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【マルチ投稿】アステリアの鎖_第十一話【裏面】

「ここからは情報が断片的なので、想像で補足する形で話します。ですから事実と違う可能性がありますので、自分の言葉は参考程度に耳を傾けてください」

 やっと絞り出せたファウストの声に、ティアの胸が締め付けられた。今までにないほど弱っているファウストの姿を見て、彼がどれほど追い詰められているのかを実感し、このままだと彼は潰れてしまうのではないかと心配になる。

 わたしになにか出来ることはないのでしょうか……。

 未熟で純粋な心が訴えるも、今は彼の話を聞くしかない状況であることを、彼女なりの経験則で知っている。そして、結局、彼自身を救うのは彼自身でしかないことも。

 不意に、彼の指示によってアルに傷つけられた指が痛んだ。カーラに回復魔法をかけもらい傷がふさがったというのに、未だに切り口が外気に当たる感触や、じりじりとした痛みと血が流れているような感触がある。
 この癒えることのない痛みも、ファウストの話を聞いた自分自身によってでしか癒すことができない。
 自分たちは結局、分断された存在なのだ。生きるも、死ぬも、立ち上がるも、倒れるも、すべて自分が選んでいくしかない。

「ユリウスはカーリア陛下に対して執心がある様子でした。しかし、彼の記憶は自分が生まれる以前、25年前のテロの辺りで止まっており陛下を助けられなかったことを詫びました」

 そこでファウストは、見えない空間に向かって手を取り、両手を包み込むポーズをとった。おそらく、謁見時の場面を再現しているのだろう。

「すまない。今度こそ、約束を果たさせてほしいとも……」

 想像して、奇妙な感動と怖気を感じ、全身から汗が噴き出る。
 ファウストの方も、額から汗を流して苦し気に呼吸を繰り返し、切なげな視線をティアに向け、次に物言いたげの視線をプルートスに向ける。

 母親から外見的特徴を受けついた自分と、父が若いころの顔にそっくりのファウスト。二人を結び付けようとする見えない力と意思。
 解決策が見えない――抗えない息苦しさと心地よさが、夜族ナイトメアの思考を刺激してティアの心を苛んだ。

「車椅子を押していたアマーリエ殿下は驚いていましたよ。さらに陛下が【嬉しい】【そばにいて】と、わずかに自我を取り戻したご様子に、殿下は複雑そうなお顔をしておりました」
「……アメリ―お姉さま」

 多分、三姉妹の中で長女のアマーリエが一番母親に愛されたかった。
 エルフの血が入っていた故に、姉は物心がつくのが早く、高い知能ゆえに周囲は彼女に期待を寄せた。
 今思えば、彼女が年齢相応の子供らしい振る舞いが出来た場所は、北の離宮――イーダスがいた場所のみ。
 アマーリエは養父を慕っており、父の関心を引きたいがゆえに末妹ティアを過剰に構い、次女レオナールを攻撃していた一面がある。
 拙く愛情を求める姉は、実子ティアの存在を通して、イーダスが自分の望む愛情を与えてくれないことが分かってしまった。
 だからこそ早い段階で政務に携わり、自身の承認欲求を満たそうとしたのだろう。レオナールも同様に早々に見切りをつけて、国内のみならず、国外の大会に出場し、華々しく活躍するようになったのも、今にして思えば納得できた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ティアは一番上の姉が報われて、幸せになる未来を想像できない。
 姉の美しいバイカラーの瞳――瞳の上が赤く、下にいくほどにトパーズ色に変わっていく二色の目は夕日の沈む空に似ていて、太陽の明るい夕日の空よりも、月のない夜闇の暗さを感じさせる、悲しみでにじませた闇が姉の瞳の美しさを引き立たせていく。

 悲しみが美しく見える、あまりにも哀れな一輪のバラお姉さま

 青バラに生まれたがゆえに、アマーリエはどんなに努力を重ねても貴族の義務に片付けられて、個人的な幸福も周囲が許してくれない。
 自分の周りが敵だらけだというのなら、せめて血の繋がった肉親にだけは味方でいて欲しいと、アマーリエは母と妹に対して報われない努力を続けている。

