【マルチ投稿】アステリアの鎖_第三十七話【殖生】
世の中うまくいかないことをダフネは知っている。
しかも今回は、命をかけることが必要最低限の条件なのだ。ユリウスは信用できるが、双子の兄を至上としているイーダスを、ダフネは信用していない。
カーリアの血を啜りながら、ダフネはいざという時の保険を胚の中に仕込むことにした。王家の血を取り入れて、その中にさらに肉体の構築に必要な情報を詰め込んで、バックアップ用として生殖胚に仕込んだのだ。
「ダフネ、私の血って美味しい?」
「うん……、おいしい。おいしいわ。林檎の香りがして、とても甘くておいしい」
「林檎ね。この世界で最初の果実なのと、たしか、この世界を作った神様は、巨大な林檎の樹から生まれたらしいわね。それと関係あるのかしら?」
ダフネは願う。
どうか、保険が必要とされませんように。
そして、自分の浅ましい願いをだれにも知られることもなく、墓まで持っていけますように、日にあたることもなく闇から闇へと消えますようにと。
「ねぇ、ダフネっと時々、私のことをいやらしい目で見ていたけど、私の事、好き? それとも、食べたくて仕方がない?」
どうしてこんな時に。
いや、こんな時だからこそ、知りたくなったのかもしれない。
「好き、食べたい。誰にも、渡したくなかった。ユリウスにも……っ」
カーリアの体中に染み込んでいる、ユリウスの匂いがダフネをせせら笑っている。
「そうなんだ。ごめんね」
分かっていた。分かっていたんだ。
「ううん。ありがとう」
「ぜったいに、助けに来てね」
「うん」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
親が必要のない種族がいる。
生まれた瞬間から、自分のするべきことを当然のように知っており、本能の満たし方を知り、獲物を知り、味方を知り、生殖を知り、自分の行く末を当然のように知っている。
ファウストの生家のメレアグロスは、もともと妖植族、魔樹族、鬼菌糸種と、植物系の種族が主な【混血晶】の家系だ。
彼らは表向き性別があるものの、体内には生殖に必要な胚が最初から存在し、男体であろうと女体であろうと、性交渉して取り入れた体液を胚に合成する。その胚は、常に肉体の持ち主と脳波で同期しており、胚が種子になる瞬間まで、記憶を受信して子孫へと受け継がれていくのだ。
胚と脳の同期による記憶の継承に目を付けたユリウスは、音波と振動を利用した魔導を使い、ダフネの胚の一つに自分のコピーを作り出すことを考案した。テロが起きる以前に、カーリアと駆け落ちする計画を進めており、ダフネもユリウスに対してある条件の下で協力に了承した。
――その条件は?
きつい口調になるのを、意識なのに顔が険しくなり、視線が尖っていくのをファウストは止められない。
――怒らないで、わたしは、ただ、カーリアに嫌われたくなっかっただけ。
暗闇の中でダフネの悶える姿が見える。女性的な外見に生まれているものの、彼女の種族はどちらかといえば両性だ。カーリアに対して肉欲を覚えたダフネは、カーリアが自分に対する愛情を同性ゆえの感情だと知っているからこそ彼女は苦悩した。
「あっ……ユリウス、いいぃっ」
じゅぷじゅぷといやらしい結合音が聞こえてくる。
自分と似た顔の若い男が、長い髪の女性を犯している。女性のクロームパープル瞳には涙が浮かんでいるが、その表情に嫌悪はなく、自分を抱いている男が愛おしいという気持ちと、満たされる悦びで口の端からだらだらと涎を垂らして、もっと、もっとぉっと甘えるような声を出すのだ。
「半巨人族の元彼はどうしたよ! このアバズレ!」
「――んっ! だってぇ、だってぇ、ガイウスはすぐにいなくなるのだもの! あぁっ!」
「くっ、すごい締め付けだな。食いちぎられそうだっ、この淫乱!」
男に組み伏されて淫らに乱れ、犬の姿勢で腰を振りたくるカーリア。ユリウスは満足そうに目を細めながら、カーリアの体勢を変えて胸を揉みしだき、乳首を吸ったり嚙んだりしている。強く腰を突き上げるたびにカーリアは悲鳴のような声をあげて悦び、蔦のように足を伸ばしてユリウスの腰に巻き付けた。
はぁ。と、物陰に隠れて、二人の情事を覗いている自分にダフネは自己嫌悪する。ダフネがユリウスに出した条件は、カーリアと情交を自分に見せることだ。
荒々しくカーリアを抱くユリウスの姿を自分のすり替えて、ダフネはオレンジの瞳を潤ませながら、頭の中で彼女はカーリアを何度も抱いた。
うっ……。
鼻腔をくすぐる林檎の匂いに、ファウストは吐き気がこみあげてきた。
誕生の背景を知るほど、ファウスト・メレアグロスという存在が空気のように希薄になっていくようだった。
――自分は、俺は、オレは、果たして誰だ?
