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【マルチ投稿】アステリアの鎖_第十五話【思慕】

 墓場オリーブ園から出た後、ティアたちは気まずげに地下通路という名の迷路を歩く。
 ファウストが先頭をきって歩いているのは、試練の間にいるであろうユリウスとつながりがあるからだ。
 元々はナンバーズである【サード】――ファウストの肉体を培養して作られた魔導生命体の動力源として、ファウストから魔力が供給されていることで、二人は見えない糸でつながっている。おかげで、目的地を明確化させて迷宮をまようことなく進めていけるのだが、
 彼らの彼らの瞳には迷いが生じ、不信感を振り払うような乱暴さで地面を蹴り上げる。

 信じていたもの、魔導王国オルテュギアーの【尊き青バラの血ブルーローズブラッド】はウソだった。

 しかし、だからと言って歩みを止めるわけにはいかないのだ。

 走ることなく、それでいて決して歩調を緩めず。
 傭兵あがりだったカーラの体力もさることながら、学生生活のフィールドワークとホビット族の身体能力の受け継ぐティアも、前を歩く男たちの速度についていくことができる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 プルートス殿がいるから問題ないと思うのに、この胸騒ぎはなに?

 敵サイドに虫使いがいるから、ティアも菌糸はばらまくことでかく乱させ、使い魔のアルもルビーのように赤い瞳をぎょろつかせて、周辺に擬態している敵の索敵をし、後方にいるカーラは蛇たちが警戒にあたっている。全方位で自分たちは不意の襲撃に備えているにも関わらず、不気味な静寂があたりを包んでいた。

「あれは?」

 先頭を歩いていたファウストが足を止める。
 続いていたティアたちも足を止めて、前方にいる人物に各々の目を丸くさせた。

「カーリア! いや、陛下! 無事でしたかっ」

 興奮で喉を震わせても、その場で駆けださないプルートスの冷静さが、ティアたちの気持ちを引き締める。

「…………ぁ」

 車椅子に腰かけているカーリアは、わずかに反応を示したものの眼は虚空を彷徨っていた。

「だ、大丈夫、ですか。陛下」

 ティアが恐る恐る話かけると、カーリアのクロームパープルの瞳がわずかに揺らいだ。覇気のない表情に半開きの唇。ティアが知る母の姿は人形そのものだったが、今、自分たちと相対しているソレは抜け殻のようでもあり、わずかな生物としての反応が妙な生々しさで胸に迫ってくる。

 まるで目前の存在が、生き物であることを唐突に思い出したような感覚だった。ティアたちの存在を認めたカーリアの表情に、かすかに感情らしきものが浮かんだのは、ティアの願望だからだろうか。

 けれど、陛下はもう長くない。

 母は去年の秋に、肉体がとうとう限界を迎えた。
 なにせ一国を滅ぼす魔力を肉体に秘めて、今まで形を保っていたのも奇跡に近い。この口から黒い血を吐き、鼻からも耳からも、体中のあらゆる場所から黒い血を吐きだしたのだ。

 ティアはじっと、自分を生み出した存在を見た。
 最後に母親にあったのは二年前。記憶の母親と比較して、頬は痛々しいレベルでやつれて、すらりとした手足は枯れ枝のようにやせ細り、介護服からみえる体のラインは痛々しいほど貧相だ。
 枯れたバラを連想させる退廃的な姿。幼い自分を射すくめたクロームパープルの瞳には覇気がない。

「カーリアっ!」
 
 プルートスが嬉しそうに声をかけ、ファウストは警戒を緩めることなく、周囲を見まわし、次にティアの視線とぶつかった。

「…………」

 なにかを言いたげな翠色すいしょくの瞳を受け止めて、ティアはどんな表情をすればいいのか分からなくなった。

 わたしを憐れんでいるのですか?
 それとも……。

 なぜ、母がここにいるのか。
 王家の記録によると、黒い血を吐いた後は廃人状態になり日常生活には介助者が必要になる。他にも会話や意思疎通は不可能になるらしいのだが、わずかな感情の揺らぎを見せる母の瞳が、意思疎通の可能性を示しているようだった。