 わたしには理解できないけど。

 ティアは自分が実の父親に愛されていた自覚がある分、母親に対する思慕が薄いのではないかと、自分自身を分析する。雨を浴びる草花のように、当然とイーダスからの愛情を受け取り、彼女自身の糧にしてきた。
 だが長女として、エルフの王の娘として、物心ついた時から青バラの自覚を植え付けられた長女は、国の為に心を失った母に、優しくも血のつながりのない父に対して、どのような感情を燻ぶらせていたのだろうか。
 想像するのが恐ろしかった。姉の愛情を肯定することも、否定することも出来ない末妹は二人の姉を疑った。他国へ留学している自分とは違い、二人は自国を中心に活躍をしていたのだ。
 ティアが気づいた国の根幹に巣食う裏切り者の存在に、二人が気づかない方がおかしい。そして放置している現状についても、腑に落ちないことが多すぎた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ここでサードの異変にアマーリエ殿下が気づいて、ユリウスと話をすることになり、25年前のテロで自分の死を覚悟したユリウスは、自分の母であるダフネに頼んで、試作段階のサンプルを彼女に託しました。……えぇ、今でも半信半疑です。つまり自分は、父がもしもの時に生み出した劣化コピーだった。ユリウスの理論的には、記憶も継承することになっていたのだけど……」

 数多あまたの感情と言葉を織り交ぜた翠色すいしょくの瞳がプルートスに向けられる。静かに部下の言葉に耳を澄ませていたプルートスは、やや逡巡した後に、うっそりと口を開いた。

「お前が普通に、イーダスに懐いていたから失敗したんだと思ったんだ。もしユリウスの記憶があったんなら、真っ先に俺へコンタクトをとるだろうしな。お前がお前として生きているんなら、それでいいと思ったし、まさか魔導方面じゃなくて、司法を志すなんて俺の方がびっくりさ。まぁ、お前の存在を許したくない、ウェルギリウス家の圧力もあったのかもしれないが」

 純血の人間種を誇りとする父の生家は、ファウストの人生にことごとく干渉してきたのだろう。救国の英雄として祭り上げたイーダスは事故死、ティアは留学、ユリウスに至っては病死と、不本意な結果の連続であり、ファウストは一身にウェルギリウス家のヘイトを背負うことになったのだ。

「自分が思うに、サードの喪失による怖れとストレスがユリウスの人格を呼び起こした引き金になったのでしょう。ユリウスとアマーリエ殿下は、話しているうちに、襲撃事件が裏切り者の手引きで行われた可能性に行き当たりました。この時点でのレオナール姫の失踪に関しても、亡命を唆されたことで軍関係のみならず、もしかしたら国内のスポンサー、企業もあやしいとも可能性が浮上し、今回の王位継承の儀式を利用して、オルテの王室【だけ】を潰そうともくろむクーデター計画が、裏で進行しているのではないかと二人は結論付けたのです」

 淡々と語られる内容に、ティアの顔が強張っていく。
 11年前に父が死んだ時から、うっすらと感じていた権力の影に蠢く裏切り者たち。彼らは都合の悪い真実に気付いた人間を次々と手をかけて、魔手をティアにも伸ばしてきた。
 黒幕はクロノス商会なのかもしれないが、自国の軍隊や企業が自分たちの利益を優先していることを信じたくない。
 自らの利益しか考えることができない集団が、封印されている魔王よりも恐ろしく感じるなんて、おかしいだろうか。

「つまり本来のターゲットはオルテの王室。清貧を強いるアステリアの亡霊と青バラたちの存在が目障りだから、明日という儀式当日ではなく、姫様が帰国した今日にテロを決行したのでしょう。軍の動きが鈍いのが気になりますが、ユリウスとカーリア陛下、アマーリエ殿下は霊廟で籠城しテロを迎え撃ちつつ、王位継承の儀式を並行して実行することを考えたのです。そこでユリウスは、儀式のときに発生する膨大な魔力を使用して、サードの肉体から新たな肉体を作り、カーリア陛下の人格を移植しようと考えました。……なんだかまるで、アステリアの思想を植え付けて支配する、オルテの王家のやり方に近い気がしますが、話を戻しましょう」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ここまで話してお察しの通り、陛下たちは誰も信じられない状態でした。追い打ちをかけるようにレオナール姫の死が確定し、アマーリエ殿下はさらに心情的にも追い詰められたのではないかと思われます。……ですが、ですが、自分には信じられませんでした。信用できる戦力を手に入れるために、こんなことをするなんて」

