【マルチ投稿】アステリアの鎖_第四十五話【心炉】
カーラは丹田に力をこめて、体内のマナのめぐりを集中させる。ティアのユニークスキルが頼れなくなった今、この戦いから生き残るカギは、戦場で培われたセンスと、プルートスから受け継がれた、この肉体を使いこなせるかがカギとなる。
カーラには零した水をリボンのように操る、魔導のセンスと緻密なコントロールを待ち合わせていない。が、迷えば即場に首が飛ぶのだ。
迷ってなんか、いられないっ!
アレイシアの剣から斬られた空間から、魔王の砲台が火を噴き、強大な鋼の剣が圧倒的な力を振るい、魔導姫の多重魔法が空間を削りながら襲ってくる。
「死ね!」
ニケはもはや、ニケという生き物となっていった。ティアの姉だった記憶も、母だった記憶もなく、ティアの指示に従ってアレイシアを圧倒し、背中に生えた蜘蛛の脚を利用したトリッキーな攻撃で次第に追い詰めていくも、決定的なところでアレイシアが次元刀のスキルで瞬間移動してしまい、何度も体勢の立て直しを許してしまう。
持久戦になったら、確実に自分たちは負けだ。
カーラの背中に汗が伝う。
彼女たちが、どのようにこの世界を犠牲にするつもりなのかは分からない。そしてティアが、この世界をどうするつもりなのかもわからない。
迷えば死が待っているというのに、慣れない水の魔力で敵の火力を削ぎながら、カーラは縋るように神に祈る。
ティアはカーラの迷いを気にしつつも、アレイシアとの攻防に終始する。次元刀のスキルで背後に回り込まれても、背中に生えた翼が盾のように広がって攻撃を防いでくれるのが、何度も刃を防いでいるうちに翼の付け根から痛みが走り始めて、付け根のあたりにぬりとした血の感触が伝うのを感じた。
魔力と一体化された黒いドレスが、魔導姫の集中砲火を壁のように防いでくれるのだが、集中力が切れるのも時間の問題である。
ブランクを感じさせない、勇者と魔導姫の連携に加えて、むりやり二人の連携を崩して決定打を討とうとすると、アレイシアが開けた次元の穴から、魔王が容赦なく攻撃を仕掛けてくる。
こんな時に、ティアのユニークスキル【月の女神の手】が使えないのが痛い。相手の魔力に干渉できる彼女のユニークスキルは、アレイシアの次元刀を封じるどころか、魔王をさらに別次元へ幽閉できたのかもしれないのだが、仮定が現実に反映されることはまずないのだ。
「白い北極星」
「黒い北斗七星」
ティアとニケは星の名前を冠した第三魔法を放つ。
白と黒の光が混じり、血のように赤い火花を散らしながら炸裂する魔力の塊を、アレイシアが一瞬で両断する。
「プラスとマイナスの魔力をぶつけ合い、疑似的なブラックホールを作る魔法か。どうして、異空間に放り出されたのか理解できたよ。けど、よりにもよって、結果的にひどいことをしたな」
ティアたちの魔法を分析したアステリアは、渋い顔で眉根を寄せる。アレイシアが切り裂いくことで、直撃を免れた白い北極星と黒い北斗七星は開いた空間に吸い込まれて、黒と白の螺旋を描き、空間の向こう側に吸い込まれていったのだが、進路方向には寝静まった街並みがあった。
――ドッ!!!!
