【マルチ投稿】アステリアの鎖_第十話【分身】
このまま砂浜にいくのかと思ったら、坂の途中でファウストが立ち止まり、彼の肩にはいつの間にかフクロウがとまっている。確か、彼のスキルに【ビーストテイマー】があったことをティアは思い出した。
このフクロウは、ファウストの使い魔かしら?
おそらく【魔力菌糸体のネットワーク】に寄生させていない、本来の手順で契約した使い魔。
東洋のダルマを思わせる丸々とした漆黒のフクロウは、ルビーのように赤い瞳を持ち、その瞳で下り道とともに続く護岸の壁を凝視して、やがて「ホウッ」一鳴きする。
どうやらフクロウの瞳を借りて、隠ぺい魔法が掛けられている場所を探っていたらしい。
「姫様、隠ぺい魔法を解除するには、王族の血であらせる【尊き青バラの血】が必要です。どうぞ、その尊きお体を傷つける身勝手をお許しください」
「え、ファウスト殿」
いきなり改まった口調で臣下の態度をとるファウストは、戸惑うティアの手を取った。
「キャッ」
バサバサと羽ばたく音に驚いた束の間だった。
フクロウが鋭い嘴で、ファウストが手を取っているティアの手をついばみ、坂道に赤い雫を滴らせる。
「な、なにをっ」
ティアは手を引っ込めると、赤い血が花びらのように舞った。
「姫様、大丈夫ですか」
カーラが慌てて回復魔法をかけて、プルートスは突然の部下の暴挙に声を荒げる。
「ファウスト、なんのつもりだっ! なんで、使い魔を使った!」
魔導王国オルテュギアーにおいて、身分が上がるほど武器の所持が許されない。この世界の守り手であり、魔導王国と標榜する国として、民として、刃物や拳銃といった原始的な武器を使うなどもってのほか。
魔導とは、魔法を使い己と世界と接続する技術。この身、神羅万象、己を取り巻くすべてが、最高の武器であり盾であるべきと幼子の頃から教え込まれ、種族スキルはやむを得ないが、直接な暴力を忌避するように育てられるのだ。
コミュニケーションに暴力と恫喝を選ぶことも卑しいとされて、昼間にプルートスが暴力的な演技を見せたのも、待合室に人を近づかせないようにする配慮であり――忌避する心理を逆手に取られるほど、暴力に対してアレルギーを持っている。
(余談であるが、レオナールが格闘競技の世界大会で華々しい活躍をしなければ、オルテの国民は暴力を嫌うあまりに、さらに内にこもり陰湿な気質にさらなる磨きをかけていたであろう)
魔導王国オルテュギアーの国民が振るう力は、世界の理。
ただそれのみ。
斬撃ならば、水魔法か風魔法。銃撃ならば、炎魔法か雷魔法。防御ならば、土魔法に光魔法。
窮地に陥るならば当人の力不足と知恵、知識の不足が原因であり、敗北と闘争は嘲笑の的である。
ゆえに、オルテの民は強固な価値観により500年もの間、青いバラが咲き誇った。
「答えろ! ファウスト」
プルートスは部下に詰め寄る。
オルテの民の流儀に乗っ取るのであるなら、王族に対する礼儀として、水魔法のナイフで、ティアの指に軽く傷をつけるべきなのだ。
痛みを感じさせず、品よく鮮やかに水のナイフで美しく傷をつけなければ、高官としての資質が問われる。
使い魔を使用して、直接的に傷をつけるなんて不敬を通り越して野蛮な行為であり、王立警察 警視総監補佐の肩書を持つ者がやっていい行為ではない。
「おまえは、ユリウスの【目】を通してなにを見た?」
プルートスの低い声に気迫がこもる。彼の身体から青白い魔力の奔流が流れ出し、彼の怒りに呼応して空気が震えた。
「答えろ。俺を怒らせたらどうなるか、お前が一番よくわかっているだろう」
その言葉にティアは戦慄する、プルートスの魔導の技術とコントロールは体内の水分を操るまでに至るのだ。下手をしたらファウストは全身の水分を暴走させられて、瀕死相当の脱水症状に見舞われる。
ファウストはプルートスが本気だと気づいて、眉を少し動かした程度であるが、感情に確実な変化があった。
「報告連絡相談は捜査の基本でしたね。そして、あなたが必要だと判断すれば、部下を切り捨てられる人間だということも、自分は知っている。そう、よく知っていますとも」
ゆっくりと語りだすファウストの声には、憂鬱気な気配がこもっていた。心なしか、彼の右肩に止まっている使い魔のフクロウも、不機嫌な眼差しでティアたちを眺めている。
ティアの血によって、護岸の壁の一部に施された隠ぺい魔法が解かれたものの、先へ進むにはユリウスを通じて試練の間で何かが起きているのか、それを知るのが最優先なのだ。
