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【マルチ投稿】アステリアの鎖_第十六話【在悪】

「ティア様っ! 回復魔法をかけますから、落ち着いてください」

 白く霞む向こう側からカーラの声が聞こえきて、ティアは懸命に意識を保とうとする。刺された首筋からひりひりした痛みととも、全身が熱いのに寒さを感じる奇妙な感覚に陥った。
 ティアは頭がぐらつくのをなんとか堪えて、奥歯を強く噛み、痛みに耐える。

 なんで、母さんの血から林檎の香りが?

 自分自身の意識を保つ方法は痛みの優先順位を落とすこと。
 虚ろな表情に戻った母は、口から血を垂れ流したままであり、プルートスが慌てて口をぬぐうも、次から次へと黒い血が流れて止まらない。

「あぁっ、ちくしょう……どうなってんだ、カーリア」
「落ち着いてください、警視総監殿」
「ティア様、私の声が聞こえていますか」
「えぇ、聞こえているわ。けど、なんで、この香りは……?」

 黒い血から漂う林檎に似た香り。
 つい最近、それと似たものをわたしは見て、知って、そして驚愕した。

 それは魔媒晶マテリアル・ストーンの汚染が進んだ黒い蜂蜜。
 巨人の国で観た、魔物の標本から垂れ流されていた黒い血。

 魔物、第三魔法、もしかして――。  

「……ぐぁっ」」

 ティアは突き刺すような痛みに、体をくの字に曲げてうずくまる。
 思考を働かせようとすればするほど、痛みが暴風雨のごとく肉体の内側を蹂躙して、目の前が白く霞んでいきそうになる。
 思考が淀み、カーラの髪の中に捕らえられたイシュタルスズメバチの姿が、飴を引き延ばしたかのようにぐにゃりと歪む。
 まるで熱病にうなされた時に見た夢のような光景。無数の蛇たちによって解体されていくイシュタルスズメバチに、なぜか今の自分が重なった気がした。
 視界に広がる透明な幾何学模様きかがくもようが、チカチカと点滅し、息苦しさがティアの胸を締め付ける。
 こめかみの辺りが、万力で締め上げられたように痛く、頭がまるごと潰されそうな錯覚に陥った。

 なに、これ、苦しい、息ができない……。

 ティアはパニックになりかけつつも、月の女神トリウィアの手を発動させて、カーラとプルートスの手をとり魔力の補助をかける。

「殿下、辛抱してくれ」

 プルートスは魔法で水を発生させると、魔導で水のナイフに変えて、鮮やかに傷口を抉りとった。さらに血が噴き出す前にカーラが回復魔法をかけて、ティアも菌糸の力を使って毒の侵攻を抑えようとする。
 回復魔法の金の粒子が飛んで、水属性の魔力が発する青の波動が地下通路を照らす。

 ティアは月の女神トリウィアの手を胸にあてて自らにかけると、紫の稲光がバチバチと音をたてて全身を駆け巡らせた。

 痛みに耐えて、身体中の細胞を活性化させ、自己治癒力を高めていく。
 イシュタルスズメバチの毒を排出させて、無理やり痛覚をねじ伏せて、強引に生命の輝きを灯していく。

「ふぅ、なんとか峠をこしましたわ」

 カーラは汗をぬぐいながら息を整えて、青い瞳をティアに注いだ。

「頭がいてぇぜ。ファウスト、カーリアの様子は?」
「……かなり、危険な状況だといえます。そろそろ自壊が始まるかもしれません」
「クソッ!」

 ティアは首を無理矢理持ち上げながら、母親の姿を見ようとした。母の両眼から黒い涙があふれて、口からも、鼻からも、林檎の香りがする黒い血を垂れ流している。

「……このままじゃ、間に合わない」

 ティアは上体を起こそうとして失敗した。
 魂をすり潰すほどの激痛からは解放されたが、熱と倦怠感で体が思うように動かない。
 今の自分は明らかに足手まといだ。
 だとするなら。

「魔導王国オルテュギアー 王立警察 警視総監 プルートス・オケアノス、並びに、魔導王国オルテュギアー 王立警察 警視総監補佐 ファウスト・メレアグロスに命じます」

