【マルチ投稿】アステリアの鎖_第二十七話【慟刻】
「嘘よっ」
自分が不当な取り調べを受けているような気がして、ティアは声を上げる。自分の信じてきたことが、望んできたことが、ここまできた原動がことごとく覆されて、その場に残っているのは大人の都合に操られた、ただの無力な子供でしかない。
「かわいそうに」
ティアの嘆きに対して、アステリアの湿った呟きが耳朶を叩く。憐れみの眼差しで見つめてくる緑の瞳がティアを映して、ティアはなすがままに抱きしめられる。
「そうだ。私もそうやって騙された。答えは常に自分の中にあると言われて、言わずとも伝わるとも言われて、自分の思い込みを良いように利用されてきた」
自分は味方だと言わんばかりに囁きかけるアステリアは、色を失せたティアの頬に手を添えて、もう一方の手で紫の瞳からあふれる涙をぬぐう。
「だから、周囲にとって都合が悪かったんだ。私が王位継承の儀式を確立したあとに、ユニークスキルであるノルンの三翼を手に入れた瞬間、私が味方だと思っていた連中が一斉に襲い掛かって、私を殺そうとした。……いや、実際に殺されたんだろうけどね」
そう言いながら、魔導姫は力の抜けたティアの手を自身の手に重ねて、自らの胸に押し当てた。ずっしりとした質量があるのに、ティアの手はアステリアの心臓の鼓動を感じない。
「あ、あなたは、あなた……んっ」
不意に唇がふさがれるが、相手はアステリアではなく獰猛な翠色の瞳がティアの意識を怯ませる。
ファウスト殿……いや、ちがう。
ファウストはどこかに幽閉されており、今自分を口づけている相手は、ファウストの細胞を培養して作られた、魔導生命体のセカンドだ。ファウストとうり二つの男は、そのままティアの顔を横に向けて、後ろから華奢な身体をまさぐり始める。
「ふっうっ……くぅ」
「ねぇ、もう十分苦しんだんだ。このまま一緒に気持ち良くなろうじゃないか。いやなことは全部忘れて、快楽に身を任せて、ただのバカになってしまえばいい」
またこのパターンだと思いつつも、耳元で注がれる甘い毒から逃れる気力が残されていない。ドレスに潜んだ蛇たちも静観し、魔導姫と肉人形がドレスの布地越しにティアの身体を愛撫する。
反撃を、なにか反撃をしないと。
そう思いつつも、反撃をすればアステリアはティアが知らない過去を深堀りして、予想外の角度から現実で殴りつけてくる。ヘルメス教授は殺害されたのではなく、自殺した。それが悪趣味な幻ではなく、さらに悪質な意志の元で実行されたことを知り、オルテの末姫は自分がどうすればいいのか分からなくなった。
わたしは一体、なにを信じればいいのだろう。
ヘルメス教授も、教授の奥方であるイオアンナとも五年の付き合いがある。
裏切られたと断じるには、決して短い時間ではなかった。
ましてや自殺するほどに追い詰められていた教授の心情を考えると、一番確信の近くにいた自分が、教授の苦悩に気づくことなく、呑気に世界を救うことを考えていた構図に吐き気を催すほどの嫌悪を覚える。
「そうだ、君の言う通りだよ。王位継承の儀式は、親から子へ、子から孫へと受け継がれる一子相伝の儀式を応用した魔導さ。ユピテルはその技術を応用して、すべてのスキルを有した賢者の石を造ろうとした。賢者の石の製造が軌道に乗れば、一人の人間が100以上のスキルを瞬時に使用できるようになるだろう。スキルだけではなく、技術も経験もそして想いも……」
