見出し画像

藤子Fマニアが見た「罪の声」/リアルに嘘をつくということ

最近のnoteでの藤子F研究の中で、F先生はストーリーを語る際に「リアルに嘘をつく」ことに注力していたことを記事にした。


代表例を挙げると、『ドラえもん』では、まるで魔法のような効果を発揮するひみつ道具も、「22世紀の科学力によって発明された道具」という設定を用意して説得力を持たせている。ハリーポッターのように杖を振れば、何でもできてしまう、というようなルール無用の体裁にしていない。魔法のような道具であって、魔法ではない、という論理である。

また、ひみつ道具は、現在の世の中にある物の形状をしっかり残すことで、現代の科学技術の延長としての位置づけを行っている。具体的に「もしもボックス」が電話ボックスだったり、「どこでもドア」がドアだったり、「着せかえカメラ」がカメラだったりして、普段私たちが慣れ親しんでいるものに、特殊な効果を加えるやり方で、リアリティを与えているのである。

他にも、超能力や宇宙人というような荒唐無稽な設定の作品は多数あるが、それぞれ、注意深く、ご都合主義に陥らないようにリアルさを付与している。

藤子マンガに限らず、映画や小説やマンガにおいて重要なことは、「リアルに嘘をつく」ことではないかと思うのである。

画像3

この手法を使ったもっとも代表的な作品は「タイタニック」だろう。タイタニック号の巨大セットを組み立て水に浮かべ、そこで起きたことを史実の通り時系列に沿って描き、船内の美術や乗組員・乗客の動きなどを徹底的に考証して、それを物語のベースとしている。その上で、ケイト・ウィンスレットとディカプリオの出会いと別れという大きな嘘(フィクション)を組み込んでいる。

タイタニックの史実を良く知らないものが見れば、こんな二人がいたんだ~、というような感想を持つかもしれない。それくらいのリアリティが「タイタニック」には備わっている。

画像2

他にも、大ヒットしたアニメーション「この世界の片隅に」では、広島原爆投下前後の呉で起こった歴史的事実を集めて、気の遠くなるような詳細な考証を行っている。何時何分に軍港に船が入ってきたのか、その時間の天気や風向きはどうだったのか、など、その時代をそのまま再現することに注力している。

そしてその上で、架空の女性・すずを主人公とした市井の家族のドラマを描き出す。見ているとどこまでがフィクションなのか境界線がわからないようなリアルさがある。

画像1

昨年公開された映画『罪の声』も、全く同種の作品である。「リアルに嘘をつく」ことに徹底した力作であった。

原作者の塩田武士は、新聞記者での取材経験で培った、緻密なリサーチやインタビューを駆使して、一本の小説を書き上げていくタイプの作家であるようだ。

まもなく映画も公開される「騙し絵の牙」では、Amazonなどの黒船襲来や、万年不況に喘ぐ取次システムなど、出版界のリアルを詰め込んだお仕事小説だった。昨年久々に発表した新作「デルタの羊」は、チャイナマネーや製作委員会といったアニメ界の最新トピックを余すことなく取り込んだ、青春小説だった。

リアルな背景があるので、前景となる登場人物たちのドラマが、まるで本物そのもののように見えてくるのである。


「罪の声」は、グリコ森永事件をテーマとした犯罪小説(映画)だ。ここでは、社長誘拐事件から始まる一連の犯罪の時系列、犯人を追う警察の動き、警察を追うマスコミの報道、捜査の中で検証が行われた株価操作説や、本件が模倣したとされるイギリスでの誘拐事件まで、事件当時のことから後の捜査まで全てを網羅した、圧倒的なリアリティが描かれている。

その上でごく自然なドラマを積み重ねて、まさかの事件解決まで描き切ってしまう。まるでドキュメンタリーを読んでいるかの如く錯覚するが、これがフィクションであるというから驚きである。

そもそも、当時の脅迫電話で使われた声の主が、この声が自分だと気が付いて、その真相を追うという設定は、冷静に考えれば結構無理のある話だ。けれど、事件描写の圧倒的なリアリティが、そうした嘘を嘘と思わせなくなる仕組みとなっている。


少し話題が逸れるが、本作では声の主であるテーラーと、もう一度事件の検証記事を書くために取材を行う新聞記者が、それぞれ別方向から真相に迫っていく、という構造がとてもユニークだった。バディものではなく、二人の主人公の物語、といった風情である。

本作は、そのリアルさから、事件当時を知る者は懐かしく感じられるだろう。知らない者もこのような大規模な劇場型犯罪が未解決で終わってしまったことに驚くことだろう。その意味で間口の広い、万人にオススメできる作品だ。

是非とも、小説か映画に触れて、リアルな嘘を堪能して欲しいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?