『うつつまくら』は夢かうつつか論争、いざ参戦!/考察ドラえもん⑱
YouTubeの某ドラえもん雑学chで、ドラえもん考察の定番『うつつまくら』論争を扱っていた。せっかくなので、Fマニアも参戦することにする!
『うつつまくら』
「小学三年生」1970年9月号/藤子・F・不二雄大全集1巻
「うつつまくら」と言えば、自分の中では、「シャラガム」「ウルトラよろい」と合わせて【3大空想ひみつ道具】の一つとして認識している。
「シャラガム」は、のび太のやる気を引き出すためのただの市販のガムで、「ウルトラよろい」は、ドラえもんが「裸の王様」を踏まえたジョークをのび太が真に受けたお話だった。
「うつつまくら」は、少々混み入っているが、基本的には「夢オチ」ものに登場するひみつ道具で、のび太の夢の中だけに出てくる道具、という位置付けとなる。
少々混み入っている、と書いたのは、「うつつまくら」登場回は、夢が次々と連続する展開となっており、どこまでが現実で、どこからが夢なのか、考え出すと混乱してくるからである。つまり、このひみつ道具は、お話の解釈次第では存在しているものと認識することも可能となっているのだ。
さらに本作は、Fファンの間でその解釈を巡って長年考察されまくっていて、その中には恐ろしい結末を導き出す説もある。本作が時々「怖いドラえもん」として分類されることがあるのは、そうした理由からだ。
藤子F研究家(自称)としては、本作の考察に参戦し、うつつまくら論争に一石を投じたいと考える次第である。(大袈裟ですみません)
まずはストーリーを簡潔に。
①9月1日、二学期の初日。
のび太は自分から目を覚まし、夏休みの宿題も完遂しており、登校までの時間に余裕ができたため、予習をし始めるというのび太らしからぬ朝であった。ドラえもんは、こんなはずがない、これは夢だと言い出す。
②8月31日、夏休み最後の日。
のび太はドラえもんに起されて目を覚ます。宿題は全部やっていない状態で、のび太は夢の世界に戻すようドラえもんに頼む。そこで、ドラえもんは「うつつまくら」を出す。これで寝ると、夢と現実が取り替えられるという凄いまくらだ。さっそく眠りにつくのび太。
③9月1日。最初の夢に戻ってくる。
調子よく学校に向かうが、のび太を見かけたしずちゃんが、自分が遅刻していると勘違いして走り出す。学校では先生が、のび太の話を聞かずに宿題をやってきてないと決めつけ、廊下に立たせようとする。
この状況に腹を立てたのび太は、やはり現実に戻りたいということで、もう一度うつつまくらで寝ることに。
④8月31日。現実に戻る。
宿題に取り掛かるが、さっぱり進まず、今度は思い描いた夢の世界に行きたいと言い出す。すると、まくらの横部分に調節ダイヤルが付いていて、夢を選択することができるのだという。そこでのび太は、自分が天才で皆から尊敬されている世界を希望して寝ることにする。
⑤9月1日。のび太が天才の世界。
あまりの天才ぶりに学校も自主退学。通りがかりの女子たちにキャーキャー騒がれ、野球をすれば大ホームランでボールを人工衛星にしてしまう。1億円提示のプロ野球のスカウトも余裕で断り、帰宅すると報道陣が詰め寄っている。揉みくちゃにされながら家に入ると、パパとママに手をついて迎え入れられる。総理大臣からの面会申し込みも断り、自室に入ると研究中の火星ロケットが置かれている。
そこに××国のスパイが登場。のび太を拉致して、ひみつの武器を作らせようとしているのだ。抵抗するが、スパイに殴られてうつつまくらの上に倒れ込む。
⑥8月上旬?