プラスとマイナスの相反する魔力が、建物に着弾するのが見えた。
コンクリートとガラスが砕け、悲鳴と轟音が響くも、空中へ飛び散るはずだった瓦礫が動きを止める。
ゴウっと音を立てながら風が吹き、着弾した部分を中心に黒と白の渦が巻いて周囲の物体を吸収し始めた。
圧倒来な力で際限なく吸い込み、地面がクレーター状に広がり、夜空の雲すらも吸収し始める。
あまりにも現実離れした光景にカーラは絶句した。
さすがのティアも、目の当たりにした威力に焦りの色が浮かび、ニケだけが変わらずに攻撃を続けている。
標的のいない暴走する渦は、やがて力を失い形すらも失うのだが。
――ざあああああぁ。
渦が消滅した瞬間に、夜空から降るのは灰色の雨。瓦礫も石材も生き物もなにもかもが、高エネルギーの中で形を失い混じり合って、地上へと降り注いでいく。
雲のない満月だけの夜空。降り注ぐ灰色の雨。高台へ避難していた住民たちが、非現実的な光景を見上げていた時だった。
「――ぐっ、ゲボ」
やがて避難していた住民が苦しみだした。懐中電灯を落とし、血を吐きながら咳き込み、顔がみるみる紫に変色して、バタバタと倒れていく地獄のような光景だった。
「あーあ、かわいそうに」
ティアを批難する紫の瞳には、意地悪い光が揺れている。
灰にまみれて倒れた人々を月光が照らし、死体から流れ出ている赤い血が、懐中電灯の明かりの中で灰色に混ざり合う。
「なんて、ひどいことを」
カーラが青灰の瞳を見開いて勇者を糾弾するが、アレイシアもアステリアも涼しい顔をしていた。自分たちを葬ろうとすれば、魔法や攻撃を別次元の空間に飛ばして、無関係の人々を巻き込む悪趣味な牽制だった。
もはや、彼女たちは、この世界なんて【本当に】どうでもいいのだ。
「ニケ、攻撃をやめて」
「…………」
ティアはニケに指示を出して黙り込む。
自分たちが圧倒的に不利な上で、世界中を人質にされた状態なのだ。自分たちが無暗に藻掻けば藻掻くほど、事態が悪化して多くの者が命を落とす。
完全に自分たちの負けだ。と、カーラは敗北を悟るが、隣にいるティアからは敗北の気配がない。
「……」
静かに目をつぶるティアは、気持ちを落ち着けるように呼吸を繰り返して、覚悟を決めた翡翠の瞳を見開いた。
「――」
低くつぶやいて、ティアの翼から黒い羽根が花弁のように舞いあがる。
「なにをやるつもりだ。これ以上の犠牲者を出すつもりか?」
尚も抵抗しようとするティアに対して、アレイシアが、次元の穴を開けて見せた。黒い穴の向こうに広がる悲惨な光景。レンズが焦点を合わせるように、勇者が手を振ると、向こう側の景色が拡大されて、血を吐いて倒れている人々の顔が視界を殴りつけていく。
これは、罪悪感に訴える戦法なのだろう。
以前のティアだったら、動揺してなすすべもなかったのだろう。
それを見越して、かつての自分を無力化しようと試みたのだろう。
それが致命的な認識違いなのだ。
根っこは同じだろうとも、一卵性の双子だろうとも、個としての体験が人格を形作り、行動と思考を確立させる。
心を半分引き裂かれ、魔族として覚醒したティアの行動は……。
舞い上がる黒い羽根は、勢いよく黒渦を巻いて勇者の横を通り抜けて、倒れている人々へと降り注いだ。灰色の雨の次は黒い羽根の雨。だが、先刻と違うのは黒い羽根が触れた瞬間に、金色の光が弾けて、住民たちはさらに異形の姿へと生まれ変わっていった。
意識を取り戻して立ち上がり、変貌した自分たちの姿に驚く住民たちの光景。それは喜んでいいものなのか、悲しんでいいものなのか、激怒していいものなのかもわからない。
「もしも、私の攻撃で無関係の者が犠牲になるのなら、わたしは彼らを救いましょう。――魔族としてね」
うっすらと笑うティアは、かつての自分の半身の浅はかさを嘲笑うのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「「…………」」
向かい会うティアとアレイシアは、目線で冷たい火花を散らして冷笑する。翡翠の瞳を持つ黒い翼を生やした魔性の末姫。対するのは、ナノマシーンと異種族の情報を取り込んで、全身に魔力の紋章を刻み付けた勇者だったもの。
元は一つの存在だったソレ。変わり果てているとはいえ、考える根っこは一緒。そして、譲り合えないことも和解できないことが分かりきっていた。
「カーラ、お願い。わたしを信じて」
「ティア様」
魔族として覚醒する以前の自分だったら、今の自分の考え方に疑問を持ち、民を救うためとはいえ、強制的に魔族化させたことを嘆いたことだろう。自身に起こった変化を客観視できるからこそ、友人のどこか煮え切れない態度と迷いに、ティアは苦い感情がこみあげてくるのだ。
カーラの青灰の瞳に映る、勇者アレイシアこそティアらしいティアなのだろうが、彼女の心はカーラではなくアステリアに向けられている。もしかしたら、カーラの態度と次第によっては、アレイシアはカーラを許すのかもしれない――それがティアには許せない。
だからティアはカーラに楔を打つ。
カーラの友人は自分以外に必要ないのだから。
「わかっています。だから、ティア様も」
