【マルチ投稿】アステリアの鎖_第二十二話【逢魔】
大切な人が人質になっている現状に変化はない。
――が、ティアの心は平常よりも晴れやかで、魔導姫に反撃する意思が強くなる。
『では、どこに?』
今は少しでも情報が欲しい。
確実に状況を変える要素が。
アステリアの真意が。
『わかりません。ただ、ここにいないのは確かです』
『そうですか、この状況を捜査官として、ファウスト殿はどのように分析しますか?』
『……そうですね、姫様に揺さぶりをかけたいのでしょうが』
言葉が若干震えているのは、自分に似た存在がアステリアと口づけを交わしているせいなのだろうか。
『どうして、軍に出向させたセカンドがここにいる?』
『!』
ファウストの当惑にティアも驚いて顔をあげた。
軍の動向を探るために送り込まれた、ナンバーズの一人がセカンドだと聞いている。プルートスの指示で、ファウストがセカンドに連絡を取っていたのは数時間前であり、この時になって、ようやくオルテ国軍が出動する流れになったはずなのに。
ティアの脳裡にオセロ盤が展開されて、盤上のすべてが黒にひっくり返された光景を見た気がした。
「あぁ。思ったより、冷静だねぇ」
ティアの感情を読みとったかのように、アステリアが口角をあげて笑う。整った顔で嘲るように笑う顔が、まるで悪魔のようで、ぞくりとティアの白い肌が粟立った。
思考の読めない緑の瞳が、じっとティアめねつけて口角を持ち上げる。
冷たさを感じさせる視線が突き刺さり、ティアを通して向こう側にいる存在を見ているようでもあった。
彼女は今、なにを考えているの?
アポロニウスと自分を戦わせて、一番上の姉と戦った時は傍観し、ティアに見せつけるかのように、ファウストに似た人形を使って淫らに振舞う。次は、どんな手を打ってくるのか予想できず、ティアは無意識に唾を飲み込んだ。
「な、なぜ、こんなことを?」
慎重に言葉を選びながら、ティアはアステリアに問いかける。問いかけられた方のアステリアは、意地悪い表情になりながらセカンドから身を離して、お互いの息がかかる距離まで近づき、ティアの顎を持ち上げた。
「あぁ、本当に、本当に、そっくりだよ。アレイシア」
「ア、アレイシア?」
自分には勇者の特徴である、マンダリンオレンジの髪と紫の瞳がある。そっくりだと言われても、それは勇者アレンの方ではないだろうか?
まさか。
いやな汗が全身の毛穴から噴き出て、寒くないのに鳥肌が立つ。
前提が何度も何度も覆り、果たしてなにが真実なのか分からないが。
「勇者アレンは、もしかして、女性だったのですか?」
震える声を肯定するかのように、アステリアはうっとりと笑いかけた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
一瞬、思考が止まる。確かに、勇者アレンの肖像画を見たときは、女性的だと感じた時があった。魔王が暴れた混沌とした時代の中で、女性の立場はないに等しい。しかも絶滅を防ぐために、人間の女性が様々な種族に狙われた時代でもある。
アレイシアが性別を偽って、勇者アレンとして身を立てたのは、そう言った事情もあるのだろう。
「アレイシア」
我慢できないと言わんばかりに抱きしめられる。
いきなり抱きしめられて、抵抗する間もなく太ももの間に足が割り込み、互いの身体が密着する。あたたかな体温と柔らかな双山の感触から、アステリアは実体のない幽霊ではないのが分かったが、だとしたら空間を無視した移動法と、500年前の人間がどうしてここにいるのか分からない。
ティアの中では魔導姫はずっと悪霊的な存在であり、王の脳内に巣食う存在であり、どんな形であれ、世界を守る意思を持った存在だと思った。
「アレイシア、もうすぐだよ。もうすぐ、君を救うことができる」
喘ぐようにティアの身体を密着させて、愛しい人の名前の呼ぶアステリア。彼女の下腹部のあたりに徐々に変化が帯びて、ローブの布地を持ち上げる存在に紫の瞳が驚愕で見開いた。
「あ、あなたは、どっちなんですかっ!?」
半ば悲鳴をあげるようにティアは声をあげる。女性と男性両方のシンボルを押し付けられて頭が混乱してきた。
アステリアが男なのか女なのか分からず、どう対応していいか戸惑っていると、再び後頭部辺りにぴりぴりとした感触を覚えて思考を切り替える。
『――ファウスト殿! 助けてください!!!』
もうプライドも恥も外聞もなかった。思考を言語化してファウストへ伝えると、耳元でくすくすと魔導姫が笑い「邪魔だ」と低い声で、なにもない空間に向かって握りつぶすように拳を固める。