 いきなり役職ごと呼ばれて、ファウストとプルートスは驚きながらも真剣な表情でティアを見た。

「クラウディア・ヴィレ・オルテュギアーの名において、試練の間を死守し、賊を伐ち、オルテュギアーに本来の秩序をもたらすよう尽力しなさい」
「殿下、それは……」
「いいから、命令です」

 ティアは、精一杯の笑みを浮かべる。

「はい、姫様」

 ファウストは恭しく頭を下げた。
 ティアは小さく微笑むと、そのまま気を失った。

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 落ちる。意識が。魂が。記憶が。意志が。思いが。思慕が。感情が。肉体が。すべてが闇に落ちていきそうになる。

「嫌な予感とは当たるものだな。危機察知能力の賜物だというのならば、これは罪深く、呪われた才能そのものだ」

 どよめくゼミ生たちは、水晶に封じ込められた魔物の標本を、息をするのを忘れたかのように真剣に眺めている。引率のヘルメス教授は渋い顔をしながらティアに話しかけ、ティアも戦慄を覚えながら教授の言葉に小さく頷いた。

 ティアたちが見た魔物の標本は、水晶に閉じ込められた1メートル前後の黒い球体。
 これこそが、 魔物まもの。魔王によって本来の姿を忘れた、ける者たちのナレノハテである魔力の物体だ。
 魔力の流れで生き物の動向を探り、エルフだろうがドラゴンだろうが、次々と吸収して捕食するこの黒い球体は、空を覆うほどに数を増やして、魔王と共に多くの命を刈り取り土地を汚染したとされている。

「…………」

 ティアは丸眼鏡の奥にある瞳を不安で揺らし、ヘルメス教授に対して恐る恐る質問を投げかけた。

「つまり、これは自然発生した……ということですよね」

 声量を落として、標本をさす指先が震える。
 本来ならばブドウの表面のようなつややかな皮膚であるのに、皮膚の上に透明な結晶が張りつき、その先端に黒い液体を滴らせていた。
 液体から漂ってくる甘い香りは、林檎の芳香によく似ていて、それがティアにとっては忌まわしく感じられた。
 視覚と嗅覚の情報の差異が、おぞましさを伴って胃の奥を揺さぶるのだ。

「ネクロクリスタルという現象が、まさか魔物の死体にも発生するとは。しかし、この黒い液体は」

 鉄と水とリン酸塩の相互作用によって、死体に発生する藍鉄鉱らんてっこうをデーロスではネクロクリスタルと総称されている。
 通常のネクロクリスタルは濃青色や緑青色であり、魔力と空気に触れると色が変化するのも特徴の一つだ。

 魔物の標本もネクロクリスタルが発生する条件がそろい、表面に結晶を形成させたのだろうが、透明な結晶から黒い雫が滴る現象の不吉さ、なじみ深く身近な匂いを漂わせるところも、また不気味であった。

 ゼミ生たちの反応も様々で、目を輝かせて興味津々といった様子でいる者もいれば、顔をしかめて嫌悪をしめす者もいる。ティアは眉を寄せて不快さをあらわにし、ヘルメス教授は苦虫を噛みつぶした。
 管理している巨人族も標本に起こった異変に、戸惑い、持て余したからこそ、公開に踏み切ったのだろう。専門家の知識を借りて、なんとか事態の収拾を図ろうとしたのだ。

魔媒晶マテリアル・ストーンの正体は、もしかしたら魔物の死体から発生したネクロクリスタル……魔王は封印されたというのに、未だ世界は魔王の脅威にさらされているというわけか」

 ヘルメス教授は口ひげを触りつつ、怒りで唇を戦慄わななかせた。

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 今から1000年前 伝説の都――ユピテルを一瞬で滅ぼした魔王【マキーナ】 深紅の巨体に輝く藍色の翼を持ち、その存在は呪いそのもの。 歩くだけで世界をゆがめ、けるものは本来の姿を忘れて魔物となり、海と空とを暗黒に穢し、大地を枯らして毒の呪いをかけて人々をの地へ追いやった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 映像による記録媒体は、未だ開発されていない。
 もし実用化されたら、500年前の生き残った長命種からの記憶を抽出して、記録を残すことになるのだろう。
 その当時の記録は、口伝・伝承でしか残されておらず、情報の統一化がなされていない現状を誰も気にも留めていない。

