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入れかえロープはややこしい 藤子F「とりかへばや」物語 ①

男女が入れ替わる物語と聞いて・・・

『君の名は』を思い出す人は、平成生まれ
『転校生』
だと言う人は、昭和生まれ
『とりかへばや物語』
だと言う人は、平安生まれ

ということになるだろうか。。

男の気持ちは女は分からず、女の気持ちは男は分からず。そんな男女が入れ替わってしまったら・・・。物語を作る人なら、一度は思い浮かぶアイディアなのかもしれない。

我らが藤子F先生も、ご多分に漏れず「入れ替わり」のストーリーを数多く描いてきた作家である。「ドラえもん」だけを見ても、入れかわりロープ身代わりバーや、トッカエ・バーやらと体が入れ替わることのできるひみつ道具がいくつも存在する。

「バケルくん」やSF短編などにも、入れ替わりネタが出てくる。また、未来と現代の少年が入れ替わる「みきおとミキオ」という作品もある。

今回はその数ある藤子F「とりかえばや」物語の中から、主に男女の入れ替わりモノに焦点を当てて、記事にしていきたいと思う。


本題に入る前に、入れ替わり物語が、なぜこのように数多く描かれるのか考えてみたい。

まず、入れ替わりモノ、特に男女間の入れ替わりは、男の心のまま女の体になったらどうなるのか、その逆はどうか、という部分がドラマ的であるからだと思われる。

服はどうするのか? 食べ物は? 友人関係は? 両親との関係は? 社会の通念をどう感じるのか? お風呂は? トイレは?・・・。普段当たり前の行動すら、男女が入れかわるだけでドラマが生まれていく。日常のちょっとした行動がドラマティックなのである。

つまり、男女入れ替わりものは、日常のディティールこそが重要なのだ。

その意味において、僕は新海誠監督の『君の名は』の男女入れ替わりのシークエンスには若干の不満を感じている。男女入れ替わりの面白さの本質のディティール、例えば、自分とは異なる性の体を持つことでの苦労だったり、性差ギャップの気付きなどを描き出すことが大事だからだ。

「君の名は」では、せっかく男女が入れ替わるネタを出しておきながら、入れ替わった日の学校生活をほとんど描かずに、今日は大変だったね、といきなり一日が終わってしまっている。

入れ替わった時、どんなことが起こったのか、何を感じたのか、きちんと想像して細部を丁寧に描くことが「とりかえばや」ネタを持ち出す者の使命ではなかろうか。そこは手を抜かずにきちんと踏み込んで描いてもらいたい、と思った次第である。


ではまず、入れ替わりネタの宝庫、「ドラえもん」から見ていこう。

ドラえもんにおいて、最も有名な入れ替わりひみつ道具は、「入れかえロープ」だろう。確認できたところで、4回登場している。以下にリストをまとめた。

『入れかえロープ』「小学二年生」1972年3月号/大全集3巻
『男女入れかえ物語』「小学六年生」1985年7月号/大全集13巻
『45年後……』「小学六年生」1985年9月号/大全集13巻
『スネ夫の無敵砲台』「小学六年生」1985年10月号/大全集13巻

「入れかえロープ」は、その存在は知っていても、使い方が途中で変わったということはあまり知られていない。なぜ、使い方が変わったのかというと、最初の使い方が異常に複雑だからだ。

入れかえロープの響きからすれば、例えばのび太としずちゃんが入れ替わるとすると、体は残して心が互いに替わるイメージだと思う。実際に2回目以降の登場では、そのような使われ方をする。

けれど最初の『入れかえロープ』では、人格が入れ替わったように思える、外見も入れ替わったように見える、という極めてアバウトな効果が発揮される。

今の説明を聞いても何のことかよくわからないだろうが、これは実際のマンガを読んでも、すぐに理解できないことになっている。


ことの発端はいつものジャイアンとの喧嘩。負けて逃げ帰ってきたが、「もしも僕がジャイアンのように強くて、ジャイアンが僕のように弱ければ勝てる」と言い出す。そこでドラえもんが取り出したのが入れかえロープである。

まずこのロープを使って、のび太はジャイアンと入れ替わる。のび太はジャイアンの人格を獲得、のび太の人格を持ったジャイアンと喧嘩をして見事やっつける。外見もジャイアンに見えるのび太は、「やっぱりジャイアンは強いや」とスネ夫におべっかを使われる。

