつき、愛おし気に撫で上げる光景は、熱病の時に観る悪夢そのものだ。

 もっともっと。この痛みを、情報を取りこぼすことのない、強固な肉体を作り上げなければ。

 ティアは自分が望む姿を想像で補い、肥大化していく自分の肉体を、より強く強固なものに作り替えようと試みる。

 もっと強く、もっと強大に。

 貪婪に浅ましく力を求めるティアは気づいていない。もはや自身の規格がこの世界から外れ始めていることに、そして、自身の目的をアステリアと同様に見失いつつあるこつとに。

 ただ、幸運なことにティアには一点だけ、めぐまれている点があった。

「ティア様! イヤです。戻ってきてください」

――……っ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 友人がその場にいるか?
 些細な差であるが、飛び起きたカーラは、黄金の蛇たちで構成された金のドレスを翻して、黒い花びらのように広がりながら脈を打っている、魔導生命体を取り込んだ部分に抱きついた。

「ティア様! 正気に戻ってください。お願いです、お願いします!」

 びちゃびしゃと滝のように流れる体液に塗れながら、カーラは必死にティアに呼びかけて、さらに強く抱きしめる。遠くへ行こうとしている彼女を押しとどめ、自分の存在を思い出してもらうために、強く、強く、腕に力を込めて、異形の塔に豊かな肉体をうずめていく。

――! カーラっ!

 このままでは、自分はカーラを取り込んでしまう。

 そんなのはイヤダ。

 この時、この瞬間に、ティアの中で自分のあるべき姿が定まった。
 石柱に取りついていた肉の巨塔が次第に大人しくなり、柔らかな湯気を立てながら小柄な少女の姿へと戻っていく。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 花弁のように波打つ黒いドレスを翻して、カーラを抱きしめ返す白い手。
 背中には黒い翼が生えて、耳はハイエルフのように尖り、腰まで伸びたマンダリンオレンジの髪は毛先に近づくにつれて金色に変色して、開いた双眸には煌めくように美しい翠色瞳がはまっている。

「カーラ、ごめん、よかった、ありがとう、ごめん」

 感謝と喜びと謝罪を繰り返して、ぐすぐすと泣きながら、ティアはカーラを抱きしめて、その大きな胸に顔をうずめた。普段はシスター服で包まれている双山に直接ティアの頭が挟まり、頬に感じる柔らかな感触とミルクのような甘い香りに、気持ちがしだいに落ち着いていく。

「わたし、ほんとうに身勝手で、そのせいでカーラを危険な目に遭わせて」

 こんな状況ではないのに、安堵で緩んだ口が感情をほとばしらせた。分かっていたはずなのに、自分の事ばかりで見向きもしなかったカーラの献身が、真心がティアの胸の底を熱くする。

 自分を自分たらしめていた存在がこんなにも近くにいたのに、カーラの友情を、自分はそれほど、そして、何度、顧みたことだろう。

「そんなティア様、泣かないでくださいまし。私がもっと早く、ティア様を引き留めるべきだったのです」

 翠色の瞳から涙を零すティアに、カーラは長い指を伸ばして優しく涙をぬぐった。表情をほころばせるティアにあわせて、カーラも表情を軟化させると、傭兵だった頃の冷徹な部分が、女主人の変化した部分に焦点を合わせる。

 背中に生えている翼は、猛禽類の羽根の作りである黒い羽毛から、使い魔のアルとガイウスの肉体を取り込んだ影響を伺えた。尖った耳はアマーリエで髪の部分はカーラの蛇たちが、完全融合したのだろうとざっと推察する。
 それにその瞳……。

 ファウストの魔菌糸はある意味、ファウストの一部であり、血肉でもあるのだ。イーダスの生家であるウェルギリウス家の血が活性化したことにより、瞳がウェルギリウス家の方に引っ張られたのだろう。

 カーラはティアの変わり様を見て、そう冷静に判断すると、ぎゅっと少女を抱きしめた。
 彼女が生きていることを確かめるように。
 そして、自分が生きていることを確かめるように。

――よかった生きている。

 二人は同時に安堵して、優しい抱擁と互いの肌の温かさに心を委ねた。
だが、感傷に浸っている暇などない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「そうか、そっちのルートに行ったのか」

 魔導姫 アステリアだ。
 呆然と立ち尽くす彼女は、すべてを諦めたような虚無で儚げな笑みを浮かべながら、変化したティアを見る。

「君はもう、イーダスの望む人間になることはない。この世界に生まれた新たな種族【魔族まぞく】となった」
「魔族?」

 聞き返したティアは、自分自身そのものが変化したことで、自分を縛るあらゆる制約から解放されたことに気づく。マナ神経肝じかが拡張されて、膨大な魔力が肉体に貯蔵された上に、魔菌糸コロニーによって改造された血肉に魔力そのものを通して、肉体そのものを変化させることがわかった。
 さらにいうなら、思考も重石が取れたかのように円滑に回転して身持ち良く澄んでいる。なぜいままで、《《こんなことで悩んでいたのか分からないほどに》》