「……」
魔導姫の言葉は、今のティアには遠い出来事のように聞こえた。
自分の仮説は正解であったが、それが姉や自分が生きのこる道筋に繋がることはなく、無力な虫のようにやりこめられる。
後ろからセカンドが膝を折ると同時に、密着しているティアの膝もがくんと折れて、肉のイスに拘束された。明らかに不自然な体勢であるにも関わらず、ティアの身体をのせたまま維持される体は、どろりと形をうしないグロテスクな玉座を作る。
「…………」
自分が今、とても危険な状態であるのに、ティアは指先すら動かすのが億劫になった。
わたしが見たかったのは、こんな光景じゃない。
周囲に視界を巡らせると、壁に拘束された母はぐったりと目を閉じ、隣で拘束されているユリウスは目が死んでいた。姉である巨大蜘蛛は燃え続けて、友人であるカーラも目を覚ましそうにない。
完全に詰んだ。
もう自分がどうすればいいのかわからない。
なにをしたかったのかもわからない。
自分がなにを守りたかったのかも、自信を持って主張することができない。
一度芽生えた疑念が、自身の行動一つ一つに結びついて根をはり、末姫から行動力を奪っていく。
あぁ、なるほど。と。
父がティアになにを望んでいたのか、危機に瀕してようやく理解できた。
他者に依存した、こんなスカスカな理想は、砂の城のようにいずれ足元から破綻する。
だから父はティアに自分を持つように言ったのだ。
娘が自分のために生きることができるように願い、痛みに疎い娘の方は父の言葉を聞き流して、気色悪い肉の感触にうずもれていく。
あぁ、こんな末路を、イーダスは願っていなかっただろうに。
形を失ったセカンドの肉体が脈動し、ティアの口の中に入り、生々しい感触が胃壁をなでるも、彼女は紫の瞳に涙を浮かべて、ただじっと耐えるしかない。
「そんなに怯えることはない、ただ君をちょっと改造するだけだ。そのために魔菌糸株のコロニーを増設して、君のユニークスキルを強化しようではないか。このドレスに潜んでいる蛇たちも、疑似的な生体CPUとして働くのならば肉体的な負担は減り、うまくいけば私のように意識をナノマシーンに転写して助かるかもしれない。……それは、まぁ、あくまで可能性の話だけど」
話を続けながら、アステリアがぱちんと指を鳴らした。
乾いた音が響くと同時に、彼女の近くのなにもない空間が歪み、そこから頑丈な鎖で拘束された大男が現れる。
「――、っ、んんっ」
見覚えのあるまさかの人物に、反応を失いつつあったティアが飛び起きたように声を上げた。
鎖で拘束されて、華曼荼羅の刻まれた床に転がされた裸の巨体。その背には小さな翼が生えている。
「……クッソ」
大男は苦し気に呻いて、燃えるような憎悪の瞳でアステリアを見た。
アステリアの方も余裕の表情を崩すことなく、赤い髪をかき上げて緑の瞳を冷たくぎらつかせる。
「アポロニウスからは一応紹介されたんだけど、ガイウス……だっけ? 現国王の二番目の夫で、半巨人族の?」
確かめるように口を開くアステリアは、ガイウスの背にある天使だった名残をしげしげと眺めた。
そう、二番目の姉。レオナールの父親である半巨人族の傭兵ガイウス。どうして彼がここにいるか分からないが、娘の死を知った父親が原因を究明するために、オルテを訪れるは自然であり当然。
