【マルチ投稿】アステリアの鎖_第四十一話【天泣】
回想の中でデオンは自問する。
自分は果たして、何になり果てていたのかと。
市街地の一角が爆ぜて、黒煙が世闇に溶け込み、いよいよ騒がしくなってきた。
「デオン会長! ご無事ですかっ!?」
駆け込むように部屋に入ってきたのは、若い男だった。複数いる秘書の一人であり、名前を覚えるほどのヘマはしていない程度の認識。
彼は上司の無事な姿を確認して、安堵で表情を緩ませつつ、擬態が解けたデオンと目が合った瞬間に、口元に手をあてる。
「うっ、この姿と匂いは人間の、しかも、純度の高い」
秘書の男は、自分が今起きている現象を、自分の認識とすり合わせるように言葉を発している。非常時であるがゆえに、秘書に内在している、人食いの血が騒いでいるのだろう。
人間と外見はほぼ同じでありながら、彼らの内に秘めているどす黒い衝動はまさに怪物であり、デオンの正体が長命種ではなく人間だと知った瞬間に、その認識と双眸は獣に変わるのだ。
エサが、言葉を使っている。と。
「う……っ、こんな、こんなときにぃ……っ」
秘書の男は苦しそうに呻いた。口から涎をダラダラ探して、血走った瞳は瞳孔が開き、露出している肌から無数の鱗が浮き出ている。
そういえば、この男には、バジリスクの血が入っていたかもしれない。
石化の魔法を操る爬虫族の代名詞。しかし、人間の血がわずかに入っているからこそ、人間であるデオンは彼を秘書に選んでみた。
いずれ訪れるであろう極限状態に追い込まれて、自分の身の回りを取り巻く多種多様の人外たちが、どのような反応を返すのかデオンは気になり、興味を持ったからだ。
「逃げ、ニゲ、二ににぃ……っ」
口では人間のようにデオンを案じつつ、彼の手から鉤爪が生えて、歯列が三角に尖っていく。獲物を捕らえるために変貌する肉体と翻弄される理性に、デオンの茶色い瞳は冷ややかだ。
「あぁ、あああー」
秘書は叫んだ。デオンが逃げないと見るや、天井ギリギリに跳躍して襲い掛かる。
これはこの異世界で当たり前の光景であり、数億回も繰り返してきた確認作業。
鉤爪を大きく振りかざし、着地した秘書は、そのままどさりと床に転がった。首が切断された状態であり、いずこかへ飛んだ秘書の首はデオンが手に持っている。
まるで手土産のように、秘書の髪を掴んで持ち上げる仕草は、当たり前のようにて慣れていて、そのままデオンは秘書の首を窓の外へと投擲した。
これはいつものこと、同じことの繰り返し。
破ることのない予定調和。
もはや形骸化した作業の中で、デオンは絶望を深くする。
――この世界に救いはない。
人外の血に汚染された、混血晶も救う価値がない。
救う? 初めから、そんなつもりなんてないクセに?
デオンの滑稽さを嘲笑う魔導姫を、自分たちは500年前に封じたと思っていた。
伝説は美談と政治に落とし込まれて、二つの特異点である彼女たちの動きを永遠に封じることができれば、未来は無限に広がっていくと信じていたのだ。
500年前の、その時点までは。
オルテの内政を仲間たちに任せ、クロノス商会を立ち上げて、世界の経済面を支配する。流通と経済を抑えることで、亜神の血がもたらす奇跡を利用した産業革命で、このデーロスを汚染し続けて、巨人族に退化した亜神たちの先祖帰りを阻止する計画は順調だった。
いや、と、デオンは首を振った。
なによりもデオンが、順調だと思いたかったのだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ごきげんよう。麗しき戦姫、お楽しみの最中ですが、お時間をいただきたい」
「ウッ、あ、あはははは……」
もはや自分が何者であるのか、忘れてしまった黄色の瞳。護衛だった男の首を跳ねて、その死体で体を慰めていたオルテの次姫は、突然の侵入者に美貌を蕩かせた。
あぁ、バラが枯れる。
世界格闘大会【混血晶総合格闘技世界大会】に咲く常勝の黄色いバラが。
「あ、人間。おいしい、匂い。イーダスとうしゃまとおなじ」
焦点の合わない目が、デオンを捉えて舌なめずりをする。もはやそこにあるのは、世界格闘大会で活躍していた選手の顔でも、魔導王国の第二王女の威厳もない、ただただ自身の欲望を満たすためだけの獣にすぎない。
「あぁ、ひどいな」
次姫に殺された護衛の男は魔導生命体だと聞いている。
しかも感情を持った、完成された生命体だと。
デオンは王女だったものを観察し、魔導生命体に感情が宿っている証拠を見つけて顔をしかめた。
