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公開討論会「ネッシーはいるか いないか」/考察ドラえもん⑰

『ネッシーがくる』
「小学館ブック」1974年8月号
(『ドラミちゃん 公園のネッシー』改題)

藤子F先生のUMA(未確認生物)好きについては、ツチノコ三部作の解読の中で少しだけ語った。

前回の考察の中で注目したいのは、それが執筆された時期について。世の中のツチノコブームを受けて1974~75年にかけて、短期間で「ドラえもん」の中にツチノコを3回も登場させている点である。


本作のテキストとする『ネッシーがくる』は、1974年の夏休みの自由研究の時期を意識して執筆されているが、ツチノコ三部作が描かれていた時期と重なるのである。この頃、F先生の中では、ツチノコブームだけではなく、ネッシーブームも到来していたのだ。

さらにその証拠として、ツチノコ三部作のトリを飾る『ツチノコ見つけた!』では、実はラストカットが、雑誌掲載時と単行本とでは異なっていて、初掲載の時はネッシーについて触れているのである。

『ツチノコ見つけた!』は、未来からツチノコを取り寄せたのび太が、第一発見者として名乗りを上げようと試みるが、ツチノコに逃げられてしまい、結局ジャイアンにツチノコを捕まえられてしまう、というオチである。

しかし初掲載時では、この続きとして、のび太が

のび「歴史に名を残すには、何もツチノコに限ったわけじゃない」
ドラ「そうとも!真面目に勉強して立派な人物にさえなれば…」
のび「いや、僕はネッシーの発見者になるんだ」

と、熱心に「ネッシーのなぞ」という本を読みながら、次はネッシーだと決意表明をして終わるのである。


先ほどF先生の中で、ツチノコとネッシーが同時にブームになっていたと書いたが、実は世の中がUMAに沸き立っていた時期であった。

ネッシー目撃の歴史については後ほど詳細するとして、日本におけるネッシーブームを本格化させたのが、北海道の屈斜路湖での「クッシー目撃事件」である。校外学習中だった大勢の中学生たちによって、ネッシーのような巨大生物が目撃されて、一躍話題となった。これが1973年のことだから、この頃から世の中がネッシーブームとなっていったことは想像に難くない。

ちなみに1979年には、鹿児島県指宿市の池田湖で、イッシーが目撃されたり、神奈川県芦ノ湖では、怪魚型のアッシーが見つかったりした。

ざっくりと言ってしまえば、70年代は全体的に、ツチノコ、ネッシー、UFO、超能力…などなど、世の中オカルトブームだったのである。そして、このオカルトブームの潮流の中に、1979年創刊の雑誌「ムー」がある。

子供の頃夢中になって読んだ疑似科学雑誌であるが、この話はまた別の場所で…。


では、『ネッシーがくる』の作中で展開される公開討論会「ネッシーはいるか いないか」の議論を見ていこう。

ちなみになぜこの作品はドラミちゃんなのか、スネ夫ではなくてズル木なのか、という疑問については前回の稿を参照いただきたい。


この討論会はジャイアン(カバ田)が司会者となり、肯定派ののび太(のび太朗)と、否定派のズル木が議論を行い、集められたしずちゃん(みよちゃん)たちがその意見を聞いて、いるかいないかを判断する、というもの。

まずは肯定派ののび太から。

ネッシー目撃の歴史をまずは語る。
・最初の目撃記録は565年、アダムナンが「聖コロンバ伝」でネス湖に竜がいる、と書いている。
・1933年この頃ネス湖への道路が引かれて、大勢の人が来るようになって、目撃談が増えた。
・1934年漁業管理員A・キャンベルが、首の長い竜だったと証言、さらに外科医K・ウィルソンが、初めて写真撮影に成功。
・同じ年、A・グラントが陸に上がったネッシーを目撃、古代生物のプレシオザウルスに似ていたという。

ズル木に、そんな証言には証拠がない、と突っ込られると、のび太は写真を取り出して反証する。

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「ドラえもん」としてはかなり珍しく、実際の写真を貼り付けて紹介をしている。F先生のネッシー研究が行き届いている証左だ。

観衆が肯定派に流れてきたところで、のび太は続ける。
1968年バーミンガム大学による水中音波探査機を使った調査で、明らかに動物と思われる巨大なカゲを水中で探知していると。