「陛下、わたしの言葉がわかりますか? わかるのでしたら、まばたきを二回してください」

 ティアは臣下の礼をとってその場で跪き、聞き取れるようにゆっくりとした口調で話しかけると、カーリアのまぶたが二回閉じられ、再び開かれた。

「カーリアっ! 俺が分かるかっ!?」
「…………」

 ぱちぱちと拍手をするように閉じられる瞼。
 反応がある、意思が疎通できることが分かり、プルートスが興奮気味で語りかけて、ティアも胸のつかえが軽くなるのを感じた。
 ファウストから語られた、かつての恋人であるユリウスの存在が母の自我を呼び起こしたのだとしたら、こんなにも美しく残酷な現実は他にない。

 娘である自分ではダメだった。母を揺り動かす存在ではなかったという無力感。姉が感じた複雑な感情も理解できて、苦いものが胃の奥からこみ上げてくる。

「陛下、陛下がここにいるのはユリウス殿かアメリ―お姉さまが、ここにあなたを置いて行ったのですか?」
「…………」

 ぱちり、ぱちり。肯定である二回のまばたきに、意志が通じて嬉しいと思う反面、こみ上げてくる激情をその場で叩きつけたくなった。

 今はそれどころではない。これは自分のくだらない感情だ。無意識のうちに、知らないうちのため込んでしまった肉親に対する憤懣ふんまんは、ティア自身で解決しなければならない。

「つまり、陛下は二人によって安全圏まで退避させられた状態……と、考えていいでしょうか?」

 ぱちり、ぱちり。

「…………」

 静かに問いかけるティアは、努めて冷静に状況を分析しようとした。つまり、姉とユリウスは現在、試練の間で自分たちを襲ってきたテロリストたちと死闘を繰り広げている。母はこの状態だから足手まといにならないように、一旦、姉かユリウスがここまで車椅子を押してきたと考えるのが妥当だろう。
 つまり、ここから先が、ティアたちの正念場ということだ。

「陛下、失礼いたします」
「…………」

 どうして自分が、こんな人間じみたことをしたのかわからない。
 ティアは立ち上がって、カーリアの足元に膝をつく。そして、母と同じ高さの目線になると、そっと壊れ物を扱うように抱きしめた。

 どうして。と、ごめんなさい。

 王位継承の儀式は、黒い血を吐いた先代の王を生贄に捧げて初めて発動する。この儀式に挑むということは、ティアもアマーリエも母を犠牲にすることを黙認したと同義。
 アステリアの人形のままだったら、慣例として犠牲を受け入れていたのだが、母の自我が復活してしまったというのなら話が変わってくる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「…………」

 ティアは自分の腕の中で虚空を見つめるクロームパープルの瞳に、己の姿を映してもらいたいと強く願った。
 口に出したい様々な思いが津波のごとく押し寄せてきているのに、すべてを言語化できないもどかしさで、喉が詰まって鼻の奥がつんと痛くなる。

 自分はこんなにも、母親に話したいことがたくさんあった。言語化できないレベルで求めていたことがたくさんあったことが、彼女自身を動揺させた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 いまさら、こんなことに意味なんてないのに。

 思い出すのはカルティゴでの公務だ。
 学生である身であるが、ティアは定期的にカルティゴで公務を行っていた。簡単なチャリティーに参加したり、有名な学者の講演会に出てインタビューに答えたり、勇者アレンの墓に毎年お参りに行くこともした。
 勇者アレンの墓参りは毎年、最低でも二回は足を運ぶ。

 魔王を封印したとされる初夏。
 暦の上での土水の七月と十の日。
 この日にはオルテの国花であるバラを供える。

 勇者アレンの命日である晩秋。
 土金の十月と二十三の日。 
 この日には、アステリアが好んだとされるシオンの花を供えるのが風習だ。

 ティアに限らず、オルテの王族は年に何度か勇者アレンの墓を参り、姉たちとの都合があった時は、都市部へよく遊びに行ったものである。
 異国で暮らすティアにとっての少ない楽しみの一つであり、久々に過ごせる家族との団らんの時間を彼女は大切にしてきた。