 魔王は何者なのか?
 魔物化のプロセスとは?
 魔物に関する状況を統合するならば、核となる存在が魔王の干渉で黒い魔力の塊となり、次々と生物を吸収しながら魔王とともに土地を汚染し世界を歪める。
 生殖して数を増やすことはない。一応倒すことはできるが、倒しきるためには覚悟が必要だ。

 直接攻撃すれば、そのまま捕食される。もしくは、毒素に汚染されて命を落とす。討伐方法は安全を確保して距離をとる方法が推奨され、魔法による攻撃技術が発達した。
 魔法陣の構築技術の発達によって、罠を仕掛けるように魔法での攻撃が可能となったのは大きかった。

 しかし、魔物を倒した後も大変だった。魔物の死体から土地を殺す毒素が流れ出し、死体は毒素の流出が及ばないほどの地中深く埋めるようになったらしい。
 だが、最初に魔物の死体を埋めるよう指示したのは誰なのか?

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 魔媒晶マテリアル・ストーンの名前が歴史に初めて登場したのは、現在から100年も昔である。
 その当時の新規商会に過ぎなかったクロノス商会が、魔媒晶マテリアル・ストーンの鉱脈を独占し、加工技術の特許を取り、莫大な富を築いたところでインフラ産業に加入した。
 創始者の名前は、ハイエルフと人間のハーフとされるデオン・マクレガル。 奇しくも魔導王国オルテュギアーの初代国王と同じ名前である。
 さらに、デオンの他にも役員には長命種族が名を連ねており、彼らは世界の復興を名目に産業革命を起こして、世界的ともいえる巨大複合企業に成長した。
 それは成長促進剤を使用したような、無理がある程の急激な成長速度だった。役員たちは、果たして魔媒晶マテリアル・ストーンの危険性と正体を知っていたのだろうか。

 クロノス商会の企業理念は、世界の繁栄と調和を謳っているものの、実態はあまりにも歪んでいる。
 政治的介入と私兵組織を有し、各国政府へ圧力をかけて、軍事兵器の開発を強要しているという噂だ。万年、紛争地域とされているイシュタル大陸の紛争が終わらないのも、クロノス商会が新兵器の実験場として利用している――という噂であり。
 死の商人としても悪い意味で有名である。

 イシュタル大陸の内戦は終わりが見えない。
 最初は第三魔法を秘めたアイテムの所有権をめぐって、住民たちが小競り合いを繰り返していたことが発端らしいが、数年後には周辺の国同士が火花を散らし、一つの大陸を巻き込んだ紛争へと発展させた。
 もはや落としどころが見えない争いを良いことに、各国は死刑囚や生理的衝動に負けた精神患者を兵士として投棄し、また違法な人体実験を行い、新兵器の開発をクロノス商会が主導し、気づいた時には万年紛争地帯という不名誉な称号のもとで、魔王が復活したことに備えての軍事力強化の御旗をひるがえすようになった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 カーラは自分の膝の上で眠るティアを撫でて、二人が走っていった方向に視線を向ける。

「プルートス様はもうダメね」

マーブル混血晶】の宿業ともいえる、突然の老化。
 抜け落ちた鱗の変色具合が、枯れ果てた花弁に似ていた。
 生命力の衰退と皮膚の部分的な壊死。
 遅効性の病のように、ゆっくりと体を蝕んでいく
 恐らく、自分たちが出会うより前に、プルートスは自分の寿命を悟ったのだろう。
 衝動に負けてカーラの身体を押し倒した時の、プルートスの切実な青灰色の瞳を思い出して少しだけ目を閉じる。

