見出し画像

物語とは、もしもの世界を作ること『かがみのない世界』/もしもの世界を見てみよう④

「ドラえもん」の中でもかなり有名で、かつ重要なひみつ道具「もしもボックス」。「もしも~の世界だったら」と、電話ボックスの受話器に向かって話せば、その通りの世界となる。

日常にもう一つの世界(=パラレルワールド)を実験的に作り出す、是非とも使ってみたい道具である。そして、藤子先生にとっても使い出のある道具だったようで、「もしもボックス」をテーマとした作品は全部で10話存在する。

そこで、「もしもの世界を見てみよう」と題して、一本一本を丁寧に考察していくシリーズを立ち上げ、本稿はその第四弾となる。


ところで、藤子先生はSF(すこし不思議)作家であるが、最も得意とするところは、日常から少しだけ異なる世界、つまりはパラレルワールドと描くことだったのではないかと考えている。

「ドラえもん」一つとっても、大前提として「できの悪い男の子の家に未来から最先端の科学技術を持つロボットが来た世界」というパラレルワールドとなっている。

ひみつ道具についても、「もしもどこでも行けるドアがあったら」「もしも小さくなれるライトがあったら」という、日常から少しはみ出した世界を描いている。

つまり、ひみつ道具の数だけ、もう一つの世界を描いていることになる。その意味で言うと、「もしもボックス」の世界は、何ら特別なことではなく、いつもの藤子ワールドの一つなのだ。


ここでさらに深めて考えると、ストーリーを考える人たちは、すべからくパラレルワールドを作る人たちだと言えそうである。何かオリジナルな物語を作ることは、この現実とは少しだけでも異なる世界を描くことを意味するのだ。

逆に言えば、現実世界と全く同じことを描いても仕方がない。何か新しい要素が加わったり、何かが欠けた世界を描くことが、フィクションを作ると言う事なのかもしれない。


さらに話を脱線させると、現実世界をよく捉えないと、面白いフィクションを作ることはできないだろうと思う。現実から一歩先を行く話を描こうと思った時に、現実をしっかりと認識しておかないと、半歩先、一歩先などが説得力をもって描けるわけがないのだ。


そういうことで言うと、藤子作品は、現実をきちんと把握して、その先をきちんと見つめている。普遍的な子供の世界、子供たちの欲求をしっかりと押さえているから、あったら便利な道具が思いつくのであり、それを使って手痛いしっぺ返しを受けたりする。

藤子作品の時代を超えた説得力は、現実を見つめる藤子先生の目にあるように思うのだ。


さて、そろそろ本稿のメインとなる部分を語っていこう。

『かがみのない世界』「てれびくん」1981年3月号/大全集19巻

冒頭、のび太が鏡に映る自分の顔を見ながら嘆いている。

「どうして僕の顔は、まんがみたいなんだろ」

それを聞いたドラえもん。「それは僕らがマンガの中の世界の人間なんだよ」・・・と答えるわけもなく、それは気にするなと励ます。

「人間の値打ちは顔じゃない。頭だ!力だ!」

頭と力については、もっと自信のないのび太。ドラえもんに人間としての全要素を否定された感じとなり、当然深く落ち込む。ドラえもんも「悪いこと言ったかな」と少し反省する。


ともかく、「鏡があるから引け目を感じたり自惚れる人が出たりするのだ」とのび太は決めつけるわけだが、それに対してドラえもんは、試してみようということで、「もしもボックス」を取り出す。

もしもボックスが登場するのは、本作で6回目。ただし前回からは少し間隔が空いて、約四年ぶりとなる。これまでは登場ごとに「もしもボックス」の説明をドラえもんがしていたが、すっかり認知度が高まったこともあり、「おなじみ、もしもボックス」とだけしか紹介していない。


さっそくのび太は「もしも自分の顔を誰も見ることがなかったら」という世界を作り出す。ジリンとベルの音が響き、新しいパラレルワールドの幕開けとなる。

どうなっているかと、まず一階に降りていく。すると鏡台がなく、自力でお化粧をしているママがいる。口紅一本引くのに一苦労といった様子。一方のパパはひげを剃っているが、これも鏡がないのでうまく剃れたかどうかわからないようだ。

この世界は自分の顔はわからないものの、身だしなみはしなくてはならないようである。

さらにガラスにも顔が映らないこと、カメラもないことなどが判明。自分の顔を知らない世界とは、色々な便利道具がない世の中となっているようである。


町に出ていくと、スネ夫が女の子たちに追いかけられている。スネ夫は似顔絵が上手いようで、自分の顔を知るために、描いてもらいたがっているのである。そして、美化した絵を描くものだから、描かれた女の子たちもすっかり大喜び。

しずちゃんにもチヤホヤされるので、のび太は少し不機嫌となる。


空き地ではジャイアンが、自分の顔に手を当てて鼻や口を触っている。手の感覚では、相当な美男子という風に思っているようで、タレントになろうとまで言い出している。

ジャイアンはいつもの世界でも人気歌手を目指していたわけで、鏡の有無ではやりたい方向性は揺るがないようである・・。


みんなの様子を見てきたのび太は、ここで鏡を見せてやろうと考える。鏡を見たことのない人間が初めて鏡を見たらどうなるのか、実験してみようというわけである。

この展開は、初めて「もしもボックス」が登場したエピソードと同じ。その時はお正月のたこ揚げや羽根つきがない世界を作り出して、その上で凧と羽根をみんなに使わせてみるという実験を行っている。


そこで「箱入りかがみ」(単なる鏡)を出して、ジャイアンに鏡を見てもらう。すると「お前誰だ」と絡み始め、「ゴリラみたいな酷い顔」だと評して大笑い。すると鏡の中のジャイアンも笑うので、人の顔見て笑ったな、と憤り鏡相手に喧嘩を始めてしまう。

そこでスネ夫としずちゃんがやってくる。誰に怒っているのかスネ夫が聞くと、ジャイアンはガラスの向こうにゴリラみたいな男がいるという。スネ夫が鏡を覗くと、「見るからに感じの悪いやつ」といら立つが、「でもゴリラというよりはキツネだよ」と感想を述べる。

続けてしずちゃんが鏡を見ると、「うそォ、可愛い女の子よ」と一言。

3人の鏡初体験の様子を見て、のび太とドラえもんは大笑い。


3人が騒いでいると、通りがかった男性が、ふと鏡を覗く。すると、自分の顔を見て、双子の兄さんと勘違い。十年前に家出して、ガラスの檻に閉じ込められていたのか、と鏡に食ってかかる。

そして助けてやると言って、鏡台を背負って近くの交番に駆け込む男性。警官に、箱の中に兄さんが閉じ込められていると説明し、警官と一緒に鏡を覗くと、当然ながら、男性と警官の二人が映っている。

二人は自分たちの顔が分からないので、中に映っているのは兄さんとニセ警官だと思い込む。警官は人相が悪いと言って、ピストルを抜くと、鏡の警官もピストルを取り出す。


・・・ここで思うのは、男性と警官は、それぞれの顔が分かるわけだから、鏡を知らなくても、自分たちが映っていると考えることができたのではないか。

結局、そんな風には気が付かず、警官はピストルで鏡を撃ち、一人銃撃戦を始めてしまうのであった。


「自分の顔を知らない世界」という大きなアイディアに対しても、あくまで日常的な範囲内できちんとしたギャグ篇にしている。一番「もしもボックス」らしいお話なのではないだろうか。


「ドラえもん」考察しています。


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?