「グギャッ」
「!」
悲鳴をあげたのはアルだった。隠ぺい魔法が解除されて、地面に叩きつけられる使い魔は、痛ましい痙攣を繰り返して嘴から血を吐きだしている。
「私は両方だよ。ついでに言うと、オルテュギアー王家とウェルギリウス家の間に生まれた、不義の呪い子さ。いや、ウェルギリウス家の宝石眼すら受け継ぐことが出来なかった、出来損ないと言ったほうかな?」
メレアグロスと言えば父であるイーダスの生家であり、代々王家を支えてきた宮廷魔導士の家系だ。宝石眼というものに聞き覚えはないが、イーダスもファウストにも宝石のように美しい翠色の瞳を持っている。
あれ、だけど、それって。
アステリアにもたらされた情報量の多さに、頭の中が疑問符で埋め尽くされる。表に出ることがなく、闇に葬られた情報は未熟な少女を混乱させるには十分だった。
彼女を気遣うように、ごそごそとドレスの中で蠢く蛇たちの気配に、ティアはなんとか正気を保ちつつも、これからどうすればいいのか分からなくなる。
アステリアがティアに対して害意があるのなら、彼女のドレスの布地に紛れ込んだ蛇たちが、一斉にアステリアに襲い掛かっているはずなのだ。
ここで焦って、重要な情報を取りこぼすわけにもいかないし、ファウストとの連絡手段を断たれた以上、さらに慎重に言葉と行動に気をつけないといけない。
「ちょっと待ってください。あなたが男でもあり女でもあるというのなら、もしかしてキケロは?」
それはありえなくいもない一縷の望みだった。
アレンとアステリアの立場が逆だというのなら、もしかしたらキケロはエステリアの子供ではなく、アステリアとアレイシアの子供という可能性が浮上する。
「……」
「……」
末姫の期待を込めた眼差しが、魔導姫の失笑を誘った。
短い沈黙を間に置いて、アステリアは歌うように答える。
「うん。あれは◆◆◆◆◆だよ。◆◆◆◆◆◆◆◆ですらない」
魔導姫の言葉を、オルテの末姫は理解できなかった。もしかしたら、脳が拒絶したのかもしれない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
くそ……。アルがやられたかッ。
魔導のパスから聞こえてきた、使い魔の断末魔。
かろうじてティアと自分を繋いでいるのは、彼女の中に形成されている魔菌糸のコロニーだけだが、通信するまでには至らない。
ここはどこだ。
ファウストは翠色の瞳をこらして周囲を見渡し、粘着液で身動きが取れない体を無理矢理動かしてみる。
力づくは無理か。ならば……。
浅く、深く、呼吸を整えて、自身の中に巣食う魔菌糸のコロニーに呼びかける。結果的にオルテの王族の体液を取り込んだことで、思わぬ余力が生まれた。
捜査官として……いいや、ファウスト自身のために、このまま、中途半端な形で諦めたくない。
ましてや。
首のないプルートスの身体が崩れ落ちる瞬間が、スローモーションのように脳内に再生されて、ファウストは悔し気に奥歯を噛んだ。
プルートスは水属性のシールドを張っていた。シールドに入った敵対者は全身の水分を狂わされて無力化する効果があり、多数の暴徒を鎮圧する際は、必ずと言っていいほどプルートスは駆り出された。
プルートスは水の王だった。海辺に近い場所ならば、魔導も併用して一騎当千の働きが出来たことだろう。
在りし日の、破壊衝動に呑まれて街で暴れていた巨人族の男をあっさりと確保した姿。周囲の人々の尊敬のまなざしを向けられていた雄姿が、いまやただの肉塊と化した。
自分は、なにも出来なかった。
上司の強さ、華々しい活躍のまぶしさが、ファウストの脳裡で走馬灯の如くかけめぐる。己の中のプルートスとの思い出が、盲目なまでの信頼が、いつしか上司を無敵の存在だと錯覚した。
そうだ。種族によっては、水分をほとんど必要としない者、体内の膨大なマナによって、シールド自体を破壊する者、さらにはティアのような魔力に干渉するユニークスキル持ちといったイレギュラーも存在する。
一体いつから、プルートスを無敵の存在だと勘違いしたのだろうか。
申し訳ございません、警視総監殿。
ファウストは心の中で詫びた。プルートスの弱点であり、能力の穴を埋めるのが自分の役割であるはずなのに、自分は警視総監補佐としての役割を果たすことが出来なかった。
焦燥感と罪悪感が心をかき乱し「もしかしたら」の思考に囚われる。揺らいだ意志のせいなのか、ファウストの口から吐き出された緑の魔菌糸は、靄のように頼りなく、周囲の闇に溶け込みそうなほど弱々しい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