『イーダスさま、なにを?』
なにも知らない幼い自分が、イーダスを見あげている。
なぜイーダスの手が血に塗れているのか分からず、妄執に濁った翠色の瞳が歪な孤を描いて、手術台に横たわる白くて小さい体を見下ろした。
『あぁ、怖がることはない。これは、ちょっとした治療なんだ。麻酔がきいているから安心して』
後半の声は次第に聞き取れなくなり、焦点の合わない瞳が幼いファウストの引き裂かれた下腹部に視線をそそぐ。
生殖胚のある部分を無理矢理掴み上げて、イーダスは呪文のようにぶつぶつ唱え始めた。
『私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ、私になれ』
『……っ』
怒りと呪いと妄執を垂れ流しながら、生殖胚を通じてファウストの脳内を汚染するイーダス。緑の玉石を思わせる生殖胚が、次第に茶色く変色するのを確認して、イーダスは満足しながらファウストを治療した。
次に目を覚ましているときは、自分の意思であるとそう確信しながら。
25年前に、ファウストが完全なユリウスコピーとして目覚めなかった原因を、イーダスは生殖胚に直接干渉しなかったせいだと考えた。
さらに言うならば、胚と脳が同期、連動していることを利用して、胚を掌握することで、イーダスはファウストの自分のスペアとして作り変えようとしたのだ。
――たくらみは成功したか?
それは正解だとも不正解だともいえる。
ユリウスコピーにならなかった原因は、魔導姫が種になる前の胚を二つに引き裂いたからこそ引き起こされた容量不足。
埋め込まれたユリウスの思考もイーダスの錯誤も、肉体の内側へと隔離されて、ファウストは魔導姫の生き人形として25年間生きてきた。
思いがけず、王族二人の体液を摂取できたからこそ、容量不足が解消されて、自分に埋め込まれたユリウスとイーダスが目を覚まし、サードの意識を連動させたのは……。
思考の海に沈み込みそうになったファウストは、大声をあげそうになる。
真相を知ればしるほど、ファウスト・メレアグロスという存在が消えていきそうだった。
――クソッ。
さらにここから、自分はダフネの保険を使わらざるを得ない。
だが、それを使うということは。
――そうよ。あなたはカーリアを助けるの。それが、あなたを造った元々の目的なのだから。
自分は果たして、どこまでが自分で、どこまでを自分として定義づけられるのだろう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――くっ」
自分の中で赤い果実が爆ぜた感覚があった。
砕けた破片が血液を経由して肉体の隅々まで行き渡り、魔導姫によって蹂躙された体が再生し始める。
脳内に心地の良い風が吹き抜けて、意識と頭脳が明瞭となった今、ファウストは金色に輝く翠色の瞳の見開いて、魔導姫に抵抗を始めた。
「なっ、こしゃくな……っ!?」
踊る足を止めるアステリアは、ぎっと奥歯を噛んで、怒りの形相でファウストとゼロを睨みつけた。
回復したゼロにもファイストと同じ現象が起きているのだろう。ただ、妖植族の血が活性化した故なのか、白い肌が緑色になり、血涙を流す翠色の瞳が徐々に赤くなり、樹木にうずもれている上半身が樹皮へと同化し始めている。
先祖返りの現象がゼロの身に起きているのは明白であり、デーロスに適応できる肉体にならなければ、この男は死ぬことになる。
「ファウスト、魔導姫と根競べだ! こいつを殺す方法が分からない以上、マナを逆流させて、次元の穴を塞ぐことに全力を注げ!」
「わかってる! だから無理するな」
「ガキが、こういう時こそ、無理するんだよ! プルートスの死を無駄にする気か」
「っ!!!」
ゼロから発せられた言葉に、ファウストは胸をつかれた。
『このボケッ! こんなんだから、お前はまだ半人前なんだぁっ! ったく、この業界で何年働いているんだっ。おらぁ!』
プルートスのどやしつける声が聞こえた気がして、腹の底から力が湧いてくる。数時間前の末姫に見せた寸劇だったのだが、ファウストに対するプルートスの杞憂であり、本音であったのが今ならわかった。
そうだ。自分は、自分だ!