 しかし、時間は無情だ。成長することにつれて、姉もティアたちも求められることや、やることが増えてくる。スケジュールの調整がつかなくなり、同じ日に墓参りに行ったのに、お互いに異なる時間に墓参りをすることが何度もあって、さびしさよりも徒労感を感じるようになったのは、大人に近づいた証拠なのだろうか。

 だから、二年前にティアが母と随伴する形で墓参りに行くこととなったのは、当たり前でありながら突然の事であり、はじめての母親との公務に身を蝕むような緊張と居心地の悪さを覚えた。
 できればアマーリエが居て欲しかったのだが、彼女はあいにくと別の公務に追われている。
 その時のティアは、姉たち二人がいないことが不安で仕方がなかった。

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「本日はこの世界を守った我らが祖先、勇者の墓を陛下と共に参られることを光栄に感じております」

 ティアは臣下の礼をとり、女王陛下一行を出迎えた。
 カルティゴの首都【ノーグ】の駅から出てきた女王とその護衛たちは、ティアたちの姿を認めると、音もなく静かにこちらへ近づいてきて、儀礼的に挨拶を済ませて魔導車に乗り込んでいく。

 カーラはいつもの修道服ながら、ティアはクラシカルな黒が基調のドレスに身を包み、フレームの細い丸眼鏡をかけて、可憐な瓜実顔に薄化粧を施した。
 質素に、けれどもみすぼらしさを感じさせずに。

 女王である母との随伴は記者団が来ることを意味していた。
 ただでさえ、ティアに対するカルティゴ国民の風当たりが強いのだ。
 佇まい、言動、服装、難癖をつけられる要素を出来る限り排して、墓参りに臨む。

 本音は逃げ出したいと思うのは、彼女の罪だろうか。

「………」

 脳裡によぎるのは、父の訃報を聞いて帰国を願った時。

「おまえは、国に、帰ることは許されない」

 それが、生まれて初めて、母からかけられた声だった。
 カルティゴでの視察のタイミングでイーダスが死んだからこそ、ほぼ会うことのない母子が異国の地で顔を合わせたタイミング。
 学生寮の部屋に引きこもり、国に帰りたいと泣き暮らしていた彼女は、母親がわざわざ訪ねてきたことを驚きながらも喜んだ。
 もしかしたらという希望が湧き、オルテの末姫ではなく娘としてティアは母に訴える。

「お母さん、わたし、オルテに帰りたい。お父さんの葬式に出たいっ。お願い、許して」

 彼女は必死だった。取り繕うことなく、みっともなく、あさましく、母親のドレスに無数のしわを作って泣き縋り、見守っていたカーラは痛ましげに顔を伏せる。

「「…………」」

 そして何時間が経過したか分からない。
 母に泣き縋る体勢が崩れる。娘の肩にかかる二つの手が、有無を言わせぬ力で娘の幼い体を引きはがし、意志のないクロームパープルの瞳が、涙で潤む紫の瞳を射すくめる。

「おまえは、国に、帰ることは許されない」
「…………っ」

 ただの言葉なのに、そこに魔力が込められているかのように、母の言葉は娘の自由意思を絡めとって屈服させた。

 産まれてはじめてかけられた娘への言葉は、絶対的な拒絶だった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 アステリアに憑りつかれている母は、自我なんてそもそも存在しない。
 いままでだってそうだ。
 ずっと分かりきっていることなのに、どこかで感情を表してほしい、アステリアに負けないで感情を言葉にのせて欲しい。

……子供の前では、せめて親は親であって欲しい。強くあって欲しい。そう願ってしまうのは、ティアの独りよがりだろうか。

 母はわたしをみてくれない。
 それが分かっただけでもいいじゃないか。
 死んだとはいえ、わたしには、わたしを最後まで自分だけを愛してくれた父がいたのだから。
 もう、あの美しい翠色すいしょくの瞳に、自分の姿が映らないのは寂しいけれど、思い出がないよりはましだ。
 これでよかったのだと納得しよう。