ややあって、ファウストは答えた。
「自分はユリウスの【目】を通じて、霊廟の中にある試練の間が、今、どのような状況なのかを見ました。【マナマイ】で自分とナインバーズは脳内回線を通じて、その時の記憶と感情も共有できるのです」
ティアはファウストが【魔力菌糸体のネットワーク】を【マナマイ】と略したことに驚いた。名の喪失は死と同義であり、合理的であろうとも、名称の省略は避けなければならない。魔力は存在に宿り、名前はその存在を表す唯一の手段である。
それを一番よくわかっているファウストが、自身のオリジナル魔導の名前を略したのだ。事態はかなり深刻なのだろう。
「……しかし、ユリウスによってサードが乗っ取られた影響なのか、自分の頭に送られてきた状況は断片的な物であり、勝手に断言してよいものなのか迷いが生じました」
神妙な態度で語るファウストは、暗い視線を隠ぺい魔法が解除された隠し通路に向ける。そこには、まるで切り取ったかのように、護岸の斜面に石造りのアーチで縁どられた入り口と石畳の道が続き、道の先には粘つくような闇が広がっている。
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ポーロス大陸の地下大迷宮。その成り立たちと詳細は謎が多く、魔物の侵攻から三国を救った純血の人類種である英雄【デオン】は、大迷宮の上に大国を作った。それが魔導王国オルテュギアーの創始であり、初代国王【デオン・ヴィレ・オルテュギアー】の治世の始まりである。
魔王の襲来に備えたデオンは、地下迷宮に手を加え、国中のいたるところへ国民が脱出できる脱出通路を網目のごとく作った。海へ、山へ、里へ、そしてさらに地下へ。
発生する呪いと、汚染されていく土地と海。
幾何幾度もオルテが魔物によって蹂躙されようとも、地下迷宮の恩恵で多くの人間が生き残った。
汚染と滅び、生き延び、汚染と滅び、生き延び、その繰り返し。
いつか国土全体が汚染されて、国民の全てが魔王の呪いで全滅するだろうと予想された悲劇の輪廻は、勇者と魔導姫の登場により劇的な形で幕を閉じる。
そして時が流れて世が平和になり、地下迷宮は観光名所として一般に公開。ポーロス小子クジラの巣や、コイオスカモメのバードウオッチングとコロニーの観察、深い藍色の湖底を楽しめる見栄えのいい場所といった、大迷宮のごく一部が、自国民と訪れる人々に世界を楽しむ余裕を与えた。
汚染された土地、魔物の軍勢、血みどろに塗れた闘いの日々、魔王によってまき散らされる呪いによって、平和な世界を知らない人々は自然が織りなす美しい景色に平和を見出したのだ。
それだけではなく、オルテが地下大迷宮全体を掌握するために、【ギルド】という連携組織を世に出したのも、多くの人々を熱狂させる起爆剤となる。
平和な世だからこそ存在するロマンと謎。観光客、研究者、冒険者、様々な人種が出入りする夢の宝庫がそこにある。迷宮の構造は複雑かつ広大であり、規模はポーロス大陸全土に至るとされ、発見がさらなる発見を呼び、最深部にある遺跡が古代都市ユピテルの伝承と一致していることから、さらなる究明を求めようとした矢先に悲劇が起こった。
――25年前に大迷宮が、テロリストたちの潜伏場所として利用されてしまったのだ。
当然として遺跡の発掘と研究は中止。外に通じる出入り口はすべて封鎖され、テロの忌まわしい記憶と共に、国民は隠し通路も地下大迷宮も、何もかもを忘却の彼方へ捨てた。まるで、そんなものが初めから存在しなかったかのように。それほどまでに、25年前のテロは凄惨であり、国民の心に大きな傷を負わせたと言える。
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「自分は……オレは、あんな許せない戦い方をしたユリウスを父親とは認めないっ! 認めたくない、こんな残酷なことを平気でするなんて、今でも思い出しただけで、胃が痙攣してきりきり痛くなる」
ファウストは苦々しい顔で言い、その場でつばを吐いた。自分が私情に流されているのを理解しているからこそ、余計に腹立たしく嫌悪感が募るのだろう。
契約者の肩に乗ったフクロウが、ファウストを慰めるように柔らかい羽毛を頬に寄せてきた。
青白い月光に照らされて、濡れたように輝く黒い羽根は滑らかなベルベットの感触であり、フクロウのルビーの瞳には沈着化の魔力が込められている。
