見出し画像

死生観について知っておきたいこと、かんたんな言葉で書いてみた

大学を卒業してから今まで約8年間、医療ソーシャルワーカーとして働いて、患者さん、ご家族、医療従事者や他機関の人などいろんな人に出会った。
いただいた名刺の数は1000枚以上。
正解のない仕事なのでしんどかったけどそれが醍醐味でもあり、いろんな価値観、特に死生観にふれて、刺激的な毎日だった。
たくさんの価値観にふれたからこそ、想像力を働かせられるようになったと思う。

生きているってどういう状態?

医療ソーシャルワーカーとしての最後の4年間、わたしが担当したのは主に「がん相談」
言葉の表す通り、がん患者さんの相談にのることで、主に肺がん、消化器がん、時々婦人科系のがん患者さんと出会った。

がんの生存率は上がってきているとはいえ、死を意識してしまう病気。

だからこそ患者さんたちは治療法や療養先の選択を通して、生き方を問われていた。

医療が発達して人工心肺や呼吸器で命が繋がることも増えたので、どんな治療も受けたいという人もいた。
たとえ意識が無くても、医療機器の助けを借りて生きている、体温がある、ただそこにいるだけで意味があるし価値がある。

一方で、
「おいしいものが食べられないなんて生きていても意味が無い」
「声が出せなくなるなんて死んだ方がマシだ」
と命が短くなっても手術をせずに最期まで話したり好きなものを食べたいと思う人もいた。
色んな価値観の人がいる。

他にも、会いたい人に会ったり
家族との時間を持ったり
大好きなお酒を飲んだり、お風呂に入ったり
最期までとことん色んな治療を試したり
日常的なことから非日常的なことまで様々だった。

「何を生まれさせるのか、何を死なせるのか、何を死とするのか、判断の主体がわたし達自身になっている」
(引用:死生学とQOL)

患者さんとのかかわりを通して、生きている=心臓が動いているかどうか
だけじゃないことを知った。

どうやって判断する?


死生観は自分が主体とは言っても、どうやって判断していくかはとても大事だと思う。
もし判断しなければならない場面に出くわしたときのために、決定に必要な要素2つと考え、自分の言葉で書いてみた。
ソーシャルワークの「バイオ・サイコ・ソーシャルモデル」というのをもとにしている(つもり)。

1、そのときの自分の体の状態・心の状態
心身のバランスが崩れているときに判断するのは難しい場合があるので、できる限り心身のバランスを整えてから判断してほしいと思う。
それから客観的に自分の心身の状態を把握することが大事。
主治医の先生や家族などに聞いてみるとわかることもあるかもしれない。

2、自分の大事にしていること・生活の中での自分の役割
自分の好きなことや今まで大事にしてきたポリシーを書き出してみたりすると、見えてくるかもしれない。
そして人には生活の中での役割をたくさん持っている。
家庭の中では親として、兄弟として、
職場の中ではリーダーとして、部下として
友達との中ではムードメーカーだったり、ツッコミ役だったり
自分はどんな役割を持っているか、そういったことも考えてみてほしい。


認め合える風潮を

ここまで書いてきたように自分の命や生きることについて考え判断されたことは、簡単に意見したり否定したりされていいものではないと思う。
みんなの価値観や命が否定されない風潮になりますように。

また、医療従事者は治療方針の決定や療養先の決定など、第三者の死生観にふれて選択する場面に日常的に出くわす。
その選択は患者さんの価値観に基づいたものであり、本来簡単に意見したり否定したりするものではないけど、心身の状態について専門的な知識を持っている医療従事者はアドバイスをすることが仕事でもある。
だから心身の状態に関する情報提供が行われた上での患者さんの価値観や決定は否定したりねじ曲げたりされませんように。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?