自分が今、粘液によって壁に拘束されているのは分かっている。だが周囲は闇一色で、手掛かりがないに等しい。
まずは、この絶望的な状況を打ち破るためにも、この粘液を何とかするしかないだろう。
魔力のまとった有機物なら、なんとかなるはずだ。
ファウストの吐き出した魔菌糸は、ふわふわと空間を漂いながら粘液に付着すると、途端に肌色の塊がぼこりと音をたてて発生する。
「雷光」
ファウストは目に力を込めて、緑の電流をまとった熱線を肌色の塊に着火させた。
まさか、こんなところで役に立つとは思わなかったが。
オルテュギアーは、魔法と知恵の国を標榜しているエルフの国と双璧を成している魔導王国だ。魔法は魔導の基礎だという考えが根底にあり、応用として全身を使った魔法の出力も一般教養の範疇として教育される。
とはいえ、手以外で魔法を出力するのは、両手が使えない非常時中の非常時であり、学んだとしてもいざという時に、使えない場合がほとんどなのだ。
その点で言えば、プルートスは抜かりのない上司だった。
ファウストや以下の部下たちに、口や目から魔法を出力させる訓練を徹底させて、どんな状況であろうとも魔法を駆使できる下地を叩きこんでいたのだから。
ばちりと粘液を吸収して、急激に成長した魔菌糸だった塊がぐにゃりと形を変えた。燃え上がりながら周囲を照らし、まるで悲鳴をあげるように赤い胞子を周囲にばらまいている。
――属性の変質完了。
ファウストの唇が微かに動く。火属性となった胞子が魔菌糸へと成長して、宿主であるファウストには燃えうつらせないように、壁に拘束している部分だけを焼き切らせる。
燃える煙の臭いに、かすかな林檎の香りがした。
甘くて、酸っぱくて、どこか蠱惑的な香りだ。
もしや、オルテの王族の体液は林檎の香りがするのか?
思い出してしまったのは、ティアに自分の血肉を捧げた時だ。彼女の唾液のからは林檎の香りがしており、黒い血の涙を流し始めたカーリアからも林檎の香りが漂っていた。
当初は、夜族の血に目覚めた故の、捕食相手を幻惑させる体質みたいなものかと思ったが。
粘液が付着しているスーツを脱ぎすてて、下着のシャツだけになると外気に触れた肌に鳥肌が立った。
自分が今いる冷たく淀んだ空気は、ファウストの体質に適っているというのに、肉体が現実に立ち向かうことを拒んでいるような拒絶反応だ。
近くに、なにかあるというのか。
とても危ないモノが。
自分の命を刈り取る程の脅威が。
可能性はある。捜査官としての経験上、肉体の反応は無視できるのもではない。ましてや生理的な反応を無視した強い拒絶が起こった時、必ずと言っていい確率で、想像を上回るレベルの悪意がいつも待ち構えていた。
ファウストの心情を察したのか、床に落ちた赤い魔菌糸の塊が、ごぼごぼと音を立てて形を変えながら元宿主にすり寄ってくる。
これは、ファウストから生み出された存在であり、自分とかぎりなく同一である存在。
人間種が50、妖植族が15、魔樹族が15、鬼菌糸種が20の自分が生み出した醜悪な分身。ナンバーズの前身とも呼べるソレは、感情と知性がない分扱いやすく、その反面、水に溶ける砂糖のように脆くはかない。
本来ならばすべて燃え尽きて、なにも残らないはずなのに、目の前の塊は身体を変形させて、自分の存在を誇示している。
考えられる可能性は、王族二人の体液を取り入れたことによる、魔力の底上げなのだろうが。
……ん。
今気づいたかのように、ファウストは自分の下で蠢いている魔菌糸を見た。
ぶくぶくと膨張と縮小を繰りかえしている赤い塊から、林檎の甘い香りが漂っていたからだ。
もしかして、姫様の体液とアマーリエ殿下の粘液を取り込んだ結果か?
王位継承の儀式を取り入れて以降、多種族を取り込んできた王家の血。彼女たちの体液は、500年の時代を経て普通の種族とは別の、特別なモノへと進化したのではないか。
試す価値はある。それに、そろそろ空腹に耐えるのも限界だ。
焦燥感からファウストはここで思考を止めた。いつもならば、ティアの血肉を食べた使い魔が、アステリアによって、あっさりと殺されたことについて思考を及ばせていただろう。
ぐちゃり。
赤い塊を喰らい舌鼓を打つファウストの瞳には、うっとりとした陶酔の色と、黄金の輝きが妖しくきらめいていた。
【つづく】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?