 祈るように、そして友人との再会が叶いますように。と。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 カーラはイシュタル大陸出身であり、自分のことはあまり語ることはない。ティアが知っている情報は、カーラ自身の血統と、多分年齢は100を超えていること、所属していた傭兵部隊であるヒュドラ部隊が壊滅したこと。
 壊滅時に仲間の一人に遺品を託され、修道女に化けて大陸を脱出し、遺品を家族に届けるのに数年以上かかった。
 やっと突き止めた家族のいる国がオルテであり、そこでイーダスと出会って、ティアの護衛に着任することになったのだが、父とは具体的にどんな話し合いが行われたのかは、ティアは聞くことはなかったし、カーラも話すことはなかった。
 ただお互いに、本来の居場所が奪われた身の上。同情からの連帯感が、二人の主従関係を円滑にしたのは確かだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 世界は揶揄する。オルテは世界の表を。クロノス商会は世界の裏を支配していると。
 ゴシップ好き、陰謀論が好きな人々は、25年前のテロも裏ではクロノス商会が裏で暗躍していたと本気で信じている。
 世界の主権をめぐって対立する二大勢力。
 ティアもカーラも正直な話、ヘルメス教授から話を聞かされるまで半信半疑だった。
 二人はイオアンナにも世話になり、彼女の故郷の養蜂場で毒素を含んだ、黒い蜂蜜が採れるようになった話を聞かされていても、どこかで他人事だった部分もある。

「まったく、あの男が余計なことをしなければ、こんなに時間がかかることはなかったのに」

 ヘルメス教授から湾曲的にレオナールの父親に対して、恨み言や嫌味を言われてもカーラは心に響くことはなかった。ディルダンの内戦はガイウスがやらかさなくても、いずれ誰かが火種を撒いた。

 カーラはティアの後見人としてヘルメス教授を評価しているものの、この男の甘さ、罪悪感を軽くするためにティアに対して辛らつな態度をとる弱さを好ましく思っていない。
 真実を追求する勇気と、その場から逃げ出したい臆病な部分が常にせめぎあっている不安定さ。ヘルメス教授の行動を後押ししたのは結局、自身が火の粉をかぶって火傷したからだ。

 まさかクロノス商会の役員がネイリス学院の理事の一人であり、学院は体のいい天下り先と青田買いが出来る場所となっていたとは。
 それをイオアンナに関連した警察の取り調べで知り、ヘルメス教授はやっと重い腰を上げた。
 しかし、自分では真実にたどり着けるか分からない焦りと背徳感。親友の死も妻の死も一人で抱えることが出来ず、結果として彼は自分の首を自分で絞めることを選んだ。

『もし私に何かあったら、なにがなんでもこの国から出るんだ』

 逃げろと言われれば、未熟な人間は逆に好戦的になる。
 中途半端にティアやカーラに情報を開示させて、思考を誘導しようとしたあの男は、無自覚なまでに悪質な小者だった。
 ティアに対して耳触りの良い言葉を発しながら、彼女が王位継承の儀式に挑むように焚きつける
 それが、オルテの末姫に未熟な使命感を植え付けているとは知らずに。

 ティアが世界を救うと言い出した時、カーラは事態は事態の深刻さと、ティアの孤独の根深さを思い知ったのだった。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 記憶の海の中で過去を眺めるティアは、母から「第三魔法」の言葉が出たことを思い返す。
 魔媒晶マテリアル・ストーンの汚染、魔物の標本から垂れ流された黒い液体、母の流した黒い血も共通して林檎の香りが漂っていた。

 魔導姫アステリアが編み出した王位継承の儀式【アステリアの鎖】
 儀式に生き残った者は、先代の王からすべてを受け継ぎ、さらにその場で死んだ候補者の魔力もスキルもすべて、生き残った王に捧げられる。
 王の身体は膨大な魔力を有し、アステリアの記憶と思想を受け継いだ生き人形となるが、その代り種族的根幹に根差している生理的衝動から解放されるとされている。

 なんで自分たちは、500年から今日こんにちまで疑問を持たなかったのか。
 疑問を持つこと自体をタブー視していたのか。
 自分たちは果たして、なにを敵として、なにを知ろうとしているのか。

 ティアは王位継承の儀式のギミック。否、もしかしたら本来の手順に気づいたからこそ、自分自身の意思を持って生き残る公算がついた。

「だけど、それだけじゃなかった」

 そして、今更、儀式の手順を歪ませて500年もの間、間違った継承の儀式を続けさせた存在に気づいた。
 魔王よりも厄介で悪辣な存在を。
 父と二番目の姉の仇を。

【つづく】

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