考えてみれば、三日前に二番目の姉の死が新聞をにぎわせていたのだ。ティアとカーラは、大陸間横断鉄道という特殊な移動手段をとっていたから、世間の認知と出来事に数日の差が生まれていたことを、今更ながら思い出す。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ガイウス殿……。
黒い髪であるが、波打つ髪質はレオナールに遺伝していた。黄色の瞳に飴色の肌、半巨人の巨体は北の離宮に収まり切れず、オルテュギアーに訪れる時は、決まって王宮の庭にユルトという円形テントを組み立てて、寝泊まりしていたことを思い出す。
「父様!」
「アぁ、太陽」
二番目の姉は実父の訪問をいつも喜んだ。ガイウスを前にすると、ティア以上に幼い態度を取り、全身全霊でガイウスに甘えてくるのだ。
「イヤダ! 父様! 父様! レオナも旅に連れて行ってよーっ!!!」
そして、いつもガイウスが出立の準備をすると、赤子のように泣き叫んで自分も連れて行ってくれと泣き叫んだ。
ここはイヤだと。ここは寂しいと。
ティアとアマーリエと、イーダスと、主治医と、出立を見送る多くの個体がいるにも関わず、彼女は自らの孤独を訴えて叫び縋りつく。
「スマナいガ、連れてイッテ、ヤレナい」
だが二番目の姉の願いは、いつもガイウスの不器用で誠実な優しさにより打ち砕かれるのだ。
恐らく、これは必ず繰り返されてきたこと――ティアがカルティゴに行った後も、レオナールが自らの意思で国を出ていくまで。
二番目の姉は、国を出た後、はたして寂しくなかったのだろうか。
そんなことをティアはぼんやりと考えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
セカンドの醜悪な肉塊に呑まれていく娘の姿に、ファウストの中のイーダスが発狂する。
『ああああッ!!! ティア、ティア、そんな、約束が違う。アステリア、どうしてそんなことを。娘をそんな目に遭わせるために、私は貴女に知識を渡したのではない』
サードの目から見た試練の間の惨状が、突然現れたガイウスが、アステリアがなにを考えているのか、ファウストは捜査官としての洞察力を駆使して答えを導き出そうとするが、起きている事象はあまりにも常軌を逸しており、冷静な思考を奪うばかりだ。
姫様。
世界を救う――高潔な使命感をたぎらせていた少女の末路。
涙が枯れた紫の瞳は光を失い、もはや助けを求める気力すらない様子がもの悲しく、捜査の際にいやでも目にした被害者たちとの姿が被る。
彼ら、もしくは彼女たちは、突然の理不尽に心が壊れ、生きる気力すらも奪われて、もう二度と元に戻ることはない。
「すごいなぁ、ネビュラ・タランチュラの粘液から逃れるなんて。しかも、パワーアップするなんて、反則技じゃないか」
そこへ、試練の間へ向かおうとするファウストの元に割り込んでくる声。
ふわりとファウストの目の前に漆黒の布が翻って、行く手を立ちふさがるようにアステリアが現れる。
『チッ、これも第三魔法の恩恵か何かか? アステリアは第三魔法を使えないんじゃなかったのか』
ファウストの中にいるユリウスがイライラした声で呟き、ユリウスの声が聞こえるのかアステリアは、にやりと口を横に広げるような嫌な笑顔を浮かべた。
サードの瞳を通じて、試練の間にはアステリアがもう一人いる。
ならば、ここにいる魔導姫はなにものなのか?