ここで、みんなはネッシーいる、ということになり、ジャイアンは、いるで決まり、と裁定を行いかけるのだが、これまでの議論を余裕の表情で聞いていたズル木が、ついに口を開く。

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ズル木の反論は憎いほど科学的だ。
・バーミンガム大学の発表には反対している学者も大勢いて、水中音波探査機はありもしないカゲを写すこともある。それは幽霊(ゴースト)というありふれた現象である。
・証拠写真はすべてボヤっとしてはっきりしない。これらは、トリック写真だったり、全く関係ない別のものが映っている写真である。例えばウィルソンが撮った有名な写真は、博物学者のM・バートンによれば、怪獣の頭のような部分は60センチしかなく、意外に小さいものを写している。水に潜ろうとしているカワウソのしっぽと考えれば一番ピッタリする。
・そもそも小さい湖に毎年大勢の人が押しかけているのに、また一匹も捕まえられていない。それどころか骨一本見つかっていない。


あっと言う間に守勢に立たされたのび太。結局観衆は否定派に流れてネッシーはいない、と結論付けられてしまうのであった。

のび太は新しい証拠を見つけるといって家に帰るのだが、そんなのび太の劣勢を予期して、ドラミちゃんはなんと本物のネッシーをネス湖から連れてくる計画を立てていた。

公園の池とスコットランドを地下水路で繋いで、ネッシーを引き寄せてくるという遠大な計画。新証拠は一週間で用意しなくてはならず、どうやら時間との戦いとなりそうだ。

一週間後、公園の周りでズル木と新証拠を待つが、日が暮れてしまいズル木は怒って帰ってしまう。が、その夜、遂にネッシーが公園にやってくる!

大慌てでズル木を呼びに行くが、間違えてジャイアンの家に行ってしまい、寝ているジャイアンを起してしまう。次にズル木の家に向かうが、ズル木は親戚の家に泊まりに行ってしまい不在であった。

結局ズル木にネッシーを見せることは叶わず、その間公園に浮かぶネッシーを誰かに見られてしまったため、騒ぎの前にネス湖に返すことにする。

「あーあ証拠が帰っていく。明日ズル木に謝るしかないな」

ところが翌日、ズル木がジャイアンに殴られている。ジャイアンは、のび太に起された後、寝付けなくなって公園に散歩に行き、そこでネッシーを目撃したのだという。夜中の目撃者はジャイアンであったのだ。

結局ジャイアンに脅され、ズル木は、ネッシーは本当にいる、と宗旨替えをさせられてしまうのだった。

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作中、公園でネッシーを飼えないかとのび太は一度提案しているのだが、これは翌年描かれる「のび太の恐竜」に繋がる展開と言えるだろう。

また、ズル木ではないが、スネ夫は「のび太と竜の騎士」で、同じようにネッシーや恐竜などの生存説を科学的に否定している。


本作の特徴は、ギャグにはしているが、最終的なオチとしてはネッシーはいる、と結論付けている点が興味深い。

F先生のネッシー愛は、本作を描いた後も変わらず続いていた。1984年にはイギリス取材旅行の中でネス湖まで足を延ばして、半日滞在したという。

また先ほど触れた学研のオカルト雑誌「ムー」に対抗して、小学館が1988年に創刊させた「ワンダーライフ」という雑誌があるのだが、F先生はここで「藤子不二雄Fの異説クラブ入門」という連載をしていた。その第二回目には、「幻の動物論」というテーマで、冒頭からネッシーの話題を取り上げている。

ここでは約100,00文字の分量でネッシー愛を語っており、基本的に生存説にたったロマン溢れる内容となっている。そこでF先生のオカルトへの考え方が述べられている部分があるので抜粋したい。

(ネッシーの)肯定説も、否定説も、お互いの息の根を止めるところまでいかないわけですね
肯定論を読んでは「そうか、そうか!」、否定論を読んでは「そうか、そうか!」・・・
結論を出せないところが楽しいっていえば、いえるんですがね。

どちらかの説に拠らず、ロマンも失わず、科学的見識もきちんと踏まえる。非常に公正な目をもっていることがわかる。

オカルト(異説)とサイエンス(常識)を両立させて、たくさんの物語を描いてきたF先生の作家姿勢に改めて感服するのであった。

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