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感情が入り乱れる、母との一大イベント。

10年。

「およそ2か月半に一度、母と一緒にまつげパーマをしに行く」ということを定期的に続けてきた。

なんでもないようなこのイベントだけれど、年々、なんて貴重な時間なんだろうと思って泣きたくなることがある。

ねえ、こんなこといつまで出来るかな。こんなこと、20代半ばで母とやってること自体恵まれてるのかな。でも、ほんとうに他に出来ていないんだよ。

全然お化粧も美容もわかってなくて、興味すらなかった高校生のときから、なぜかまつげパーマだけは母と一緒に行っていた。

年頃になったからなのか、ある日突然「ビューラーを毎日するより楽だよ」と誘われて、あのまつげを挟んでぐりんとやる器具が怖かった私は、まつげパーマをすることに決めた。

ひとり2500円。ふたりで5000円。

高校生だったときは、ふたりぶん母が払ってくれていた。

大学になっても母が3500円くらい「いいよこれくらい」と頑なに多めに支払って

社会人になって自分のぶんを払わせてもらえたときはすごく安堵した。

高校の玄関から、大学の門から、会社を出たその瞬間から始まる「まつげパーマ」

その一連の出来事を、私はとっても大切にしている。

平日19:40、母の職場近くの道で待ち合わせて、車に乗せてもらう。

この日ばかりは私も絶対に残業をしないようにして会社を出る。

車に乗り込んで、夜道を15分ほど走る。

実はお店は18時までなのだけれど、超多忙な私の母は、昔からの付き合いのオーナーのお姉さんのご厚意で、20時からとさせてもらっているのだ。

いつももっと遅くまでやっている仕事を無理やり切り上げてきた母に、車を運転してもらう。本当に申し訳ないし不甲斐ないけれど、「母の運転してきた車に乗り込む」という行為が、小さいころの記憶を思い出させてくれて心があたたかくなる。私は子どもになる。

そして、急ぎ車を走らせるこの15分の間に、私と母は交代でご飯を食べる。

ご飯の調達は私の担当。駅近のスーパーのお惣菜を選ぶ時間も、私の中で「まつげパーマ」というイベントの一環だ。

10貫入ったお寿司を半分こして、お醤油を車内にこぼさないように四苦八苦して。

ついこの間は、現在自宅でテレワークできていることもあり、私が家でおにぎりとおかずとお茶を作って持って行った。ただの塩結びをおいしいといって食べてくれて「私が握られる側になったか」と笑ったので、なんだか泣きたくなった。

信号で車が止まるたびに母に食べ物をパスするのも、うまくなった。

20時からお世話になるお店は、まつげだけではなく全身のエステまで行ってくれるお店だ。

実はお店のメニューに「まつげパーマ」という項目はなくて、なぜ私たちがここでまつげパーマをしてもらえているのか、他の施術には手を出さず母娘でやってきてはまつげだけ巻いていく二人がどう思われているのか全然わからない。

このお店はタイの雰囲気満点のお店だ。

玄関から続く小スペースにはお姉さんが毎年タイで買い付けてくる雑貨や服が沢山売られている。

廊下を通ると、落ち着いた茶色の染め物の布で壁や天井が覆われていて、アジアっぽい香りが満ちている。そこで私は椅子にこしかけて、母は施術台に向かう。

母が先、私が後。これも、10年間崩れていないルールだ。

15分ほど待っているあいだ、私は雑貨を見に行ったり、また椅子に戻って母とお姉さんの会話を聴くなどしている。母は最初だけ笑いながら会話をして、でも日ごろの疲れが蓄積しているのですぐに眠りに落ちる。

いびきをかかないでね、恥ずかしいからと思うけれど、いびきが聞こえてくるときは「たっぷりおやすみ」と安心もする。

15分ほど経つと私が呼ばれて、今度は私のまつげをお姉さんが巻いてくれる。

母の施術台とは布で仕切られた、あたたかな毛布の敷かれたところに横になって、目を閉じる。

そこからいろーんな細かな作業を私のまつげに対してしてくれるのだが、目を閉じているので、何色の液体を私の目に塗っているのか、パーマの器具はどんなものなのか、全然知らない。

作業が終わってパーマが終わるまでの一時間、部屋の明かりは消される。

アジアっぽい雰囲気のゆったりした曲が流れて、眠れる雰囲気がたっぷりのなか、

いつも私の神経はかえって研ぎ澄まされてしまい、ぐるぐると考え事をする時間になる。

受験のこと就活のこと、恋人のこと、将来のこと、母の仕事のこと。

都度、いろんな悩みが頭をよぎり、それについて考えながら、耳では母の寝息を聴いている。

15分、一足先に母の施術が終わる。お姉さんの「お疲れ様でした」という優しい声と、寝起きの母の「ありがとうございました」。

そして母は、お姉さんの淹れてくれた、これまたアジアっぽい味のお茶を飲む。

私は、まだかな、私も早くそれ飲みたい、と思いながら時間が経つのを待つ。

施術が終わったら、私はまるでいままで寝ていましたというような感じでお礼を言って、鏡の前でまつげのカール具合をチェックする。これだけくるんとしていれば2か月半、だいじょうぶだ。

そして母のもとへいき、一緒にお茶をすする。

本当はもう支払いと帰るばかりだから、ゆっくり飲む余裕はなく、ちょっぴり不公平さを感じながら、支払いをして、挨拶をして、帰る。

そして2階にあるお店から外階段を使って降りるとき、iPhoneの懐中電灯機能で母の足元を照らすようになったとき、時の流れを感じて私はまた泣きたくなる。

ねえ本当に、こんなこといつまで二人でできるのかな。

土日も沢山働く母には、なかなかリフレッシュする時間や、自分のためだけの時間を持つことがない。

私がいる時点でまつげパーマも「自分のためだけの時間」ではなくなってしまっているのかもしれない。だけど私は、母が仕事のことを考えないで、きれいになることに時間をつかっているさまを隣で感じるのが好きだから、絶対に一緒にまつげパーマに行きたいのだ。

いつもお疲れ様。

いつか遠くに住むことになっても、まつげパーマのためだけに私は母のところに行きたくなるんじゃないかと思っている。

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