 ファウストは拳を握りしめ、血を吐くような声で言った。
 彼の胸を渦巻いているのは悲しみと悔しさと寂しさだった。そして同時に怒りもこみ上げている。今のファウストの心情は、デタラメに絵の具を混ぜた時に行きつく、グレーに近い奇妙な色合いを想起させ、混沌とした感情が、彼から公平さと冷静さを奪っているのが見て分かった。

「アイツは、ユリウスは、アマーリエ殿下の腕を食べて、自分サードの肉体から数百の分身を作り出しました」

 思い出して辛そうな表情をするファウストは、吐くのを堪えるように口に手を当てる。サードを通じてアマーリエの血肉を食べた食感が、ファウストへダイレクトに伝わってきたのだろう。だからあの時、盛大に嘔吐したのだ。

 アメリ―お姉さま、お肉……。

 ティアは想像して、口内から唾液があふれるのを感じた。
 魔力を補充するために、ユリウスはアマーリエの体の一部を求めて、姉は求めに応じた。去年の秋から姉は覚悟を決めていたのだ。腕の一本ぐらい安いものだと彼女が快諾して、自らの腕を切断する光景をティアは見た気がした。

「…………」

 秋の陽光に照らされた、肌理の細かいアマーリエの白い肌。香しい赤い血。柔らかな女性の肉。記憶と妄想が空腹を煽る。エルフは高い魔力を保持しており、ハーフエルフの姉の血は芳醇な魔力を帯びて、空のワイングラスを満たすようにティアの肉体を満たしていくのだろう。痛みで悶える姉の悲鳴が、堪える表情が、夜族の本能を刺激してアマーリエをさらに蹂躙したくてたまらなくなる。

 あぁ、うらやましい。アメリ―お姉さまのお肉、食べたい。

 まさに夜族そのものの思考となったティアには、ファウストがなぜそこまで苦しむのか理解できない。彼だってティアの体液を啜り、枯渇しかけた魔力と生命を補充したではないか。

 願わくば再び血の味を堪能したい。
 血だけではない、
 その肉を、
 骨を、
 全部。

『ティア、なにをしているんだ! やめなさいっ――』
「――っ え?」

 お父さま?

 それは白昼夢のようだった。
 夜族の思考に囚われたティアに、内から響きあがったイーダスの声。
 幼い自分の影が父の瞳に映り込んで、陽炎のように揺れている。
 娘の両肩にかかる両手が、汗で濡れて震えており、逆光で見えない顔には。

――パン。
 弾けて無くなる。弾けて消える。
 見えない無数の泡が弾けて消えて、ティアは自分が夢を見たのだと錯覚する。

 あ、いけない、いけない。ファウスト殿の話に集中しないと。

 と、彼女は素知らぬ顔で現実に戻った。自分の不埒な思考を周囲に悟らせることなく。そして行儀よく。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「その姿かたちはみな三歳から五歳ぐらいの子供で、ペルセを襲撃してきた賊共も、ペルセに逗留していた儀式の参加者たちも驚いたことでしょう。子供たちの内在している魔力を暴走させて自爆特攻させた挙句、爆発に紛れた毒ガスーー自爆した肉体に内包している鬼菌糸種マタンゴしゅの胞子をそこら中にばらまいて、参加者ごと賊たちをまるごと一掃したのです。この地獄絵図を思い出しただけで……」
「……そんなっ」

 ここで、ようやくティアはファウストの嫌悪に共感できた。
 ファウストが観たであろう、血肉と臓物が飛び散った壮絶な地獄を想像し、顔を青ざめさせた。
 ペルセを襲ったテロリストたちが、ライラの生き残りであるのなら、メンバーのほとんどが純血の人間種である。対するティアのような人間種の血が混ざっているマーブル混血晶たちは、人類種の気を引くために人間の外見に近く、美形で生まれてくることが多い。
 つまりテロリストたちは天使の容貌を持つ子供たちに、自爆特攻を仕掛けられたのだ。彼らの目的が復讐とはいえ、いや、復讐という良識があるからこそ幼気いたいけな子供に復讐の刃を向けることができず、戦線が維持できずに全滅したのだろう。
 しかし、ティアの隣にいるカーラはあっけらかんとした顔で、ふぅと息を吐く。