感情のあった証拠、第二王女の腕にある無数の切り傷――おそらく防御創だ。
生きたいと抵抗する意思は、まさに感情のなせる業なのだ。
魔導生命体のオリジナルは、かつての上位世界探索メンバーだった【キュプロクス】の子孫であり、彼の父親は宝石眼を持たずに、上位世界に干渉する【第三魔法】を行使することができた。
それは驚くべき技術であり、なんとか論文や資料を抑えることに成功はしたが、再現するには人材もコストも予想の百倍かかって、イシュタル大陸での実験が思うように振るわず、わずか三年で廃止することになった。
かろうじて残ったのは、魔力の扱いが長けている、デオンだけしか使えない転移方陣であり、一度行ったことがある場所でしか使用できない制限付きである。
まさに惜しい。ユリウスという稀代の天才を逃したことも、その息子のファウストを囲い込むことに失敗したことを、何度も何度も後悔した。
――ぱちん、とデオンは指を鳴らし、転移方陣を発動させた。
場所がホテルの一室ではなく、月が海に沈んでいる闇夜の海岸に切り替わり、突然の出来事に、次姫ことレオナールの理性がわずかに戻る。
狂気よりも勝った生存本能に、黄色の目が見開いて、血まみれの裸体が青白い月光を帯びて不吉に輝き、波打つ長い金髪が磯風にそよいでいる。
「あ、ここわ、うっ」
「あぁ、苦しいですか。抗えないですか。本当に、本当にファンとして残念です。まさか、本当の意味で天使へと先祖がえりを果たす個体が、貴女だったとは」
だが、取り戻した理性は長くもたない。
狂気で瞳が淀み、捕食者の顔となった次姫はデオンに狙いを定める。
「う、あ、私、私、は、コワシタいの、キもちヨくなりtaいノ。もっともっともっとおおおおおおおおおっ!!!!」
彼女は負けた、屈した、尊厳を守ることよりも、本能のままに生きることを選んだ。
雄たけびを上げて背をそらした瞬間に、肩甲骨が変形し、皮膚を突き破り、飛び出した骨がマナを吸収して純白の羽根らしきものを形成する。
――天使。だが、まだ完全ではない。
彼女をこのまま放置すれば、甚大な被害が出るどころか、彼女の存在を核にして半巨人族は天使に返り咲くのだろう。
天使の羽。彼女の父親に、先祖返りの兆候があるのに、レオナールはこれまで放置されてきら。
原因は復活した魔導姫が、オルテにいるデオンの仲間たちを、ナノマシーンで屍人人形にしていたからだ。
いつもそう、気づいた時には大惨事であり、レオナールの監視を強化したところで、デオンは凶行に居合わせた。
「貴女には、死んでいただきます」
天使の復活。
それだけは阻止しなければならない。
「あ、あぁ、いぃ、ぅごく、ぃいいいいっ」
だらしなく涎を垂らしながら、レオナールは叫んだ。
全身を駆け巡る万能感に酔いしれて、背から生えた純白の翼を大きく震わせる。
「これが、これが、本当のわたしいいいぃいっ! もう二度と、もう二度と……」
言い切らないうちにデオンが腕を振ると、レオナールの鼻穴から血が伝う。
「え、へ?」
自分になにが起こったのか分からない。分かりようもない。
ましてやナノマシーンの存在すら知らない、この世界を維持するために生み出された人形ごときが、単独で真相に辿り着くなどありえないのだ。
「これまでの悪事を、裏でもみ消してきたのは貴女の姉か? 半巨人、いや、天使としての破壊衝動を抑えられずに、どれほどの命を犠牲にした?」
次姫の罪を語るデオンに、黄色い瞳が見開かれる。
自分の罪に怯える子供のような顔になり、頭を抱えてイヤイヤするも、少しでも時間が経てば、天使の本能が彼女から罪悪感をかき消して、心の内側を真っ白に漂白するのだ。
空っぽで、なにもない、無力な三姉妹。
そういう設定であり、アステリアの介入がなければ、恐らくは何も苦しまずに終れたのに。
「あ、あぁあああああっ」
喉を反らせて、怒りと恐怖の悲鳴がほとばしる。
双眸から赤い血を流し始めて、身をよじり、白い翼から朽ちた花のように羽根がボロボロと落ちていく。
彼女の身体に侵入したナノマシーンが、体内を蹂躙し、マナ神経肝と脳細胞を破壊したからだ。
外傷はないが、彼女の内側はミンチのようにぐちゃぐちゃとかき回されて、倒れていない方が不思議なのだ。
「さすがにしぶといか」
憐れむようにデオンは言うと、手のひらに電流をほとばしらせた。青白い火花をバチバチ鳴らせて、レオナールの全身を包み込むと、光の柱が夜空を突き刺して消える。
――っ!
