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いのちのやくそく / シリコンバレーから日本へ 133

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いのちのやくそく 」(池川明、上田サトシ著、2016年8月1日、センジュ出版より発売)より抜粋して、少しずつ「マガジン『いのちのやくそく』」に書いています。

今回は、「シリコンバレーから日本へ」について書いています。(133ページ)
気がつけば、「あなたは今、幸せですか?」と、25歳の時に、未来の自分に聞いた質問が重く聞こえてくる歳になっていました。
過去と未来の自分が交差する中で、今の自分が進むのを示唆してくれたのは、「幸せですか?」という言葉でした。
常に幸せだと感じる道を選ぶ。それは時には難しいけど、「選ばないで後悔するのだけは絶対に嫌だ!」という思いで道を選ぶ葛藤が、後から思えば美しいです。
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シリコンバレーから日本へ

アメリカのカリフォルニア州北部、サンフランシスコの南部には、シリコンバレーという、多くの半導体(主原料がシリコン)メーカーが集まる場所があります。
アップルやグーグルなども拠点を構えるこの地は、IT企業の聖地として有名です。

25歳の時からアメリカに住んで、紆余曲折ありながらもハワイにある大学を卒業したのは32歳のときでした。

「卒業したらどうしよう。日本に帰ろうか」
そう迷ったのですが、それでも、
「もう少しアメリカで頑張ってみよう。以前住んでいたサンフランシスコへ帰ろう。シリコンバレーで働こう」
と考え、大学卒業時に就労許可がもらえたこともあり、僕はシリコンバレーで働き始めました。当時はインターネットが普及し始めたころで、ウェブやコンピューターの知識が少しでもあれば重宝された時代だったのです。

当時、心がくじけそうなときに思い出したのは、25歳のときに瞑想して聞いた、「楽しくて楽しくて、しょうがないんだよ」という、将来の自分の言葉でした。それはきっと、生まれるときに決めてきた「いのちのやくそく 」と言えるもので、その将来の自分の姿は、当時の僕の励みとなっていたのです。

シリコンバレーは、常に新しい人々のエネルギーを必要としています。若い技術者たちが世界中からやってきて新しい技術を開発し、投資家たちがその技術にお金を投資していきます。そんなシリコンバレーに長年住んで、44歳になったころでした。僕は当時契約社員としてスタンフォード大学でウェブサイトを製作していたのですが、横で働いている30代前半くらいの同僚の仕事ぶりを見ていて、「これはもう僕ができる仕事を超えている」と実感したのです。

IT業界では技術の進歩がすさまじく、次から次へと新しい技術を学ばなければいけません。経済や仕事の浮き沈みも激しく、「この業界ではもう無理かもしれない」と思い始めていたこともあり、僕はいつしかなんのために学ぶのか、なんのために働くのかがわからなくなっていました。バレーを離れる多くの優秀な技術者たちの中にも、そんな「自分を見失ってしまった」ことがきっかけとなった人たちが少なくないと思います。

技術者が去っていっても、新しい技術者たちが次々とバレーにやってきます。それはまるで古くなった車のパーツが捨てられ、新しいパーツに交換されていくかのようです。

「僕は交換のきく機会のパーツじゃない。血が通って生きている人間なんだ」そう感じて、

「僕にしかできないことをしたい。スピリチュアル・カウンセリングを自分の仕事にしよう」と思うようになっていったのです。

いま思うと、「自分にしかできないことを」と言う考えは、シリコンバレーという、サンフランシスコ、ベイエリアの環境によって育まれたように思います。

男女同権運動、学生運動、黒人人権運動、ヒッピー文化、ゲイパワー、コンピューター、ソフトウェア、インターネット、スマートフォン、自己啓発教育、サイキック教育など、サンフランシスコ周辺は例を挙げたらきりがないほどの新しい技術や、これまで世に出ていなかった学問、運動が次から次へと生まれては広まっていった発信地なのです。

そんな土地のエネルギーもあって、
「これまで世の中になかったことを、日本で広げていこう。瞑想は絶対に日本人のためになる」という思いが、僕の中に育っていきました。

20代のころはそれほど感じていなかったのですが、アメリカの地に長く住めば住むほど、僕は日本が好きになっていきました。アメリカにあっても日本の文化や日本人の優しさに触れる旅に、

「やっぱり僕は日本人なんだ」と実感して、自分のアイデンティティを感じて安心したのです。

とはいえ、そのときには生活の基盤がどっぷりとアメリカになっていて、働くのも生活するのもアメリカが過ごしやすく、あまりにも離れてしまった日本は僕にとって異国となっていました。知り合いも少なく、生活もしにくい日本で仕事をするというのは不安でした。

それでも25歳の時に英語もろくにわからず、所持金もあまりない状況でなんとか生きてきたことを思うと、
「日本語も通じるし、なんとかなるだろう」と気楽に感じて、「何が起こるんだろう」とワクワクしました。

思えば僕は、困った時にはいつも瞑想をして切り抜けていました。アメリカに行くと決めたときも、日本に帰ると決めたときも瞑想をして、自分の心の深いところにある「たましい」の声を聞き、「大丈夫だ」と安心して前に進めたのです。

「あなたはいま、幸せですか?」
たましいの声は、いつもそう僕に聞いてきます。

「もしその道を選ばなかったら、それでも僕は幸せでいられるのだろうか?」
僕はそんなふうに自分の心に問いかけて、世間や常識にとらわれない「僕にとって正しい道」を選んだのです。そういうときは理由もなく、「それをしなければいけない」という気持ちがうまれます。

「日本に帰る」と決めたあの時も、同じような気持ちを感じて前に進んだのですが、それからあれよあれよと人とつながることになり、すべての物事がスムーズに動き出しました。

(139ページに続く)


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