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【短編小説:ブランケットライド】最後に分かる真実


 電車を考えた人はすごいと思う。 

——ゴトンゴトン ゴトンゴトン

 この規則的なジョイント音は、まるでお母さんに背中をポンポンと優しくタップされているようで、ざわついた心が途端に静かになる。

 私はドア付近の壁にもたれてそっと目を閉じた。今日もいつもの車両でいつもの場所に立ちながら。

——ゴトンゴトン ゴトンゴトン

 この力強くて、それでいて優しい音は私の憂鬱な気分をはたき落としてくれる。

——ゴトンゴトン ゴトンゴトン

「疲れたぁ」
 不意に女性の声がジョイント音に混ざり、ゆっくりと目を開けた。

 向かいの長椅子に、長い黒髪の女とマッシュヘアの茶髪の男がいつの間にか座っていた。

 二人ともマスクをしているから顔はっきりと分からないけど、目元から察するに二十代後半といったところか。関係性は……友達か? いや、何となく感じる馴れ合いの雰囲気から察するにカップルだろう。

 どのみち自分には関係のないことだ。
 私は軽く息を吐いてもう一度目を閉じた。
 ジョイント音が少しずつ大きくなっていく。この微細な変化が堪らなく好きだ。決して大き過ぎない、心根に響く音。

「ちょっと」
 今度は少し怒気を含んだ女の声が耳に届いた。
 うっすらと目を開けると、さっきの黒髪の女が発したようだった。その視線は横に座るマッシュヘアの彼に注がれている。その彼ときたら……彼女の黒髪を人差し指でクルクルと回していた。
 その見慣れない光景に、口があんぐりと開いてしまいそうになって、急いでキツく閉じた。

「あんたは完全にブランケット症候群だね」
「俺、ブランケット持ってないよ」
 はぁ、と女がため息をついている。
「ライナスの毛布よ、知らないの?ほら、世界の有名な漫画『ピーナッツ』に出てくる男の子がいっつも肌身離さず持っているブルーのブランケットのこと」

 彼女は長い指先で携帯をタップして、ほら、と画面を彼に向けた。
「ああ、ライナスの毛布なら知ってるよ。大学のゼミで心理学取った時に習った」
「あんた、ちゃんと授業受けてたんだ」
「失礼だな。あれでしょ、愛着があって離れられないものの例えでしょ。本当はもっと根深いんだろうけどさ」
「知ってんじゃん」
「だからゼミで習ったって」
「もー、分かったから、この手どうにかしなさいよ」
「いや、僕はあなたに愛着があるので」
「私に、じゃなくて私の髪に、でしょうが」
 彼らのやり取りを何となく聞きながらぼんやりと考える。

 そう言えば小さい頃、お母さんが読んでくれたったけ「ピーナッツ」の絵本。何となくだけど、キャラクターの顔はぼんやりと分かる。
 ライナスの毛布は、母親から自立しようとする乳幼児の成長の移行期によく見られると聞いたことがあるし、確か「安心毛布」とも呼ばれていたっけ。

「症候群っていっても別に病気じゃないってゼミの先生が言ってたな」
 彼がポツポツと話し出した。それでいて尚も人差し指は、彼女の黒髪をクルクルしている。「次、髪切るから」と言われて即座に謝っている彼の姿は何とも滑稽だ。

 ブランケット症候群は、きっと大人にだってある。
 目の前の彼だってそうじゃないのだろうか。ああやってずっと彼女の髪の毛を触るっていうのは、自分の母親と彼女を重ねているのではないだろうか。
 でも、自分が彼女の立場だとしたら…… なんか複雑だな、と携帯を握る手に力が入った。

「うわっ」

 急に大きくなったジョイント音に思わず声が漏れ出てしまった。
 二人の視線が私に注がれ、すみません、と軽く会釈をした。耳のイヤホンをグッと押し込みながら、そーっと視線を窓に戻す。携帯を見ると、次の仕事まで30分。

——ゴトンゴトン ゴトンゴトン

 ジョイント音によって体が自然と揺れる。座ってしまおうか。いや、座ると完全に眠ってしまいそうで、仕事に遅れてしまう。
 片方の手で吊革をしっかりと掴み、私は束の間の微睡みに体を委ねた。



 電車を降りた沙里さりが肩にかかる黒髪をはらいながら「涼太りょうた、ちょっと」先を歩くマッシュヘアの男に声をかけた。

 涼太が振り返って、沙里の向こうに見える電車の女性を確認する。その女性はさっきと変わらない位置で吊り革に捕まりながら、うとうとと微睡んでいるようだった。

「あの人の耳からさ」沙里が言うと同時に、「だよね」と涼太も呟く。
「彼女にとったら、アレ・・がライナスの毛布なのかも」
 二人の視線はゆらりゆらりと規則的に揺れている彼女の姿を捉えている。

「俺、電車が走る音が聞こえてきたからびっくりしてさ。え、この電車動いてんの?って。もしかして、タイムリープしたらどうしようって」
「だから涼太は私の髪の毛を触ってきたのか」
「だって、怖かったんだもん」
「私はあんたのおかんじゃない」
「いてっ」
 沙里が涼太の頭を軽くはたく。

「でも、あの音って意外に心地いんだね」涼太が耳を指しながら言った。
「人には人の安心毛布があるってこと。彼女にとってみれば、あの耳から聞こえる電車の音こそブランケットなのよ。さっ、次は駅に戻って、お土産買うよ」
「違うよ、パフェを食うんだって」
 楽しげに会話する二人の耳に、館内アナウンスが届く。

『本日は〇〇鉄道博物館にお越しいただきまして誠にありがとうございました。またのご来場をお待ちしております』

✍️あとがき✍️

別にミステリーでもホラーでも
何でもないんです。

人によって「安心毛布(ライナスの毛布)」的存在は違うと思うんですよね。

言い換えれば、自分をニュートラルに保つためのレメディ。

彼女の安心毛布は電車のジョイント音。
その聞き方・・・が人とはちょっと違ったりするだけ。

さて、あなた様の安心毛布は何でしょうか?

本日も最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございました。

しゃろん;

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