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2002年の音楽シーンで何が起きていたのか

ここ1ヶ月で何本かライブに行ったのだが、偶然なのか何なのか、やけに2002年の匂いがする。

6月19日、SCOOBIE DO「『Get Up』リリース20周年記念日のSCOOBIE DO」。2002年6月19日リリースのメジャーデビュー作「Get Up」から丸20年を記念して全曲を披露+代表曲満載のワンマンライブ。20年前の楽曲を今聴いても全く色褪せていないのが素晴らしい。もともと時流に関係なくファンクをやっていたのが大きいのだと思う。

7月1日、GRAPEVINE「GRAPEVINE in a lifetime presents another sky」。2002年リリースのアルバム「Another Sky」を完全再現した第一部と、その他幅広い選曲で構成した第二部で構成。2002年のシングル曲「ナツノヒカリ」「BLUE BACK」や、そのカップリングも披露。今では考えられないが当時のGRAPEVINEは地上波音楽番組にも出演していて、「ナツノヒカリ」はミュージックステーションでも見た覚えがある。バンドの持つメロウネスを押し出した名曲だと思う。

7月16日、「イノマーロックフェスティバル」。オナニーマシーンのイノマーを偲び東京ガーデンシアターで開催されたイベント。00年代初頭にオナマシとライブハウスでしのぎを削った面々が中心だった事もあり、銀杏BOYZ「若者たち」(原曲:GOING STEADY)、氣志團「One Night Carnival」、ガガガSP「国号二号線」「晩秋」と、2002年のヒット曲が印象的に響いた。おまけに氣志團は「One Night Carnival」にGOING STEADYの「童貞ソー・ヤング」をミックスした「童貞ソー・カーニバル」まで演奏。この2曲も2002年に1週間違いでリリースされたヒット曲である。

最近ではORANGE RANGE「ロコローション」やnobodyknows+「ココロオドル」などにより00年代リバイバルが起きているとも聞くが、この2曲はいずれも2004年のリリース。ちなみに去年ブームが再燃した「マツケンサンバⅡ」も同年である。数年前から続く90年代リバイバルの空気、懐かしさの対象が1世代分進んでいるのかも知れない。2002年はそれより前で、今から20年前のこと。テレビで当時の世相を紹介する時は日韓ワールドカップの映像が出る事が多い。

2002年、僕は10代だった。それまで音楽を聴く時はMDに録音したものを再生していたのだが、この年に自分専用のパソコンをゲットし、そこに取り込むようになった。つまりいちいちMDを替える手間なく、ワンクリックで様々な音楽に触れるようになったのだ。これにより視聴環境の自由度が上がり、聴く音楽の幅、ジャンルもグッと広がった。

振り返ってみると、世間的にも2002年はポップミュージックの拡張が起きた年と言えるのではないか。J-POP界ではカバー曲、ロックシーンでは青春パンクが大流行。RIP SLYMEやKICK THE CAN CREWがヒップホップをお茶の間レベルに押し上げたのもこの年である。

特にリズムが多様化し、音楽ファンの耳はかなり変わったと思う。「楽園ベイベー」なんてボッサなトラックにラップが乗る今までになかったタイプのヒット曲だし、元ちとせ「ワダツミの木」はダブなサウンドで異例のヒット。他にもキャリア10年以上を誇っていたスカパラが初めてヒットを飛ばし、PE'Zのようなジャズインストバンドまでもが台頭。小沢健二の「Eclectic」も当時は賛否が分かれたが、今にしてみればネオソウルの源流となるような傑作だ。

その土壌は、2001年にはできていたと思う。CHEMISTRYがJ-POPとR&Bの融合として当時の模範解答を叩き出し、LOVE PSYCHEDELICOは邦楽と洋楽の垣根のないロックサウンドを鳴らしてまさかのミリオン突破。EGO-WRAPPIN'はジャズと昭和歌謡を融合したようなサウンドでシーンに衝撃をもたらした。中でも三木道三がレゲエでヒットを飛ばしたのは、今考えてみてもかなりのインパクトである。翌年MINMIの「The Perfect Vision」が支持されたのも、この流れができていたのが大きい。また大ヒットというほどではないが、くるりがエレクトロニカに接近した「ばらの花」が2001年1月リリースされたのも、当時21世紀の新しい音楽観を体現しているように感じた。長く愛される楽曲に育ったのも納得だし、翌年「ワールズエンド・スーパーノヴァ」でダンスミュージックとしての強度が増したのも面白かった。

もう少し遡ると、2000年はシングルのミリオンヒットが未だ10作以上出ており、90年代とそこまで変わらなかった印象がある。ヴィジュアル系がブームのピークを過ぎつつもギリギリ存在感を示していたし、avexの若手も90年代の成功パターンを踏襲していた。しかし2000年後半から2001年にかけて、BLANKEY JET CITY、LUNA SEA、JUDY AND MARY、THE YELLOW MONKEY、L'Arc~en~Cielといった大物が次々に解散や活動休止に至ったこと、シングルのミリオンヒットが急減したことなどで潮目が変わってきた感はある。2001年は、2002年に至る流れの中で過渡期に数えられるだろう。最近では「平成ベストソング」などと称し、平成を過去の物として総括する動きも見られるが、短期間でもこれだけの変化が起きている中、1989年から2019年までを一括りにして語るのは結構無理があると思う。

90年代からのシーンの変化をリアルタイムで反映した最も分かりやすい例は、安室奈美恵ではないだろうかか。2000年は90年代同様TKプロデュースが続いていたが、2001年に離脱しセルフプロデュースとして新たな表現を模索。そして2002年の暮れ、SUITE CHIC名義で本格的なR&B路線に乗り出し、その後の音楽性の土壌ができた。すぐに結果が出たわけではないが、この試行錯誤が後の人気再燃に繋がっていくわけだ。

80年代や90年代の音楽シーンについて語られるのはよく見かけるが、00年代は意外にきちんと振り返られていないように感じる。このnoteでは、そのあたりも詳しく言語化していきたいと思う。

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