「んまぁ、洗脳した少年兵を使って自爆特攻するなんて、戦場ではよくあることですね。そんなスタンダードな戦法が通用するなんて、賊たちのほとんどは、戦場の経験者がいないということですか。そうなると、彼らをまとめているのは東洋の虫使いである可能性が近いですね。自爆特攻戦法で虫使いが倒せていればいいのですが」

 彼女はティアに仕えるまで、万年紛争地帯であるイシュタル大陸で傭兵家業をしていた。本業だった彼女の分析から浮かび上がるのは、実戦経験までひきあげた烏合の衆を統制する存在。コハクの自白で存在が確認され、小さな蠅の脳みそに魔力を紐づけるほどの実力者、ある意味、一番敵にまわしたら厄介な相手だ。
 
 カーラの分析にファウストは顔をしかめつつ説明を続ける。

「しかし、思わぬ伏兵が現れて、三人は霊廟の奥へ退却を余儀なくされました。そこでアマーリエ殿下は叫んだのです【お父様……なぜ?】と。自分がユリウスの目を通してみてきた映像はここまでになり、自分がサードたちに連絡を取ろうとしたところで、ユリウスは自らの正体を明かし試練間に避難しているところを告げたのです。……惜しくは、伏兵の正体が判明せず、アマーリエ殿下のお言葉のみになりますが」

 ようやく語り終えたファウストは、警戒心を滲ませた視線をティアに向けた。

 今までのファウストは王立警察 警視総監補佐として、あからさまな態度をとることはしなかった。ティアに対して多少の慇懃さはあるが、異国帰りの末姫を一定の敬意と良識をもって接してくれた。

「ファウスト殿、なぜ、そんな目でわたしを見るのですか?」

 疑心で濁る翠色すいしょくの瞳からは、ティアに対する温かみが失せて、やつれた白い面差しには疲労の影が浮き上がっている。
 自分が疑われている状況が、少女にはたまらなく辛かった。夜族の衝動に苦しむティアに対して身を削り捧げてくれた彼が、お互いの呼吸を合わせて尋問をしたファウストが、使い魔を差し向けてケガを負わせ、疑いを眼差しをティアに向けている。

 彼の中では、自分たちに説明しきれなかった多くの情報が渦巻いており、ティアことクラウディアが疑われる立場に追いやられてしまったのだ。

 でも、それならどうして?!

 直接的な理由とするならば、一番上の姉が【お父様……なぜ?】と呼んだことが起因しているのだろう。
 アマーリエことアメリ―が父と呼ぶ人物は、二人。
 育ての親であり、ティアの実父にあたるイーダス。
 彼女の実父である、エルフの王――アポロニウスの二人だけしかいない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ただ、エルフの王が物理的にここに来ることは不可能だ。
 魔王と魔物たちによる虐殺で、深刻なダメージを与えられた長命種たちは、純血種を守り数を増やそうと血道をあげている。それが王族となると、半ば幽閉される形の生活様式となり、世間に出ることはめったにない。
 特に魔王の侵攻によって年長者を中心に虐殺されたエルフにとって、まだ500年と少ししか生きていないアポロニウスは、人間換算にすると十代後半にすぎない若い王なのだ。
 周囲は過保護なレベルで、アポロニウスを守護し一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを記録するほどの徹底ぶりである。

 オルテの危機を知ったとしても静観を決め込むのが想像でき、アポロニウスの意思はともかく、賢者の国エオスが義理を立てる存在は魔導姫のアステリア、勇者アレンの二人しかいないのだ。
 エオス側としては、本音ではカーリアに対して良い感情を持っておらず、実の娘であるアマーリエに関しても、彼女の才気を認めつつも存在を認めたくないのが本音。
 アポロニウスがカーリアの伴侶の一人となったのは、アステリアの意思が動き、玉座の石碑がアポロニアスを選別したからに過ぎない。

……よって、エルフの王がこの場にいない根拠とするならば、アマーリエの言葉は、11年前に死んだイーダスのことを示しているのである。

 お父さまが生きている? そんなことって。

 頭痛を感じてこめかみを抑えると、マンダリンオレンジの短い髪が海風に揺れた。変装や変身の可能性も浮上したが、アマーリエはエルフの王の血を引いているのだ。高い魔力は変身や擬態、隠ぺいを見破り、その瞳に真実を映し出す。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「それで? お前になんの根拠があって使い魔に殿下を襲わせた」

