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藤子不二雄、最大のターニング・ポイント/解説:海の王子①

本稿では、藤子不二雄初の週刊連載で、その後の作家活動において大きなターニング・ポイントとなった「海の王子」を解説する。

藤子F先生はデビュー以来、様々な雑誌で短編や連載を執筆していたが、1957年頃からは講談社の小学生向け学習誌が活躍の中心となっていた。ほぼ毎月のように、短編や連載や挿絵仕事などもこなしている。

そんな当時、世の中は月刊誌から週刊誌の時代を迎えるのだが、漫画誌の週刊化も業界では検討が始まっていた。具体的に創刊を目指していたのが、講談社の「週刊少年マガジン」小学館の「週刊少年サンデー」である。二誌ともお互いを横目に見ながら、発刊の準備を進めていたらしい。そして当然そこには作家の獲得合戦が予見された。

藤子不二雄は、先述の通り講談社系での連載が増えており、流れからすれば「マガジン」の作家となってもおかしくはなかった。ところが、何の因果か、藤子先生がコンビだとも知らない小学館の編集者が、タッチの差(2日説が有力)で藤子先生にオファーしたことで、「サンデー」の創刊メンバーに加わることになったのである。

創刊号から連載が始まった「海の王子」は成功を収めて、予定を超えての長期連載となった。「サンデー」では安孫子先生作品の掲載が続き、やがて大ヒット作「オバケのQ太郎」が生み出される。結果論であるが、「海の王子」が、藤子不二雄=小学館のイメージが出来上がるきっかけとなったのである。

藤子F先生は、「海の王子」の幼年版と言える「ロケットけんちゃん」「すすめロボケット」などが、小学館の学習誌で連載され、こちらも評判を得ていく。62年頃までは講談社の学習誌でも「てぶくろてっちゃん」のようなヒット作があったが、63年以降はほぼ完全に、主戦場を小学館に移行してしまうのである。

「海の王子」は藤子F先生にとって、初めての合作によるヒット作で、小学館を主たる活躍の場にするきっかけとなり、さらに学習誌向けのタイトルを量産していくターニングポイントにもなった作品ということで、作家史においても非常に重要な位置づけであることがわかるのである。


ちなみにサンデーとマガジンの創刊メンバーを見ておこう。両誌とも紆余曲折あったが、同日・1959年3月17日に創刊した

「週刊少年サンデー」(編集長:豊田亀市)
表紙:長嶋茂雄 30円
手塚治虫(スリル博士)、寺田ヒロオ(スポーツマン金太郎)、横山隆一、益子かつみ、藤子不二雄
「週刊少年マガジン」(編集長:牧野武朗)
表紙:朝潮太郎 40円
忍一兵、高野よしてる、山田えいじ、伊東章夫、遠藤政治

マンガ連載は5本ずつで、両誌ともに読み物ページの方が充実しており、まだ漫画誌という位置付けが固められているわけではないことがわかる。表紙では、サンデーが野球でマガジンが大相撲というのも興味深い。「巨人・大鵬・卵焼き」は1961年頃から使われた言葉らしいので、その直前の空気を反映しているものと思う。

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さて、「海の王子」の夜明け前の状況を確認したところで、本作について解説する。

「海の王子」は藤子不二雄の初めての週刊連載作品だが、その数年前に仕事を引き受けすぎてパンクした事件を引きずっていたこともあって、このオファーを受けるのも勇気がいることであった。

そのあたりは後に藤子F先生も語っているが、一回のページ数が6~7ページであったこと、原案として当時の売れっ子作家であった高垣葵(まもる)が付いたこともあって、引き受けたという。

高垣葵氏のことを補足しておくと、当時の高垣はラジオドラマの脚本を数多く手がけていた。1959年のテレビ普及率は23%くらいらしいので、エンタメの中心はラジオであったのだ。高垣は「海の王子」の連載オファーがあった時に、既にラジオドラマを帯番組で7本くらい抱えていたという。藤子先生よりも、こちらの原稿を入手する方が大変そうである。

高垣は「海の王子」というタイトルと、潜水艦が活躍する話というアイディア、キャラクター設定などを組み立て、約10本分のシナリオを執筆したという。本当に多忙だったらしく、それ以降は藤子不二雄に任せることになった。当時9号まで「原案」表記が残されている。

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「海の王子」の主人公、海の王子は、深海のカイン王国の王子だが、最後まで名前が登場せず、ここでは「王子」としていきたい。妹が精悍な顔つきのチマ。この兄思いのチマの言動には時折泣かされる。彼らが乗り込む潜水艦(早々に飛行機にもなるが)、が「はやぶさ号」である。得意技は体当たりという、少々パイロットのリスクの高い戦闘機となっている。

話の筋としては、世界の平和を脅かす強敵が現われ、それをはやぶさ号が打ち破っていく、という単純なものである。一つの敵を破ると、次にさらに強い敵が現れる、という少年マンガの王道の流れである。

1959年創刊号から1961年14号まで約2年間連載されたが、この間大きく10の強敵と戦っている(僕はこれを海の王子10大バトルと位置付けている)。この10大バトルについては、別の記事で紹介する。

なお、別冊読み切りで本連載とは流れの異なる中編が描かれている。週刊連載が終わった後も、読み切りが発表され、その後学年誌でも連載された。また、今読める作品は単行本化した際に再構築されているもので、毎週どのような終わり方をしていたとかは確認できない。できれば、オリジナルで読みたいが、これは叶わぬ夢となりそうだ。


本作は藤子不二雄の合作であることを強調しておきたい。主人公側のキャラクターを藤本先生、敵方を安孫子先生が描いており、両先生のタッチの特色が活かされた奇跡のような作品だ。その事実を踏まえて読み直すと、敵・味方の登場分量が均等に近いことに気が付く。

さらに恐れずに言えば、敵の方が魅力的に感じてしまうのである。海の王子側は、当然主人公なのでキャラクターがたいして変化しないが、敵側は毎回凝った登場をするし、変化のある戦い方を仕掛けてくる。今度はどういう敵だ、とワクワクする作りになっている。その意味で、「海の王子」は安孫子先生の特色がより活かされた作品なのである。

実際、本作から安孫子先生は「シルバークロス」「ビック・1」「消える快速車」のような活劇に徐々にシフトしていく。F先生が小学館の学習誌向けに活路を見出していくのと同時に、A先生にとっても非常に大事な位置づけの作品であったのだ。

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ここからは少し余談。

「海の王子」は、1984年に発行された初めての全集「藤子不二雄ランド」の創刊作品である。当時僕は10歳。既に「ドラえもん」をはじめとした藤子作品の虜となっていたが、本作の存在はそこで初めて知った。定番作品以外で初めて触れた藤子作品であったと思う。

「なぜこのような作品が創刊号で?」と当時は疑問に思ったが、完全な合作という意味で、FFラン第一号に相応しい作品なのだということはだいぶ後になって知った。何せ、当時の僕は藤子不二雄作品は全て合作だと信じて疑っていなかったのである。

ただ、疑問には思ったが、凄く面白かった。自分の中での藤子先生の枠が広がっていく、個人的にも重要な作品なのである。

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次回の記事で、もう少し内容面に触れたいと思います。


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