「そうだ。人間種のように生理的欲求が暴走しない、この世界にようやく生まれた安定した種族。亜神も天使もなしえることが出来なかった、このデーロスを発展させる存在」

 死んだ瞳のまま話すアステリアは、カーラが庇うように抱きしめているティアに虚ろな視線を向けている。

「おかげで、種神が私に見せた500通りの未来の内、250通りが潰れた。君にはわからないだろう。250通りの世界が潰れる音が、ガイウスが死んだことで、あとは君と私。種神に目をつけられた私たちは、運命を確定させる特異点となってしまった。もうどこか未来なのか過去なのか。尾を噛んだ蛇の円環の中で、滅びの刻をただ待つしかないのか」
「……言っていることが、よくわからないわ。わたしは、わたしたちは貴女がした、魔王の汚染――断種の呪詛【ブロークンチェーン】を浄化させる方法を知りたいの。……ふたを開けたら、亜神の血だったけれどもね」
「あぁ、浄化か。簡単な話だよ」

――ぱちん。と、アステリアが指を鳴らすと、なにもない空間から、黒板ぐらいの長方形の水晶板が現れる。

「ふふふ、懐かしい。これはまだ、魔王が封印される前の映像さ。魔王と戦うには、安全な場所を確保する必要があったからね」

 水晶板に映された映像にティアは驚いた。

「そんな、記録媒体は完成していたというのですか」

 勇者アレンと、魔導姫のアステリア。二人が赤黒く淀んだ海に向かって、何かしらの儀式を行っている。

「……あぁ、とっとくのとうにさ。私を殺して、この世界を魔媒晶マテリアルストーンで発展させた前支配者オールドワンたちは、各方々に圧力をかけて、自分たちに都合の悪い技術を潰してきたのさ。あぁ、圧力をかけるために権力が必要だから、魔媒晶なんてものを持ち出して、権力と富を得たというわけか」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「――まぁいい。デオン以外は全員、私が始末した。デオンは言っていたよ。人間と人間種は違うとね。自分たちが創った新天地に適応できる体を作る必要があると」
「あの、勝手に絶望して、話を脱線させるのはやめてくれませんか。わたしは、浄化の方法を知りたいだけなのですよ」

 不幸に酔う魔導姫の呟きを、ティアの冷ややかな声が両断する。腕を組んで、スレンダーな胸をそらすオルテの末姫と並び立つ護衛のシスターは、水晶板を見上げて口を真一文字に結んだ。
 
 映し出される過去の映像から、アレンが白銀の剣で空間を一閃するのが見えた。剣先の軌道が光の線となって、裂け目から暗黒の空間が顔をのぞかせる。そこへアステリアが杖を振るうと、亜神と魔王が争ったことで汚染された土地の一部がごっそりと、裂け目の空間に吸い込まれていくのが見えた。

「これは簡単な理屈だよ。人の感情によって流された亜神の血。そのルート二乗は、このデーロスで成立する法則だ。その法則によって生まれた汚染と歪みなら、デーロスの法則が及ばない別世界に、汚染された部分をごっそりと移動させてしまえばいい。若干微量の汚染は残るが、亜神が巨人族に弱体化したことで、100年かければ自然浄化できることが可能となった。……そう、とても簡単なことなんだ」

 さも簡単に説明する魔導姫に対して、ティアの隣で話を訊いていたカーラは蟀谷こめかみあたりに痛みを感じた。
 別次元への干渉ができて当たり前のような素振りに、彼女の生前の人間関係が透けて見える。
 そうそう容易に空間移動を駆使できるのならば、イシュタル大陸の戦場で、どれほど戦況が有利になったのか分からない。

「……君も過去を見て分かっているだろう。聖杯に満たされた黒い血の海で、生物たちが分裂し、蛆のようにうじゃうじゃと無尽蔵に湧いていく光景を。ことわりを歪めることで、ありえないことを実現させる魔法が、つまり第三魔法ということさ。マナ神経肝じかはこの世界の接点みたいなものだから、マナ神経肝じかの障がいによって、第三魔法の下位互換ユニークスキルが発現するのは、存在自体が歪みとなった考えればいい。つまり原理を理解できれば、誰でも第三魔法を使えるんだ」
「……」

 ティアが涼しい顔で聞き流すことができるのは、彼女がアステリアと知能面が釣り合っているからなのだろう。
 が、なんだか違和感があった。魔族に変じたことで、ティア自身が気づいていない変化に、カーラは一抹を不安を覚えつつも観て見ぬふりをする。
 これは戦場では、悪手あくしゅだ。
 この場ではっきりさせるべきなのに、感情的な部分が追いついてきてくれないのだ。

【つづく】

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