自分の中で確信に変わった現実と認識が、復活したマナマイと魔菌糸のコロニーを活性化させて、肉体を支配しているナノマシーンを駆逐する。駆逐してアクセス権を上書きし、アステリアのコントロールに干渉し始めて、自身を取り巻くマナの動きが逆流していくのを感じながら、強固な意志で抵抗する。
『お前の父親だろうが、オリジナルだろうが。劣化コピーだなんて、うだうだ考えている場合じゃねぇ』
ファウストの中で確かに存在し、ファウストとして定義づけられているものがあった。自分の人生が魔導姫に敷かれたレールだったとしても、魔導王国オルテュギアー 王立警察 警視総監補佐 ファウスト・メレアグロスとして歩いてきたのは自分の足であり、プルートスと出会い、学んできたことや、感じてきたことは自分だけのものなのだ。
ナノマシーンのくびきから解き放たれた足が、静かに一歩踏み出す。
ファウストは両手を持ち上げて、ゼロも両手を掲げた。
二人から搾り取ろうとした魔力が渦を巻き、アステリアが取り巻くヘドロ色の竜巻から勢いが失せてきた。
「この……、この」
アステリアは踊ることを辞めない。
いや、彼女は500年間ずっと踊り続けてきた。勇者アレンと共に戦ってきた時も、そして魔王を封印した後も。彼女は彼女の望みを叶えるために、自分を取り巻く鎖から逃れるように、必死にワルツのステップを踏んできた。
だけど、もう、こんなことは、終わらせないといけない。
自分たちは、この世界は、彼女という亡霊から解放されないといけないのだ。
アステリアの魔力とコントロールを奪い、エネルギーを逆流させて、穿たれた次元の穴をファウストとゼロが塞ごうとする。
「……っ!」
途端に、全身とてつもない痛みが走って、ファウストは歯を食いしばって堪える。ゼロも同様に呻いていたが、必死に歯を唇に突き立てて自分のやるべきことを全うしようとした。自分たちは、死ぬことになっても、やり遂げないといけないのだ。
尚も、次元の穴をこじ開けようとするアステリアに対抗し、ファウストたちは一瞬意識が薄れるが、二人は懸命に意識をつなぎ止めて魔力を注ぎ続ける。
「……うっあ、あああああああっ」
突然、発せられた魔導姫の悲鳴にファウストは目を見開いた。
踊りが止まり、崩れ落ちるように光が走る金属の床の上に倒れる。
受け身のない危ない倒れ方だったが、ナノマシーンによる肉体のおかげなのか、音もなく、ふわりと横たわるようにも見えた。
なにが起きた?
【神の鼻】は未だに発動し続けており、二人の労力を嘲笑うように次元の穴を広げている。
穴からのぞく鋼の装甲と、闇の向こう側で蠢く生物たちの気配を感じて、ファウストは恐怖で全身に鳥肌を立たせて、ゼロも緑の肌に膜のような汗をかいた。
見えない何かが、自分たちの間に介入している無気味な気配があり、アステリアが床の上で、苦しみと怒りの悲鳴をあげている。
「なぜだ! 複製体の同期は最低限だというのに、上でなにが起きた!? やめろ、来るな。私の中に入ってくるな! キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ……っ!」
それはまるで、見えない蜂の大群に襲われているかのような狂乱ぶりだった。
怯えを隠さず、魔導姫としての威厳の影もない、無力な女がそこにいる。
チャンスだ。と、ファウストとゼロの意識がシンクロした。
【神の鼻】の発動を止め、これ以上、次元の穴を広げないためにも、二人には迷っている時間すらなかった。
「【傀儡神の糸(アリアドネの糸)】!」
ゼロが叫んだ。前回の半生を踏まえて、上位世界に介入して拘束するのはアステリアの魂ではなく、アステリアの魂に同調しているナノマシーンに対してだ。
「【名無しの名(ネームレス)!】」
ファウストも上位世界へのアクセスを試みる。アステリアではなく、彼女の名に取り巻いている、青く輝く蝶の群れを魔導で無理やりこちらへ誘導させて、アステリアの名前がついている花をむき出しにさせた。前は必死で気づかなかったか、もしくは認めたくもなかったのだろう、蝶を取り払ってむき出しとなったアステリアの花は青いバラだった。
【尊き青バラの血】
だが、凛として咲き誇っていた青バラたちは、のたうつように萎れ始めている。見えない手で、花弁を一枚一枚引きちぎられるかのように落として、生気をなくして萎れていく様は異様であり、自分たち以外にも、上位世界でアステリアに介入している存在の可能性に思い至り戦慄した。
【つづく】
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