 わたしには結局、納得するしかないのだから。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ティアは納得するしかないと何度も自分に言い聞かせる。
 自分には母親なんていない。
 だが自分は、母の娘としてふるまわないといけない。

 初夏の日差しの中で、海風が冷たい風を運んでくる。
 海が見える丘の上に、たくさんの花束で飾られた勇者の墓。
 母は深紅のバラを供えて、ティアは白のバラを供える。随伴してきた記者たちが「青いバラは供えないんですかー」と、冗談交じりのヤジを飛ばしてきた時、護衛たちは慣れた態度で聞き流すのだが、ティアはうんざりとした気持ちになった。

 納得の上の納得。
 自分はいつまで、納得を上書きしなければいけないのだろう――という、ゴールの見えない問いかけ。
 なにがあろうとも母はなにも答えないと考えて、諦め混じりで下を向く。動じないことや失言を避けることは為政者として正しい態度なのだろう。

 記者たちは粛々と墓参りを済ませている女王一行にしびれを切らせたのか、口々に不満を言い始め、言葉に無数の棘を帯び始めた。何層ものヴェールに包まれているが、品のない言葉の応酬にはさすがにティアもカッとなりそうになる。

「そろそろ勇者の遺体を返還してくださいよ。本来はうちの国の物ですよ」
「王位継承の儀式よりも、地下大迷宮の発掘の方が世界にとって有意義ではないですか。ギルドの再開はいつですか」
「テロ対策もお忘れなく。次の儀式の犠牲者よりも少ないといいですよね」
「イシュタル大陸での内戦に干渉しないのはなぜなんですか? どうせ、オルテだけが平和ならいいって腹積もりなんでしょう」

 ティアの様子を察して、カーラがティアの手を優しく握ると、ティアも握り返して小さく答える。

「ティア様、我慢ですよ。こんなの雑音ですよ。雑音」
「……わかってる。シスターカーラ」

 わかっている? なにを? なにが?

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「あーあー、勇者もかわいそうに。直系の子孫が全員女で、しかもこんな貧相なんて報われないですね。どうせ、三人しか生むことができなかったのなら、生まれてきた娘たちも、産める個体数はせいぜい一人ぐらいですかねぇ。あ、もしかして生殖能力がないから、誤魔化しで留学しています?」「――っ!!!」

 恐らくなんの反応もないから、記者たちは切り口を変えたのだろう。
 ティアはまさか、自分に対して直接的な侮辱の言葉をぶつけられるとは思ってもいなかった。

「ねぇねぇ、レオナール殿下の噂知ってますか? 暴力衝動が収まらなくて、危ない薬に最近手を出しているみたいですよ」
「アマーリエ殿下はよく孤児院の慰問に訪れますが、じつはペドフェリアだって本当ですか?」
「あなたの父君イーダス殿の研究が、すべて盗作だという話を知っていますか?」
「姫様。あなた、じつは人を食べたことあるでしょう。私の鼻は敏感なんですよ」
 
 聞くに堪えない、妄想、デタラメ、空音そらね。 
 燃え上がった炎は鎮火することなく、さらに記者団の口火は燃え上がっていく。まるで自分たちごと焼き尽くす勢いで。

 なぜ、この国に来たのか?
 どこかに欠陥があるのではないか?

 これはカルティゴに留学してきてから、ずっと投げかけられてきた好奇と嘲笑だった。いつもは受け流してきた、あしらい方にも慣れてきたと思っていたのに、母が傍にいるせいなのか、その日は勝手に目から涙が出てしまったのだ。紫の瞳から次から次へと勝手にあふれて流れてくる涙に、カーラは慌ててハンカチを差し出すが、母は娘のことを目にとめることなく、魔導車に乗り込んでいく。

「あ」

 カーラは思わず声をあげた。護衛をのせて走り去る魔導車に取り残されるティアとカーラ。記者団達も二人に目もくれず、自分たちの車へと次々と乗り込んでいく。

 ぽつんと取り残されている、末姫と修道女、勇者の墓。
 弔花は打ち捨てられて、潮風に紛れたバラたちの芳香が悲鳴のように尾をひく。

 今日は魔王を封印したとされる初夏。
 暦の上での土水の七月と十の日。
 世界が救われたことを記念する日だというのに、記者たちにとっては、世界を守った勇者に対する尊敬やうやまいの念よりも、自分たちの欲求を満たせるゴシップと確実な日銭の種が重要なのだ。
 あまりにもあからさまな行動は、かえって悲しみを半減させた。

