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男女入れ替わりモノの決定版『換身』 藤子F「とりかへばや」物語 ③

SF・異色短編『換身』「S-Fマガジン」1972年9月増刊/大全集4巻

他人と体が入れかわる。SFとしては申し分のない設定であり、だからこそ小説に漫画に映画にと一大ジャンルを形成してきた。このnoteではこのジャンルを「とりかえばや」物語と命名している。

藤子F先生の作品では、「ドラえもん」を中心に、数多くの「とりかえばや」物語が描かれており、これまで二回に渡って代表的な作品の紹介を行った。今回はSF短編の中から、一本じっくりと取り上げてみたいと思う。

僕がすぐに思いついた藤子先生の「とりかえばや」SF短編は3本ある。執筆順に、

SF・異色短編『換身』
「S-Fマガジン」1972年9月増刊/大全集4巻
少年SF短編『おれ、夕子』
「週刊少年サンデー」1976年4月15日増刊/大全集1巻
少年SF短編『未来ドロボウ』
「週刊少年サンデー」1977年37号/大全集1巻

換身』は、タイトル通り、体が入れ替わることをテーマとした作品で、掲載誌からわかるようにSF色の強い構成となっている。

『おれ、夕子』は、一人の体に男と女が夜ごと入れ替わるという異色の設定で、ドラえもんの「のび太の結婚前夜」のネタ元とも言える感動作。ただし、かなり不気味なテイストな作品でもある。

『未来ドロボウ』は、老人と若者の体の交換という深いテーマを含んでおり、重厚な作風と感動的なラストが忘れ難い傑作である。


どれも甲乙つけがたい秀作なのだが、「とりかえばや」のテーマに最も相応しいと思われる『換身』について、本稿では考察を行っていきたい。他の二本は、そう遠くない時期に、改めて原稿にしたいと考えている。


換身』は、以前の記事でも紹介した『ヒョンヒョロ』と同じ、「S-Fマガジン」に掲載された、読者の対象年齢が高めの設定のお話となっている。

また、本作が発表されたのは1972年の9月だが、この半年前にあの問題作ドラえもん『入れかわりロープ』が発表されている。この話は別記事に詳細を書いているが、玉突き状態で次々と人格が入れ替わっていく作品であった。作中、のび太の体は、のび太→ジャイアン→ドラえもん→しずか→犬、と中の人格が移り変わっていく。最終的には入れ替わり過ぎて大混乱に陥るというオチである。

ここで勝手に想像するが、F先生にとって「入れかえロープ」は、うまく設定が整わなかった不完全作として位置付けていたのではないだろうか。その根拠として、すぐに本作のような入れ替えをテーマとした36ページもの作品を描き上げたこと、「入れかわりロープ」が再登場する時にややこしかった道具の設定を変えてしまったこと、などが挙げられる。

換身』は、暴力沙汰に飽き飽きしたヤクザの親分が、一般市民と入れ替わり、穏やかな生活を取り戻そうとするお話。ヤクザが足ヌケできないのは、「ヤクザと家族」とか「素晴らしき世界」や、高倉健主演の「夜叉」あたりを見てらえれば良くわかるだろう。

親分のターゲットにされた男性の名は海野五郎。商社に入社して半年のサラリーマンで、森山みどりという婚約者がいる。海野は、みどりとのデートの待ち合わせの前に、組員に捕まってしまう。

海野が連れていかれた不気味な洋館。魔土災炎という博士が、生涯をかけて研究したという怪しげな液体薬を持ち出し、ヤクザの親分に飲ませようとしている。これを飲んだ親分は、苦しみながら倒れ込むと、口から魂のようなものが吐き出される。魔土博士は、放出霊質(エクトプラズム)だと喜ぶ。

この魂は、捕らえられている海野の口に入り込み、玉突き現象で海野の魂が口から飛び出し、これが組長の口へと戻っていく。それを見て、魔土博士は「換身成功だ」とガッツポーズを取る。

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起きだした海野(中身は組長)は、体が軽くなったと大喜び。魔土は体が馴染むまで一日くらいは、ちょっとしたショックで飛び出すので気を付けろと警告する。そんな話に耳を貸さずに海野(組長)は、組長の衣服に仕込んでおいた拳銃を取り出して、魔土博士を撃ち抜いてしまう。

組長の体で目を覚ます海野。海野(組長)に殺されかけるが、銃声を聞いてやってきた組員に助けられて、命は助かる。しかし海野(組長)には逃げられてしまう。

ここまでが、本作の導入となる。ポイントがいくつかあるが、まずこの換身の実験を行っている魔土災炎は、「パーマン」でお馴染みのマッド・サイエンティストで、おそらくこれが初登場。本作では撃たれてしまうが、1983年から再連載が始まった「パーマン」では、全ギャド連と共に、大活躍する敵役である。彼が登場するシーンではいつも雨が降っている設定となっていたが、本作ではまだその様子はない。

