駅伝と蟹

まただ。
心臓が粟立って、どこにもない逃げ場所を探す。
ここは私の居場所じゃない。

昔から、駅伝が好きではなかった。
厳密に言えば、テレビに映る駅伝をぼんやり眺める、お正月のお茶の間の雰囲気が苦手だった。
あの、全体的にだらあっとした、1年分の”心ここに在らず”が集結したみたいな空間。
年末年始は家族で過ごすことが当然だと、誰がいつ決めたのだろう。
伝統的家族観を美徳とする無言の圧力が、我が物顔で居座っているあの雰囲気にいつまでたっても馴染めない。
けれど、その日本のしきたり的同調圧力に逆らうほどの確固たる意志も覚悟も持てずじまいで、二十数年の年月が経つ。
年の瀬になると渋々実家へ向かうその道中が憂鬱で仕方なかったのは、私の家族が周りと比べていびつな形をしていたからだろうか。
帰りたいと思えるような優しい温度を、私の家庭は放っていなかった。

この人たちはなにが楽しくていつも一緒にいるのだろう。私の持ちうるすべての疑問が頭をもたげる。それくらい事務的な仮面家族。
そのわりに、やたら世間体や行事ごとを重視する一族。
毎年同じ時間に同じルートでお参りをし、同じスポットで同じ画角の写真を撮り、同じ店の同じ席に座って同じものを食べ同じような会話をし、テープの焼き増しみたいな「家族団欒」をした。
話すことといえばいつだって過去のこと。「昔はあんなに可愛かったのに」となじられる私。成長を否定される私。
これでもかというほどの思考停止を体現しながらも、変わっていくことといえば、みな平等に老いてゆくことだけだった。それは皺の本数や会話のままならなさに着実に現れた。
そんな形だけの「家族団欒」を演じたあと、帰途に着く私はいつも例外なくぐったりと疲弊していた。
思ってもいない言葉がたくさん通った喉の奥が気持ち悪い。

そんなわけで、私は深刻な家族団欒アレルギーである。
夕刻どき、親戚やらなんやら、とりあえず血を分けたっぽい人間同士がぽつりぽつりと集まって、お茶の間でなんとなくテレビを眺めるような流れになると、アレルギーを感知する緊急センサーが発動し、私の胸の内は急速に冷却される。今すぐここから逃げ出したい。

このことを人に話すと、結構な確率で「いや、わかる」と返される。
お正月と家族団欒に対する名状し難いこの拒否反応は、多くの人の心にしまわれている身近な感覚らしい。
「みんなそうだよ」と全身全霊で呆れを表現されながら言われたこともあった。
みんななんとか折り合いつけてやってるんだから、いちいち言語化して繊細ぶるなんてナンセンス。鬱はみんなのもの。譲り合ってシェアしましょう。そんな心の声が聞こえてくる。
この鬱屈が自分だけのものじゃないことを、どこかでちゃんとわかっていたから、私だって今までわざわざ口に出さなかった。でも結局こうやって言葉にしてしまっている私は、一生厨二病から脱却できない。今年でもう三十なのに。

団欒のひととき。ひとびとの視線の先にあるのが箱根駅伝だった時、アレルギー反応は殊更ひどいものになる。
そもそも私はスポーツ全般に1ミリも興味がないが、それを差し引いてもなお、毎年この2日間に繰り広げられる風習を全く理解できない。
彼ら一人ひとりの詳細なプロフィールすら大して知らないにもかかわらず、1年間、ひいては在学中の4年間、もっと言ってしまえば人生のすべてを賭けて臨んでいる彼らの努力を、お正月のたった2日間だけ、ましてや金銭の一切発生しない状態で消費するなんて、傲慢じゃないか。相容れない、と心の底から思う。
大学名という一種の属性だけで語られる彼らの表情ひとつひとつを、この2日間が終われば、人々はどうせ忘れてしまう。
でも選手たちはそのすべてを理解した上で、誇りを持って自らステージに立つことを望んでいるのだ。私風情が文句を言う権利など一切ない。そんなことはわかっている。「カテゴライズするな」なんて言い出したらキリがないってことも。人は皆、多くの属性を纏って生きているのだから。
それでも、誰かが何かの属性で記号的に語られてしまうこの現実を、どうしても受け入れられない自分がいる。
それはおそらく、私がこれまで散々、記号と属性に制圧された紋切り型のコミュニケーションに苛まれてきたせいなのだろう。
「女なんだから」、「長女なんだから」、「結婚したんだから」、「妻なんだから」・・・。

選手たちがカメラのある方へ向かって一心不乱に走っている。ライブ感溢れる映像。これ見よがしな中継アナウンスの昂ぶりと反比例するかのように、私の心はじわじわ水分と養分を搾り取られる。