 思考が飽和状態になったティアを見て取り、プルートスが野太い声で部下を問う。今にも射殺しそうな視線で、ファウストは睨まれたが、彼は臆することなく平然と答えた。

「死を超克ちょうこくして、我が物顔で現世に影響を及ぼしている人物を、自分たちは二人知っている。一人は魔導姫アステリア、そしてもう一人がサードの身体を乗っ取って復活したユリウス……。さらに言ってしまえば、イーダス様は姫様の父上であらせられる上に、我が父であるユリウスの双子の弟であらせられます。もともとの目的が我が子の身体を乗っ取っての復活だったのでしたら、姫様の身体にも生前のイーダス様が、なにかしらの仕込みを入れている可能性があり、復活された今、姫様の肉体を通じて自分たちを知らずに内偵している可能性がありました」
「…………それは、そんな」

 あくまでファウストの言葉は推論にすぎない。しかし、否定する根拠がないことが、ティアの言葉と胸をざらりと詰まらせる。

「隠ぺい魔法を解除するには、尊き青バラの血ブルーローズブラッドが必要だと分かった時、閃いたのです。姫様の身体には、自分の菌糸が残っている。そこでアル使い魔に姫様の血を吸わせて、魔導のパスを繋げました。これで姫様に異変が起きた場合は、即座に自分の使い魔が対処してくれるでしょう」

 つまりネズミが猫に鈴のつけた状態にしたのだ。もし父がテロリスト側にいるのだとするのなら、実の娘であるティアへ疑いがかかるのはわかる。そして、父を止めるのならば、自分が人質として適任だということも理解できる。

「…………」

 ティアはピンク色の唇はつむぎ、いつものように物分かりの良い顔をしようとした。言葉を飲み込んで、相手に事情を汲んで納得しようとして、湧きあがる不安をなかったことにしようとした。
 それはいつもの事なのだ。自分の意思に反して、外国へ留学に行くことになった時も、父の国葬に出席できなかった時も、カルティゴでの生活もなにかもが……。
 だから。

「ティア様、泣かないでください」

 カーラの言葉でティアは自分が泣いていることに気づいた。視界が曇り塩味のする雨が顔を濡らし、嗚咽が細い喉の奥からせり上がってくる。
 こんなにも自分は彼に対して信頼を寄せているのに、ファウストはそうではないという現実が未熟な心を締め上げるのだ。彼は国を守る立場がある、ティアに対する態度は正当なものなのだ。

 だから、幼稚な感情に振り回されている、わたしの方が間違っている。

 カーラがポケットからハンカチを取り出して、ティアの顔を拭うが、彼女に向けられた優しさに惨めな気持ちが止まらず、自嘲気味に口元が歪んでいくのがわかった。

 どうすればいいのかわからない。
 何を言えば、何を伝えればいいのだろう。
 わたしは、お父さまを信じたいだけなのに。
 わたしは、あなたに信じてほしいのに。
 どうしてこうなったんだろう?
 わたしはただ―――。

 頭の中をあふれかえる「わたし」という単語。ぐるぐると渦を巻く思考の海におぼれかけるティアは、懇願するような視線をファウストに向けるが、ティアの視線に気づいたファウストは、淡々として様子でカーラの持つトランクを指さして言う。

「姫様。念のために、姫様の持ち物をあらためてもよろしいか?」

 ファウストは彼女の涙に動揺せず、冷静な判断を下していた。その事実がティアの心に重くのしかかり、ティアは小さく首肯することしかできない。

「殿下。気を悪くしないでくれ。それに、このトランクの中に入っているものは、別に危険な物でもないのだろう?」

 フォローにまわるプルートスは、ティアの肩に手を置いて優しく語り掛ける。

「…………」

 ティアは無言のまま、プルートスの手を払うように首を振った。プルートスの気遣いはありがたかったが、その優しさがかえって痛みを増幅させた。

 ファウストはトランクの留め具を外し、中身を取り出すと、一つずつ確認していく。書類の束、研究機材、水晶瓶に詰められた薬剤を取り出して元に戻し、彼がようやく納得したことでトランクが閉じられる。

「姫様はどのような意図で、この荷物をオルテに持ち込まれたのですか? これは明らかに、血統鑑定に使われる薬剤ですね?」

 問いかけるファウストの声が、砕ける波の音よりも明瞭に響いた。

【つづく】

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