効果としては、体はそのままに、人格と人から見える外見が交換されることのようだ。

これで調子に乗ったジャイアン人格ののび太。ロープを返そうとしないのだが、ドラえもんと引っ張り合いになり、ここで2人が入れ替わる。

のび太は、今度はドラえもんの人格となり、代わりにドラえもんがジャイアンの人格を得る。

ここでジャイアンの母ちゃんがやってきて、ジャイアンのように見えるドラえもんを連れて行ってしまう。「偉そうに髭なんか生やして」と言っているので、いつものジャイアンの外見とはちょっと違うとは認識されているようだ。

ドラえもん人格となったのび太。中身がドラえもんのクセに、事態を収めるのではなく、「今度は誰に替わろう」と混乱に拍車をかける動きに出る。

そこにケーキを食べようとしているしずちゃんを発見。ドラえもん人格ののび太は、今度はしずちゃんと入れ替わる。「なぜドラえもんさん?」などと変な感じの言われ方をされながら。

しずちゃん人格となったのび太は、ケーキを食べるために家に入り、代わりにドラえもん人格のしずちゃんは家を出ていく。

さあ、ここまでついて来れてますか??


そこにしずちゃんのママが登場。しずちゃんの人格ののび太からケーキを取り上げ、外へ出かけようと手を引っ張る。ママとのお出掛けで喜ぶしずちゃん人格ののび太。ここに、これまで入れ替わった人たちが現れて、一気に混乱の度合いを増す。

ドラえもんがジャイアンを追い回し、ジャイアンはしずちゃんに助けてと泣きつく。この時ドラえもんはジャイアン人格、ジャイアンは相変わらずのび太人格、そして頼もしいしずちゃんはドラえもん人格となっている。

そのカオスを見て、「だいぶんややこしくなったわ」としずちゃん人格ののび太。

のび太がしずちゃんのママに連れられてきたのは、なんと歯医者。いやだあと逃亡し、そのはずみで入れ替わりロープを垂らしてしまい、犬と入れ替わってしまう。その結果、犬人格ののび太と、しずちゃん人格の犬とになってしまう。

犬人格ののび太は、四つ這いで犬のようにゴミを漁ったりするのだが、「こんなことしたくない」「もうのび太に戻ろう」と言っており、入れ替わってきた人格とは別に、元の体の人格も残していることがわかる。また、しずちゃんの人格となった犬は、再度ママに歯医者に連れていかれるが、「キャンキャン」と鳴くのみ。人格が人間でもしゃべることはできないらしい。

だいぶ混みあったので、最後どうなっていたか整理しよう。

外見:のび太 人格:ジャイアン→ドラえもん→しずか→犬
外見:ジャイアン 人格:のび太
外見:ドラえもん 人格:ジャイアン
外見:しずか 人格:ドラえもん
外見:犬 人格:しずか

ラストのコマがどうなっているかを書き出してみると・・・。「じつにややこしい」と言っているドラえもんは、ジャイアン。しずちゃんのママに手を引かれている犬は、しずか。しずちゃんのママを追いかけるしずちゃんは、ドラえもん。最初に入れ替わろうと提案しているのび太は、犬。提案されているジャイアンは、のび太。となる。

扉を除いて8ページの短編ながら、きちんとメモを取って読んでいかないと、途端に訳が分からなくなるという作品で、掲載誌を読んでいた小学二年生で理解できた子はおそらく皆無だったものと思われる。


これほどの混乱を極める「実にややこしい」道具であったので、色々と使い道はありそうだったが、残念ながら姿を消してしまう。そして13年後に再登場した時には、すっかり使い方が変わってしまっているのである。


本作から一年後、入れかえロープの代わりに、「トッカエ・バー」というひみつ道具が登場する。こちらは心はそのままに、体が入れ替わってしまう、分かりやすい効用となっている。掲載は『ぼく、マリちゃんだよ』(「小学三年生」1973年7月号)。多忙を極めるアイドル丸井マリと、のび太が入れ替わるというお話だ。

のび太はドラえもんにトッカエ・バーを出しもらうときに、「いつか使ったあれを」、とその存在を知っていたかのように要求する。トッカエ・バーは初めての登場ではあるが、のび太たちの念頭には「入れかえロープ」の存在があったのではないかと思われる。それか、藤子F先生の勘違いか・・。

さて、長くなってきたので、本稿はここまで。次回は、ドラえもんの『入れかえロープ』以外の、入れ替わり作品を見ていく。

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