そんな殺伐としたお正月を幾度も乗り越え、いつしか私はお嫁にもらわれた。
それから年末年始は夫の実家で過ごすことになる。

夫の家族は、私の家族とはすべてが違っていた。
いつ飛んでくるか分からない刃物のような言葉に怯え、心が凍てつくこともなければ、顔色を伺って道化を演じる必要もなく、とっくに成人を迎えている子供の人生を支配しようともしない。
今年もまた1年無事に過ごせたことに安堵する気持ちを分かち合い、互いの成長を喜び、苦労を労い、しっかり目を見て対話する。わざわざ言葉にしなくとも伝わるような、いつでも味方だよ、何かあったら帰っておいで、と言うような、優しく安全な「家族」の空気が、思いやりを伝播させる人肌のぬくもりが、いつだってほかほかの食事と共にそこにはあった。
とても幸せな日々だった。その一方で、長年ぼんやりと抱いていた自分の家族に対する不信感は輪郭を増し、私の生活に影を落とす。

「ナミちゃん、冷蔵庫!開けてみて」

私の鎖骨くらいしかない背丈の身体を夕飯の準備のために忙しなく動かす義母が、満面の笑みを向けて言う。
言うとおりに冷蔵庫の扉を開けるとそこには、赤々とした頑丈な甲羅を艶めかせる物体が、スペースの大部分を占拠している。
ズワイガニ。
もうそこにはないはずの魂が力強さを放って鎮座するそれに、私はつい、気圧される。
毒々しいビジュアルに扉をそっ閉じしたくなる気持ちを抑え、こちらをまっすぐ見つめる光のない瞳を凝視してみた。
こいつはきっと、誰もが涎を垂らすほどに自分を好んで食べたがることを知っている。そんな自信に満ちた表情。

うまいこと捌かれて食卓の真ん中に並んでゆくカニを見て沸き立つ人々。
義母はさっきからずーっとにこにこしている。きっと私たちを喜ばせたい一心で、お正月というめでたい日に高級なカニを用意していてくれたんだろう。そのあまりにも純粋な気持ちが眩しくて、愛おしくて、絶対に邪険にはしたくない。

ハサミで硬い殻を割り、身にかぶりつく。
「どうナミちゃん、おいしいだろ?」
正面に座って笑いかけてくる義母に、
「うーん、プリップリで美味しい。こんな大きいカニ、私食べたことないです」
そう大袈裟に声を上げたら、周りがもっと喜ぶことを知っている。私は卑怯だ。
多分、私はそこまでカニが好きではない。咥内に広がるあのなんとも言えない生臭さ。それを味わうために一生懸命身をほじくり返す労力をかける魅力を特段感じない。
でもカニの圧倒的な権威性は、決してそんなことを言わせてはくれない。食卓に出された瞬間、反射的に顔を綻ばせて有り難がることをマストで求められる。
ああ世の中、と思う。この権威性に錯覚を起こして、カニ大好き!カニおいしい!と言わされている、私のような人がきっと何人もいるはずだ。
でもそんな甘美な錯覚の中にいる人の目を覚まさせるなんて野暮なこと。私はいつだって野暮なことばかり考えて、一人で勝手に悩んでいる。

心を殺し、力を込めてカニの足にハサミを入れていく私の、胸の内が冷却されていく。
まただ。心臓が粟立って、どこにもない逃げ場所を探す。

好きなものを好きだと、嫌いなものを嫌いだと正直に言えない。常識や当たり前ばかりが求められる、まるで大通りへ進むしか選択肢のない道。家族という大きな圧力にほだされ、従属を強いられてきた記憶がフラッシュバックして頭を締め付ける。
夫の家族に受け入れられて幸せなはずなのに、いつまでも過去が追いかけてきて脚を引っ張る。
あそこは私の居場所じゃない。ここも私の居場所じゃなかった。こんな面倒な考え方をやめない限り、きっとどこにも居場所なんてないのだ。

テレビには今朝の駅伝のハイライトが流れ、カニを貪りながら全員がぼうっと画面を観ている。
どうやら今年は青山学院大学が優勢らしい。
元ランナーだったコーチの夢、4年生が抱く一縷の希望、卒業生が託した思い。そんなできすぎた感動物語そのものよりも、それを正面切ってエンタメとして消費する人々を包摂したこの世の中を、ひたすら理解できないまま、私は今年もひとつ歳をとる。

駅伝やカニのようなものが人生には溢れている。
そういったものを目にするたびに、私は自己と体裁の間で引き裂かれ、別の場所に逃げようとする。

いつか私は、駅伝で心から感動できるようになるのだろうか。
いつか、満面の笑顔で出されるカニを、喜んで頬張れるようになるのだろうか。
こんな文章を書いていたことさえ笑い飛ばせる日が来たら、それは私が私の過去をまるごと抱きしめて、世界を正面から受け入れられた時のような気がする。
そうなっていたらいいなとも思うし、そんなのって私じゃないな、とも思う。
おそらくこれからも野暮なことを考えては落ち込んで、見えない逃げ場所を探しては、沈んだ気持ちを取り戻す日々の繰り返しだろう。
どの未来にもきっとそれぞれの幸せはある。

とりあえず、今はこのカニの殻を処理して、全部きれいに食べてやろう。
家族団欒を心から楽しむ義母の笑顔を損なわないためにも。
それが今の私にできる、自分を自分のままで保つための、唯一の祈りだと思った。

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