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作品紹介:『21世紀に生きる君たちへ』 司馬遼太郎

教育に本気で携わりたいと考えて、秋田からここ大阪に足を踏み入れた。

以前のような多くの定期収入がまだあるわけではないが、学びたい気持ちは変わらない。だから、毎週のように図書館に通っている。大阪は大都市ということもあって図書館が割と多く、それぞれの施設が十分に大きく、あらゆる本が豊富に置いてある。同じ市内のそれぞれの図書館から最大10冊まで借りられるというから、調子に乗ってはマックスまで借りて、何冊か読めないままに返却、もしくは延長。そんな充実した読書ライフを送っている。

そんな、図書館通いを通じて出会った本を本日はご紹介。

大阪にいるからこそ出会えた一冊とも言えるだろう。


本紹介:『21世紀に生きる君たちへ』 司馬遼太郎

僕の父は歴史小説が大好きで、中学の頃に父の影響を受けて、司馬氏の『坂の上の雲』などははまって読んだ作品であった。ただ、歳を重ねるごとにどうしてか歴史小説というものから遠ざかるようになり、いつかまた読みたい読みたいとは思いながらも、司馬遼太郎の作品からも当然のように遠ざかっていた。

そんな彼と、ここ大阪で再会した。

なんでも、大阪は彼の生まれ故郷で、東大阪の方には書斎があったらしい。それが今となっては「司馬遼太郎記念館」となって、2001年から開館している。用事があって八戸ノ里駅の方まで行った時、その看板を見て興奮したものだ。まあ、大阪に来てまもない頃で、観光気分のような気持ちが抜けていなかったのもあるだろうが。


彼の本を読みたくなって図書館に行ってみたら、司馬遼太郎の特設コーナーがあった。

そこで見つけた一冊。

40ページほどしかない薄い本だが、ここには彼の「たのもしく生きてほしい」という切なる想いが込められている。


21世紀に生きる君たちへ

この本には小さな3作品が収録されているが、その中のこの作品は特に彼の遺言のように近い。個人的にそのような印象を受けた。

司馬氏自身の歴史への愛もそうだが、年齢的に21世紀という未来を実際に見られない彼の悔しさが見える。歴史とともに生きた人であるから、過去からの流れを汲んだ今のその先が見られないということは、僕たち以上に歯痒いものがあるだろう。

けれども、その悔しさがあるからこそ、彼が二千年以上の歴史の流れの中で、さまざまな“友人”と交流して得た不変の「どう生きるか」という聖なるバトンを、次の世代につなぎたい気持ちがひしひしと伝わってくる。

だからだろうか、一言一言が読み手の心に強く響き、染み渡ってくる。

小学校用教科書のために書き下ろされたようだが、小学校に通う子供よりも、むしろ高校生や大学生、そしてさらにその上の世代に突き刺さるのではないだろうか。

もしかすると、彼がこの本で私たちにメッセージとして残したことは、ただの綺麗事と捉えられてしまうかもしれない。


自然に生かされているという、謙虚な気持ち。

人々が支え合って成り立つ、私たちの社会。


言葉にすれば簡単で、言われてみると理解ができて。だが、ついつい日頃の生活では忘れてしまうことばかりである。それもそうだろう。僕が住む都市であれば、自然の恩恵など感じる暇もない。テクノロジーや便利が先行して、その背景にはいつも人の存在があることを忘れてしまう。

僕たちの21世紀は、そのような「本当に大切なこと」を感じずらい世界でもある。

だからだろうか。昨今はあまり他人や周りのことに興味を持たない人が多いような、そんな気がする。

しかし、そんな僕たちがふとした時に忘れかけてしまうことこそが、これまでの歴史の中で人々が大事にして生きてきたことだ。自然への謙虚さ、人々への愛。そして、その生かされ互いに支え合う中で僕たち一人一人がしなやかに生きる。そんな生きる姿勢が、きっとこの21世紀の時代をまた紡いでいくのだろう。

過去から脈々と受け継がれてきた生き様である。
時代は変われども、よく生きるために必要なことは変わらない気がする。


よく生きるとは、どのようなことか。


司馬遼太郎は歴史への絶大なる愛をもって、僕たちに生きるヒントをくれる。


洪庵のたいまつ

緒方洪庵という方をご存知だろうか。恥ずかしながら、僕はこの本を通じて初めて彼をちゃんと知った。

適塾を作った人。
江戸後期の医者。
天然痘の治療に貢献した人。
日本の近代医学の祖。

功績を並べてしまえば簡単だが、司馬遼太郎はそんな彼の功績の他に、彼の生き様や哲学により焦点を当てている。

たくましい人というものを、この世の中でどれだけ見てきただろうか。

もし洪庵が本当の意味での「たくましい人」であるならば、僕はまだこの現代で彼ほどの人を実際に目にしたことはない。

人に優しく、自分に厳しく。
世のため、社会のために尽くそうという強い気持ち。
常に自分を磨こう、そして己を磨こうという人を支えようという姿勢。

彼は、まさに禅で言うところの「無」の境地だったのかもしれない。
よく生きると言うことを、日々の仕事や生活から実践した人だ。そしてその清らかなる哲学を、次の世代に繋いでいこうした。それが適塾であり、
「洪庵のたいまつ」は近代日本を明るく灯した。


読了後、はて今はどうだろうかと、つい考えてしまう自分がいる。


時代は変わってしまっただろうか。
たくましく生きられているだろうか。
自分のため以外に何ができるだろうか。
しなやかな人間でいるにはどうしたらいいだろうか。


緒方洪庵はたくましく生き、時代を作った人であった。

きっと近代以降、日本ではそのたいまつが消えかけようとしているのだろう。具体的にどういうことであるかはまた考えなければならないが、司馬氏のそのある種の危機感のようなものが、この作品からは伝わってくる。

加えて、21世紀と言う時代は、少なくとも僕たちの「生き方」が変わりつつある時代である。


どう生きるか


ということを、それぞれが考えて自分で解を出す時代である。

このようなことを考える時に、どうしても孤独のような寂しさを感じずにはいられない。だが、そんな時には、司馬氏のように時代の“友人”にヒントを得てみるのも、一つの手だろう。


緒方洪庵先生は、きっと僕たちの「生きる」ということに前向きに、そして寄り添ったヒントを与えてくれる。


現代を生きようと僕たちの背中を、優しくかつ力強く押してくれる、そんな作品である。


まとめ

現代がどんな時代であるかは、少し考えて見なければならない。
ただ、昔から変わらないこともある。人とのつながりや、自然への慈しみや、いかに生きるかや、そんなことどもだ。

いずれにせよ、この困難な時代を生き抜くためにも、それらのことについて僕ら一人一人が深く考え、力をつけなければならない。


一人一人が強くしなやかになるために、司馬氏はヒントを与えてくれた。
それがこの『21世紀に生きる君たちへ』という作品だ。


今度は司馬遼太郎のたいまつが、この現代を灯そうとしているのかもしれない。

そして次は、僕たちがその火を次世代に灯していく番である。

改めてしっかりと毎日を生きていこうと思える、人生のバイブル的な作品に出会うことができた。


2021.11.27
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