――ザッ。
カーラが言いきらないうちに、アステリアの火球がカーラに打ち込まれた。大きな火球が途中で四方八方へと飛び散って、ショットガンのように広範囲へと炸裂する。
竜人の血を引くカーラにとって火属性の魔法は無効に等しいというのに、傭兵としての本能が告げるのだ。逃げないと危険だと。
髪に擬態している蛇たちを盾に、大きく跳躍して回避行動を取るカーラ。
「シャアアアア」
ニケの方も口から粘液を吐いて着弾を防ごうとするが、火球が着弾した瞬間にさらに細かく砕けて、赤い火で覆われたレモン色の石が現れる。
「ニケさん、避けてください! これは毒の石――石黄です。しかも、マナで合成されています」
カーラには毒耐性があるにも関わらず、全身が焼けつくような痛みに襲われた。回復魔法でことなきを得ても、しばらく手の震えが止まらないだろう。
「ああああああああああ」
だがカーラの忠告は虚しく、黄色の石をまともに浴びてしまいニケはのけぞって悲鳴をあげる。
「25年。復活して25年だよ。新しい魔法を、一つ、二つぐらい編み出すぐらいできるさ」
アステリアは勝ち誇るように口端を持ち上げた。
だが消耗が激しいのだろう。
黒いローブを持ち上げるかのように胸をそらして、余裕しゃくしゃくな態度を見せているものの、魔導姫の白い顔には、あきらかな疲労の色が浮かんでいる。
長期戦では不利になると、判断したアステリアは短期決戦に出たのだ。
二属性の魔法を同時に放出させつつ、土属性の魔法で発生した石を原子変換させて毒の石に変えた。炎はフェイクで本丸は灼熱の石黄。錬金術を駆使して攻撃に組み込む技量は、さすが世界を救った英雄といったところだろう。
だが、その力が自分たちに向けられるとは。
「ある意味、あなたたちの戦いかたは、人間の戦い方なのですね」
ティアは翼を羽ばたかせて、粉々に砕かれた石黄の毒を分解させた。
「ニケ、カーラ、こちらにいらっしゃい。こんな毒なんかに負けないように、肉体を改造してあげるから」
「シャアアアアア」
「…………」
ティアの言葉に、ニケは即座に主人の元へと駆けていくが、カーラはどこか自棄でティアの提案を受け入れる。
ただここで死にたくない。その気持ちが、今のカーラを突き動かしていた。
『わかっています。だから、ティア様も』
途切れてしまった言葉の続きが、カーラの胸の内に渦巻いた。
――私を信じさせてください。と。
戦うことにためらいを持ち、ティアに対して疑いを持つ。
そんな自分は足手まといでしかない。
いま必要なのは、イシュタル大陸で戦場を駆けまわっていた、純粋だった頃の自分であり、変わってしまったティアに対しての濁り切った感情を、涙で流すなんで情けないにもほどがある。
――いいじゃねぇか、それでも。
不意に脳内に響く、野太い声はまぎれもなくプルートスの声だった。
あぁ、自分はとうとう神経が限界に達してしまい、幻聴が聞こえるようになったのだろう。
「怖がらないで、カーラ」
「……」
カーラの気持ちを察して、ティアが優しくカーラの手を取る。カーラの腕にはプルートスの細胞の影響で、薄く青い鱗が所々に生えおり、カーラは細長い瞳孔に変わった青灰の瞳に憂いの色を浮かべた。
自分らしくない自分の思考の連なり。浮かび上がる可能性は、自分の中で一体化しているサハギン族の影響で、外見どころか内面にも影響が出はじめているのかもしれない。
私はどこまで私なのですか?
ティアの周囲に黒い靄が発生して、カーラとニケの肉体にまとわりつく。
怖いという感情は一瞬であり、内側から響くプルートスの声が逃げ出しそうになるカーラの心を支えた。
――大丈夫だ。いまここで結論なんか出さないくていい。そうだな、生きて帰って、うまいもん食ってから考えればいいんだ。
――たしか、旬はアラババ・たらこウニとコリオススズキにクエル港の菜花なのはなロブスターでしたね。
待合室で交わされた会話を思い出して、カーラは口元に微笑を浮かべた。
そういえば、最期に食事をとってから随分と間が空いてしまっている。ドレスにも髪にも擬態していたヘビたちも、そろそろ空腹を訴え始める頃合いだ。
――そうでさぁ。アラババ・たらこウニとレモンのクリームスープスパゲッティが、女性たちにとても人気で、コリオススズキの香草焼きと菜花なのはなロブスターのバター焼きに焼きたてのパン! 今の時期の組み合わせは、これで決まりだな!
――ところで、プルートス殿は人間を食しますか?
――あぁ、もちろん。ただ、最近の人間の味が落ちた気がするんでね。オレが年を取った証拠でしょうが。
――そうですか、よろしかったら。今度一緒に食べましょうよ。
脳内で交わされる会話の横で、カーラとニケの全身に漆黒の甲殻が鎧の如く包み込み、毒で侵されていた肉体が正常な状態に戻っていく。
文字通り化物と化した二頭の【獣】を従えて、ティアは魔力を最大限まで放出させ、背中に光輪を背負ったような神々しくも禍々しい姿を取る。
「さぁ、これで最後にしましょう」
【つづく】
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