「あははは。私が殺された理由が、第三魔法を使えるようになったからだからね。しかも、触媒を介して過去の世界を体験できる神の領域さ。後ろ黒い過去を持っているヤツラは、なにがなんでも隠ぺいしたかったんだ。第三魔法は、英雄であるアステリアさえ習得できなかった究極の魔法であり、私は狂った王位継承法を編み出したすべての黒幕――それがヤツラの筋書きであり、25年前まで続いた都合の良い茶番だとね」
25年前……。
「くっ」
アステリアの言葉に反応する、自分を含めた四人分の感情が脳みそを削るように刺激する。
『アステリア、約束が。約束が違うぞっ! ティアを、私の娘を、人間にしてくれると、約束してくれたじゃないかぁっ!!!』
頭の中で吼えるイーダスに、アステリアは緑の瞳をすこし伏せた。
若干申し訳なさそうにする人間じみた態度が、ファウストの荒れそうになる思考の熱を冷す。
「魔導姫アステリア、あなたの目的はなんだ? 姫様になにをするつもりだ」
捜査官として、この事態を収拾するため、ファウストは本題に切り込んだ。テロとの繋がりはともかく、このままではオルテは吹き飛ぶというのに、彼女は常に余裕をもって行動し、いざなうように、優しく首を締めるようにティアの気力を削ぎ落し肉塊のイスに拘束しているのだ。
イヤな予感がするが、そんな予感が当たらないことを祈って、ファウストはアステリアに疑問をぶつける。
「うん、最初はイーダスの望み通りに彼女を人間にするつもりだったんだよ。その予行練習で、第一王女のアマーリエを魔物化させたのだがね」
「……その、知っていて当たり前の前提で話を進めないでくれ。自分たちはそんなに頭がいいわけではないんだ」
ファウストは魔導姫に苦言を呈すると、アステリアはぱちぱちと目を瞬かせた。そういえばという、なんとも言い難い顔になり「そうだよね。君たちはアポロニウスじゃない。はてさて、どこから話せばいいものか」
一応、話し合う意思があるのか、困ったように赤髪をかき上げて形のいい眉をハの字に寄せる。
「こっちから質問するから、簡潔に答えてくれればいい」
「あぁ。それがいい。助かるよ」
そう言って、ほっとするアステリアは緑の瞳にファウストを通じて、なにかを眺めているようだった。
「貴女の目的は、この国を救うことか?」
この点はハッキリさせないといけない。
国に奉職する身として、そして国どころか世界まで救おうとした姫の存在を想って。
「いいえ、違うわ。というか、どうでもいい」
だが、ファウストの問いかけに、ばっさりと切り捨てるアステリアの方は、忘れていた痛みを思い出したかのように美貌を歪めて吐き捨てる。
「私の望みは、勇者アレンこと、アレイシアを救うこと。そしてアレイシアと共に、人間が人間らしく生きられることを許される世界へと移住することだよ……そうだよ、500年前にそうすればよかったんだ。こんな世界なんて、さっさと見捨てればよかったのに……ッ!」
最後の部分で言の葉が揺れる。真っすぐにファウストを見つめる緑の瞳から涙があふれて、やり場のない感情が彼女の胸中をかき乱している。
「…………」
おぼろげながらファウストは、アステリアがなんで自分たちと対話をしようとしているのか、その理由を理解した。
彼女はずっと冷たい爆弾を抱えていたのだ。行動をともにしていたであろう、アポロニウスでは通じ合うことができない、狂気的で張りつめた情緒的な部分を。
いまにも爆発しそうなソレが暴発すれば、自分の本懐を遂げることができないからだ。
勇者アレンことアレイシアの救出。
それを可能とするのが、アステリア一人しかいないから尚のこと。
『そうだ、約束した! 貴女ならティアを人間にしてくれるから。ティアを人間の世界に連れて行ってくれるって』
二人の会話に割り込むイーダスは、悲痛な声をあげてアステリアを睨みつける。
「だから、安心してくれ。すべてが済んだら、君の娘を人間にするし、新世界に送ってあげるから」
『だったら、アレはなんだ! 私の娘をまるで物みたいに扱って』
ややめんどくさそうにイーダスを宥めるアステリアは「だって仕方がないじゃないか」と肩をすくめた。
「姫様は、無事に返すという意味で良いんだな」
ファウストが念を押すように言うと、鼻を鳴らして静かに頷く魔導姫はやや緑の瞳を釣り上げて、挑発するような微笑を浮かべる。
「まさか彼女が、ユニークスキルを発現させるなんて思わなかったんだよ。当初は捕らえた時点でコールドスリープさせるつもりだったんだ」
「こーるどすりーぷ……?」
魔導姫の口から出た聞きなれない単語に、ファウストが疑問符を浮かべると、アステリアは小さく首を振る。
それは理解されることがないという諦めと、仕方がないという許容が混ざり合った仕草で、どこか寂しげだった。
【つづく】
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