「ありがとう、アル」
【アル】と、いうのはこのフクロウの名前なのだろう。
使い魔の気遣いに気づいたファウストは、優しくフクロウの小さな頭を撫でると、アルは目を細めてファウストの愛撫を受け入れた。
少しだけ落ち着きを取り戻したファウストは、アルの頭を撫ぜながら話を続ける。
「まず最初から話しましょう。サードがカーリア陛下とアマーリエ殿下の護衛として着任した時、かなりぎりぎりの感情を持て余していました。俗に言う罪悪感です。レオナール姫を守ることが出来なかった自責、セカンドが自分の代りに軍に出向したこと、こんな自分がレオナール姫の姉と母を守ることができるのかという緊張と不安で、頭がおかしくなる一歩手前だったのです」
「まぁ、個性があるから当然ですわね。ねぇ、プルートス様、ナンバーズは生まれながらに心と個性を持っているのですか?」
カーラはやや含みを持たせるような、やや挑発気味な口調で言う。
彼女は皮肉気に興味津々といった様子で、青い瞳を輝かせてプルートスに尋ねた。
ナンバーズのような魔導生命体は、カルティゴでも理論的には実用可能だとされているが、実際問題として実用化に至っていない。倫理的な問題と膨大な魔力と精密かつ繊細なコントロールなどを諸々クリアーする必要性があるからだ。
だが実際、ファウストはナンバーズを運用し、そのナンバーズは人格を持っているという。……これは、冷静に考えてみれば恐るべき事態であり、ファウストの技術が認められた場合、魔媒晶で湧いた産業革命をさらに加速させる激火となりえるだろう。
……道具に必要がない、最大の欠点となる【心】さえ無ければ。
「なにか問題か? ナンバーズは最初から感情があった。かなり偏りがあったが、本体であるファウストには従順で、能力的にも問題はない。それ以前に感情や状況を判断する思考能力がなければ、すぐに殺されちまうし現場を任せられねぇよ。ただ、セカンドが自爆した時はショックだったけどな」
プルートスは淡々と答えるが、彼の青灰の瞳には悲しみの感情が揺らいでいた。部下を守れなかった悔しさ、護衛対象を守るために命を懸けたセカンドに対する敬意、サードのように復活させることが出来なかった喪失感、セカンドと積み重ねた分の時間が入り混じって複雑な色彩を宿していた。
「…………」
悲しみを背負っているようなプルートスの姿に、ティアは自身の存在が歯がゆく感じる。死んだコハクもプルートスも、ファウストも、表にだしてはいないがカーラにも背負っているものがあり、背負う重さを受け止める静かな覚悟が伝わってくるのだ。
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風が吹く。潮風がみなの髪を等しく揺らす。坂道から見える海は暗く黒く、夜の空気が静かに広がっていた。静かな波の音が響き渡る海を眺めていると、自分自身が世界を救うために本当に必要なことが何かがわからなくなってくる。
自分は確かに世界を救う覚悟を決めたというのに、大人たちが見せてくる覚悟は泥臭さと血と涙が通っていて、対して自分の固めた覚悟は、整えられた花畑の広がる理想論を、ただむやみやたらに振り回しているような気がしてならない。
わたしは、そんな危うい覚悟で世界を救うことが出来るのでしょうか。
彼らの横顔を眺めて彼女は考える。背負い続けることの苦しさ、それでも立ち上がり続ける強さ、そして誰かを守るために全力を尽くす優しさ。大人たちから学ぶことが多く、自分が世界を救うために必要なことが集約されているような気がした。
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海から聞こえる音が少しずつ大きくなっていく。
月の歌、星の声、波の音、風の音、水鳥の鳴き声。深夜の海は人工的な光がないため、周囲が真っ暗闇に包まれ、何かが迫ってくるような不気味な雰囲気が漂っていた。下り坂の先にあるはずの砂浜が、じつは化け物の大口になったかのような不安感。自身に生じた焦燥が、いやらしい想像力を発揮しているのだろう。
「どうしてナンバーズに感情が宿っているのかは、自分でもわかりません」
ファウストが、癖のある黒髪を海風に遊ばせたまま話を再開させると、ティアは少し安心した。