「行っちゃったね」
「ティア様、記者たちに対して侮辱罪を適用いたしますか?」
「めんどくさいからやらない。そんなのに構わないで、わたしたちも学生寮に帰ろうか。ケーキをいっぱい買ってね」
「……はい。そうですね」
「ホールサイズも良いな。バタークリームをふんだんに使って、ラム酒をきかせたケーキが良い」
「どうせなら作らせちゃいましょうよ。札束でビンタ出来るくらいのおこづかいを毎月貰っているんですから」
「あの、シスターカーラ。さすがにそれは、税金だから」

 あの日の、長い長い帰り道を忘れない。
 妙に頭と気持ちが軽いのに、二本の足が棒のように重かった。

 わたしには結局、納得するしかないのだから。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 けど、それはいつまで?
 もう疲れちゃったよ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ご……めん、なさい。ティア、あな、た、に辛い、おも、いをさせて」

 とぎれとぎれに紡がれた母の言葉に、なぜこうも胸をうたれるのだろうか。なぜこうも砂漠に雨が降り注ぐような、穏やかな心地よさを感じるのだろうか。
 辛い過去をなかったことに出来ないのに、カーリアはティアが自分の娘であることを認識し、その上でティアのことを気にかけていることが分かった。

 それだけで、自分の中の暗い淀みが解消されて、救われたような気持ちになれるなんて、それではまるで、《《わたしは可哀そうな子供ではないか》》。

「おかあさん……」

 カーリアの肩に額をあてて、ティアは絞り出すように母の名を呼んだ。すると、アマーリエはそっとティアの頭を撫でてくれた。
 マンダリンオレンジの短い髪を梳く指は、ぎこちなくて拙くて、けれども父とは違う手の感触に胸が痛くなる。

 どうすればいいの?

 テロリストたちを一掃したら、次は王位継承の儀式を行うつもりでいたのに、この期に及んで、母を犠牲にする選択を自分は選ばないといけないのか。父も死んで、二番目の姉も死んで、残された姉は命の危機に、母は生贄に捧げなければ肉体がいずれ自壊して、膨大な魔力が行き場を失い、この国を丸ごと吹き飛ばす。

「……ぁ、ティア、だい……三魔、法。ユリウスが、残し……た」
「え」

 母の声がどんどん小さくなって、聞き取るのが困難になってくる。

 そうだ、25年前のことで引っ掛かっていたことがある。

 ユリウスとダフネは試練の間に向かった。二人の身になにが起きて、無理やり試練に挑まされた母は、はたしてなにを見たのか。

「ニ、げ、て。アメリ―、ユリ、う、ス」

 涙を流し始めるクロームパープルの瞳が、再び曇りはじめて宙を彷徨い始めた。ティアの髪を梳く指もとまり、カーリアの口の端から黒い血がだらりと流れ始める。

「あっ」

 それは気を緩めた一瞬だった。
 カーリアの長い髪から飛び出してくる小さな影が、ティアの白い首筋にとりついて薄い肌を突き破る。
 ティアは理性を総動員して叫んだ。

「ファウスト殿!」
「わかっている」

――ガッ。

 漆黒のフクロウーーファウストの使い魔が鋭い鉤爪かぎつめで、小さな影を引き離した。

「これは、イシュタルスズメバチですわ。プルートス様、水のナイフで患部の切除を。私が回復魔法でアシストしますので」

 影の正体を知ったカーラは、ティアを膝枕で寝かせて早口で指示を出す。 ぐったりとしたティアは、荒く息を吐いて、体内に侵入した毒を菌糸で中和できないか試みた。

 こ、こんなところで。

 ハチに刺された箇所が熱を帯びて、たちまち全身が、火を付けられたかのように熱くなり、吐き気とともに痺れるような痛みが走った。

【つづく】

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