次に換身を引き起こす「エクトプラズム」についてだが、これは主に心霊現象、例えば霊媒師が体から魂を抜き出して可視化させる、というような場面で登場するオカルト用語だ。ただし、元々はアナフィラキシーショックの研究成果によってノーベル賞を受賞したシャルル・ロベール・リシェが考案した概念であるためか、エクトプラズムは真実味をもって語られることが多いような気がする。

この手のオカルトに造詣の深いF先生は、体を入れ替えるための魂のようなものを、このエクトプラズムを使って表現したものと思われる。なお、「放出霊質」という言葉は、おそらくF先生の造語であろう。


ここからは、「とりかえばや」物語に必要不可欠な、新しい生活でのギャップなどのディティールがしっかりと描かれていく。

一般人の体を手にした組長だが、みどりと見に行ったギャング映画で、ああいう暮らしには飽き飽きしとるんだ、と映画を観て寝てしまう。ちなみにこの時見ている映画は「ゴッドパパ」という作品で、当然「ゴッドファーザー」のパロディとなっている。「換身」が発表された数カ月まえに封切ったばかりだったので、情報が入りたての段階で採用していることになる。

他にも大酒を飲む、飲食店の店員を脅すと、組長の性格は変わらない。みどりには、さっそく人が変わったみたいで気味が悪い、と見抜かれてしまう。このタイミングでみどりが怪しんだことで、換身の事実をすんなりと認めることに繋がっている。

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夜、組長となった海野がみどりの前に現れる。ところが追ってきた組員に捕まってしまい一方的に倒されると、組長の体からエクトプラズムが放出され、これがなんとみどりの口に入り込んでしまう。そしてみどりの魂は、ブサイクな組長の体へと押し出される。二度目の換身が起こってしまったのである。

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組長となってしまったみどり。涙が止まらない。今後の相談をするため、みどりの部屋に行くことになるが、みどりとなった海野は玄関口から入れるが、組長となったみどりは窓から潜入しなければならない。散々な目に遭うみどりなのだ。

組長(みどり)は心配する。

「ねえ、もしこのまま元へ戻れなかったらどうしましょ。五郎さん、それでも結婚してくださる?」

当たり前だと答える海野。

「顔がなんだ!!そんなことで僕の愛情は変わらないよ」とみどりを励ますのだが、「じゃあ、キスして」とスーパーブサイクなキスをせがまれて、慄き飛び上がる。「ほーらやっぱり」と泣き出すみどり。このやり取りはかなり笑かしてくれる。


二人は海野(組長)の部屋に忍び込み、不意打ちをかける作戦に出る。ところが、そんな浅知恵は簡単に見透かされ、逆に捕まってしまう二人。ここで、二人に猿ぐつわをしてしまったため、みどりと海野が入れ替わっていることに気が付かない。

海野(組長)は、組長(みどり)の体を工事現場まで連れていき、深い穴に落としてセメントを流しこんで、死体処理まで一気に片を付けようとする。この死体処理のアイディアは、「パーマン」初期の傑作「生きうめパーマン」から着想されている。

もうすぐ埋まる、という時に猿ぐつわが取れ、大声をあげる組長(みどり)。海野(組長)は慌てて拳銃で殺そうと走り出すが、コケて頭を打ってしまい、その衝撃でエクトプラズムが口から出てしまう・・・。


翌朝、みどり(海野)が、海野を見つける。中身はヤクザの組長ではなく、みどりとなっていた。喜び合う二人。あとは、この二人が入れ替われば、元に戻ることになる。

しかし、最初の換身から一日が経ってしまったため、魂が安定してしまう。落ち込むみどり。しかし、海野は思いつく。

「それでいいんじゃないかな。ここに君がいて僕がいる。心も体も。ちゃんと結婚できるじゃない」

うまくいくか心配のみどりの手を取って、海野は走り出す。「僕を信じでついてくればいいんだよ!!」

中身が入れ替わっているとも知らず、それを聞いた警官は、「女上位もここまできたか」と感想を漏らすのだった。

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本作の入れ替わりをまとめると、
海野の体は、組長→みどり
みどりの体は、海野
組長の体は、海野→みどり→組長
  となる。

登場人物3人で3回の換身を行うが、お話は全く複雑ではなく、入れ替わりならではのギャグや悩みなどもきちんと描き、さらに男女入れ替わって何が悪い、というような前向きなラストを迎える。

本作は、「入れかわりロープ」で不完全燃焼だったF先生の、渾身の「とりかえばや」物語なのではないかと思う。

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