スパイから間一髪逃れて目を覚ますと、宿題をやっていない世界に! ところがこの世界では、まだ夏休みは半分以上残されており、うつつまくらなどという道具も存在していない。
一体どれが夢なんだ?? と、混乱するのび太であった。
お話は今見てきたように、6部構成となっている。ラストが夢オチだと考えると⑥が現実で、①~⑤は全て夢となる。そうなると「うつつまくら」は存在していないことになる。普通に考えれば、このパターンが真っ当に思える。
しかし、ちょっと考えだすと、疑問や違う考え方も浮かんでくる。
「うつつまくら」は存在していると考えて、お話を捉えなおしてみる。すると、①のみが純粋な夢で、②~⑥までは全て現実か、まくらの効果で夢が現実化した世界ということになる。
最後に辿り着いた⑥の世界では「うつつまくら」が存在していないわけだが、⑤において「うつつまくらが存在しない世界の夢」を見るように設定して眠ってしまったと考えると、まくらが無い理由の辻褄が合う。
この場合、②が現実世界の出発点で、後は眠るごとに現実世界が変遷していき、最後は全く別の現実世界⑥へとたどり着く。うつつまくらが無くなってしまったので、もう最初の現実世界には戻れなくなっているという、かなりホラーなお話となってしまうのである。
このまくら「存在説」は、普通に考えれば強引な説に思えるが、⑤の世界において、スパイに襲われるのび太が、うつつまくらの調節ダイヤルをいじっているように見えるカットが挿入されていることから、この説を否定はできない、とされる。
さらにもう一つ有力な説があって、二番目の考え方(=うつつまくらは存在する)に沿って進むものの、最後の⑥の世界では、のび太が起きる直前でドラえもんがまくらを隠してしまい、無かったことのように振る舞う、というものである。隠す理由ははっきりしないが、現実を次々と変えていく恐ろしい道具を、これ以上のび太には使わせられない、ということが考えられる。
以上、三つの有力説を改めて整理するとこうなる。
A・夢オチ説
B・まくら存在説
C・まくら隠蔽説
「うつつまくら」はあるのか、ないのか。
考察する側からすれば、BかCという結論は単純に面白いとは思う。可能性があるのであれば、こちらをまずは考えてみたいと思うところである。
そこで、考察にあたり、本作が描かれた時期を見てみると、実はまだ連載開始から9カ月しか経っておらず、この頃の作品は、後先考えないハチャメチャな展開が多いという点に着目したい。
まだロボットのガチャ子だったり、スネ夫の弟だったりが登場するなどキャラクター設定も定まっていない。そもそもドラえもんのキャラクターも、のび太の見守り役と言いながら、おっちょこちょいな部分が目立ち、安定感がないのである。
また、出てくるひみつ道具も、「わすれとんかち」やら「クルパーでんぱ」やら「のろいのカメラ」やら、とても便利とは思えない、危険なアイテムが頻出している。便利というよりは、その結果が面白くなりそう、というギャグ中心の観点からひみつ道具が設定されているように思える。
こうした点から、本来一個人の夢を現実にするというあってはならない道具も、面白ければそれで良し、とばかりに登場させたとして不思議ではない。
また、初期のドラえもんは、ひみつ道具に頼らない、タイムマシンものが非常に多いのが特色だ。前後で見ていくと、「恐竜ハンター」「白ゆりのような女の子」「ご先祖さまがんばれ」「きょうりゅうが来た」「おばあちゃんのおもいで」「のび左エ門の秘宝」「ドラえもんだらけ」「タイムマシンで犯人を」など、とても数が多い。
未来を変える可能性のあるタイムマシンは、SFにおいてとても慎重に扱われるべきだが、そうしたSF設定を熟知しているはずのF先生は、ドラえもん初期では何ら躊躇なくタイムマシンを登場させているのである。そもそも、ドラえもんが未来からやってきた目的は、のび太の人生を変えるということだった。つまり、初期ドラの段階では、時空のパラレル化だったり、タイムパラドックスのようなものを敢えて無視して物語を作っている節を感じるのである。
そうしたことから、本作のような言わば、次々とパラレルワールドを分岐させていきながら、物語の最初とは別の次元へとたどり着く世界観も許容されていると見るべきである。
以上、こじつけ感もあるが、BやCの線で考えることは十分に可能と思えてくるのである。
しかしながら、その上でやはり自分はAのまくら不在説を採用したいと考えている。
その理由としては、本作におけるドラえもんの立ち位置は、どうなっているのだ? と考えることで浮かび上がってくる。
ドラえもんは、②の世界で「うつつまくら」を出して、一度見た夢の世界を現実にさせようとする。のび太は早速寝てみるのだが、起きるとすぐそこにはドラえもんがいて、夢と現実が入れ替わったことをのび太に告げる。このドラえもんは、何者なのか?という問題がある。
まくらで寝たのび太が世界を移動するにあたり、ドラえもんは一緒に寝ていないので、起きたまま、周囲の世界が一瞬で変わっていくのを見届けた上で、のび太が起きるのを待っていることになる。そうでないと、夢から醒めたのび太に変化をすぐに説明できるわけがない。そのようなことが可能なのだろうか。
最後で⑤から⑥の世界に移動する場面、スパイにのび太が襲われる時にドラえもんはなぜか不在である。そしてバタリと眠った後、⑥の世界の枕元にはドラえもんがいる。これまでのように起きたまま時空を超えることのできるはずだが、ドラえもんはまくらの存在を知らないことになっている。世界が変わるたびにその変化についていったドラえもんが、この時だけ変化を認識できないのは明らかに変だ。
なので、ここでB説は消えると思っているが、まだC説は理論上生きているように思われる。
しかしながら、寝ることで別の世界<パラレルワールド>に移動するのび太に対して、ドラえもんは何もしないで世界の移動できてしまい、かつ前の世界での記憶も残したままという設定は、やはり論理破綻している。寝ないで世界を移動するのはドラえもんだけではなく、家族や友人や先生も同様だが、彼らは前の記憶を引きずっていない。ドラえもんだけが記憶を留めておける理由がまるっきり見当たらないのである。
ということで、記憶を保ったまま、起きたまま世界を移動できる唯一の存在・ドラえもんがいる、という部分をもって、物語は破綻しており、やはりB説・C説は採用できないと考えざるを得ない。
少々つまらない結論ではあるが、本作は「夢オチ」と見るのが正解であろう。
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