「が、そもそも自分たちが、なぜ感情を持っているかすら分からないのです。議論はここまでにして、話の続きを再開しましょう」
てっきり話を中断させて気分を害していたと思ったが、表情が和らいで翠色の瞳が明るさを取り戻している。自爆した自分の分身を思い出したことで、冷静さを取り戻したのかもしれない。
「ともかく、サードがギリギリ状態のままカーリア陛下に謁見した時です。陛下の肉体はかなり危うい状態で、アマーリエ殿下が陛下を車椅子にのせておりました」
「……カーリア陛下は、そんなにお加減が悪いのですか?」
また話を中座させてはいけないと思いつつも、ティアは心のざわつきを抑えられなかった。
「まるで抜け殻に近く、ここ数ヶ月の政務は、ほとんどアマーリエ殿下が取り仕切っております」
「そう、ですか」
ぎこちなく言葉を返すも、抜け殻同然の母の姿を想像するだけで、恐怖と寂しさが胸の奥に渦巻いた。
母との思い出なんて無いに等しい。式典で顔を合わせるものの、交わされる言葉は必要最低限で、母の紡ぐ言葉は台本を読んでいるような不自然さがあり、わずかな思い出を顧みようとすれば、かならず荒野に取り残されたような不毛な感覚が伴ってくるのだ。
王位継承の儀式によって、アステリアの思想に憑りつかれた母は、感情と意思を剥奪され、石碑の選定に選ばれた者を伴侶として次代の青バラを生み、オルテのみならず世界の歯車と化して君臨する。
そして娘たちに透明な絶望を植え付けるのだ。
この有様がわたしたちの未来の姿でもあると。
ヴァーミリオンの長い髪に、クロームパープルの瞳。やや鼻筋の堀が深く人形のように整った容姿と飴色の肌。意志の強さを感じさせる太い眉と、蓮の花のような分厚い唇は女帝の威厳を漂わせており、いつも不機嫌そうな顔で眉間に深い縦じわをつくっていた。
本来の彼女の性格をうかがわせる、気高さ、誇り高さ。
オルテに咲き誇る青バラの頂点。
【カーリア・ヴィレ・オルテュギアー】……三姉妹の母親。
ティアは無意識に自分の髪を撫でて、丸眼鏡をかけなおした。
母の容姿の色彩を明るくしたら、それはティアの外見に近くなる。
石碑の選定とはいえ、なぜ石碑はイーダスを選んだのか?
勇者の髪と勇者の瞳――英雄の特徴を抽出したかのような自分の存在が、不気味に思えて仕方がなくなる。
「カーリア陛下の姿を見た時です。痛々しくやせ細り、簡素なドレスを身にまとって車椅子の乗る陛下は、確かにサードを見たのです。アステリアに憑りつかれて、つねに焦点のあわなかった陛下の瞳に感情の灯がともりました。そして、サードに対して言ったのです【助けに来てくれたのね。ユリウス】と、その場にいたアマーリエ殿下は驚き、サードの中で異変が起きました」
そこで言葉を区切って、ファウストは自分の胸を押さえた。
自分の感情と情報を整理するかのように、胸あたりのシャツあたりを握り込む。修羅場続きで汚れとシワが目立ってきたシャツを、さらにシワだらけにして、ティアたちに伝えるべき情報を言語化するために、彼の中でなんとか折り合いをつけようとしている苦心が見ていてなんとも痛々しい。
「その時です。サードの意識は白く弾けて消失し、意識の暗闇、その奥底から黒い塊が浮上していくのが見えたのです。そうです、この時、この瞬間に、サードの肉体はユリウスに乗っ取られていました。間抜けにも自分は、サードの報告を疑うことなく処理して、今のいままでずっとなにも知らない道化を演じていたのです……っ」
自分の分身が乗っ取られた。
しかも死んだはずの父親に人格を支配されて。
ファウストは自分があずかり知らぬ裏で、なにかが進行していることを知り、怒りと悔しさ悲しさに表情を曇らせる。
ティアはオリジナルの魔導として、【マナマイ】を自慢げに語っていた彼を知っている分、ファウストの怒りとやるせなさが理解できた。
「申し訳ございません。自分が早く、サードが乗っ取られたことを察知していたら、こんなことにはならなかったかもしれないっ!」
声を震わせて頭を下げるファウスト。頭を下げたタイミングで彼の肩に止まっていたアルが翼を広げて宙を掻き、わずかな距離を開けて飛び上がるも、ファウストが頭をあげたタイミングでまた彼の肩にとまった。
すこしでも目を離してしまったら、そのまま暗闇に同化してしまいそうな危うさが、今のファウストにはあった。
【つづく】
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