電撃魔法からなる外側の電流と、彼女肉体に侵入したナノ単位の群体が発する電流。内と外からの膨大な電撃は、通常の相手ならば死体が残らずに蒸発するのだが……。
「……」
蒸気を発しながら原形をとどめている黒こげの身体に、デオンの表情が険しくなるのを感じた。
焼けただれた皮膚をぎこちなく動かしながら、こちらへ向かってくる体。こんな状態でありながらも、本能につき動かされている人形。
彼女の体内に潜伏しているナノマシーンが、現在のレオナールの脳内信号を読み取って、デオンに伝えてくる。
『助けて』と。
デオンの視界に展開する――レオナールの被害者たち。
原形をとどめることなく、全身を殴打されて、歯をすべて折られて、内臓を引きずり出されて、果ては死後も彼女に辱められる。
血肉と肉欲の饗宴には、ときおり彼女の姉である第一王女の姿もあり、アマーリエも、嬉々として幼気な少年を押し倒して、陵辱の限りを尽くした。
『助けて』
衝動抑制剤が次第に効かなくなって、レオナールもアマーリエも自分を慰めるために弱者を貪り、虚ろな身体を快樂で満たした。彼女たちの原所には、一番下の妹の姿があり、彼女の幼い体をもう一度蹂躙したいという切望が……。
――やめるんだ!
だが、その欲望は養父の声でせき止められる。
不自然に、強制的にせき止められた欲望。本来ならば、適宜発散させてコントロールされるはずの欲望は、一人の男のエゴによって歪められて壊された。
レオナールにもアマーリエにも、自己を自己たらしめる、軸となるソレがない。
末妹が養父に抱きしめられて、万感に満たされた紫の瞳が自分たちをじっと見つめている。
まるで、自分を誇るように。
まるで、愛されていない姉たちをせせら笑うように。
『父様! いかないで!』
『……』
レオナールを拒絶する実父は、レオナールを愛しているが、どこか娘を恐れているようだった。
『カーリア、すまない』
消え入るような零された、父の言葉がその答えなのだろう。
どんなにレオナールが愛を請おうとも、自分が生まれる前の過去を変えることなんてできない。
『姉様。姉様はどうしてティアに、ファウストのことを紹介しないんだ?』
去年の秋、レオナールは帰りの海上電車で姉にたずねる。
向かい会う席で気だるげに足を組んで外を眺める姉は、めんどくさそうにバイカラーの瞳をレオナールに向けると、小さくため息をついて言うのだ。
『必要ないでしょ。どうせいつかは知るのだろうし。今知ろうが後で知ろうが同じことじゃない。ねぇ、セカンドにサード』
と、隣の席に座る護衛たちに、一番上の姉は笑いかけるのだ。
ファウストを養父から紹介された時、当然ながら二人は驚いた。養父を若くしたら、ちょうど彼のような容貌になるからだ。
そのファウストから作られた魔導生命体である、サードとセカンドも当然、ファウストと同じ顔をしているが、普段はサングラスや帽子をかぶることで容姿を隠し、髪の一部を染めることで彼らは彼らを識別していた。
アマーリエのセカンドには、前髪の一部に朱色を。 レオナールのサードには、サイドの髪を金髪に。
それがまるで、自分たちの所有の印に思えて、妙な安堵感をレオナールは覚えた。
……けど、見たかったな。
養父に似た男を侍らせる自分たち。
ティアにサードとセカンドをその場で紹介しなかったのは、いつか目にするだろう、自分たちを見下していた紫の瞳が、驚愕で限界まで見開かれて、怒りと悲しみと羨望で彩られていくのを、自分たちのベストなタイミングで鑑賞するためだ。
末妹のマナ神経肝を壊して、異国へ追いやっただけでは足りない。子供じみた独占欲だろうとも、ティアを絶望させたい。可愛らしい容貌を悲しみで曇らせて、涙と鼻水でみっともなく取り乱した姿を観たいのだ。
――愛されているのは、自分だけじゃない
と。
ただただ、訴えたい。
叫びたい。
思い知らせてやりたい。
あぁ、だから。
「あぁ、そうか。辛かったんだな」
勝手にレオナールの過去を読んだ男は、彼女の体躯を抱きしめて、幼子のようによしよしと背中を撫でられる。
「…………」
ただそれだけ、ただそれだけなのに。
「父様……」
レオナールは満たされた。
「――」
ようやく生命活動を停止させて、デオンはレオナールの身体をあっさりと浜辺へ放り出す。
「哀れだな、やはり混血晶にとって、死は救済でしかないのか」
……その数日後、海に捨てたレオナールの死体が発見された。
もっと早く、彼女を発見して欲しかったと、デオンは勝手に思った。
【つづく】
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