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山を歩きながら考えたこと(須磨アルプス編①)

大阪に来て数ヶ月が経った3月のおわり。
私たちはようやく関西の山を登ることにした。

選んだ山は「須磨アルプス」で、
メインの「名勝 馬の背」を通りながらおよそ7kmの道のり。

神戸の六甲山に連なる初心者向けのコースだ。

今回はその登山の道筋をたどりながら、私たちが考えたことを書いていく。

登山ルート

登山計画の作成に当たっては、以下のサイトを参考にさせてもらった。

シンプルでわかりやすい地図まで載せていただいており、実際の登山には印刷した地図を持っていって参考にさせてもらった。

須磨アルプルの全貌(全長7km・最高峰321m)
初心者でも2時間半いかないくらいで歩けるコース

須磨浦公園駅(山陽電車) 〜 須磨浦公園

7:35 須磨浦公園駅に到着。
住まいは東大阪の方なので、神戸までは結構な時間がかかった。とはいえ、朝が早かったので電車でぐっすり寝たり、本を読んだり、思い思いの時間を過ごすことができた。途中でちょっとした朝ごはんも食べて、登山に向けた気持ちの準備はバッチリ。

駅を出ると海が広がっていて、海に面して右側に行くと登山の始まり。
最初は舗装された階段 or 道路を登っていくので登山感はまだないが、久しぶりの上り坂には心が躍る。

「ちかみち」という言葉にそそられ、初心者の私たちは階段を選ぶことに

近道の階段を登っていくと、須磨浦公園に到着。
大阪湾を一望できる公園で、まだ登山は始まったばかりであるがつい立ち止まってしまう。なんなら久しぶりに見た公園のブランコにも少し興奮してしまった私たち。子どももいない時間帯ということで、独り占めさせてもらった。

大阪湾の水平線を眺めながらブランコに揺られた

遊びすぎて疲れてしまっては元も子もないので、公園遊びはほどほどにしよう。いつまでも公園で遊んでいられそうな気持ちをグッと抑えて、いよいよ須磨アルプス登山を本格的にスタートさせる。

鉢伏山(須磨浦山上遊園)

鉢伏山までは階段が続く。
ブランコで遊んだ須磨浦公園からもそう遠くはないが、階段の段数が段数だけに、少し初心者にはきつく感じられるかもしれない。とはいえ、かなり整備されたルートで、標識もはっきりと立てられており、ビギナーの私たちにはちょうどよかった。

「六甲縦走路」という文字で走り出したくなる
朝の大阪湾
3月末はヤマツツジの季節らしい
ひたすら階段で、登山本格スタート

鉢伏山までひたすら階段で行くと、須磨浦山上遊園に到着。
須磨浦公園駅からロープウェイで来ることができるらしく、当日も何かの作業員の方々がロープウェイに乗っていた。展望台からの景色はまさに絶景で、その景色を見に来るだけでも価値があると感じる。

展望台からのパノラマビュー
右手に見える淡路島と明石海峡大橋(別日5/3撮影)
左手は大阪方面。晴れていたらもう少し奥が見えるかな。

須磨浦山上遊園をさらに奥に進むと、近隣マップを発見。観光地としてよく整備されていることがわかる。野鳥の英語名(学名?)になるほどと思いながら、次は旗振山を目指す。

子ども連れで来てもきっと楽しいだろう

旗振山

上に載せた地図でもわかるように、旗振山は須磨浦山上遊園の一部みたいなもので、そう距離が離れているわけではない。だが、やはり公園から離れるにつれて、次第に山らしい静けさを感じる。

江戸っ子のバイタリティ

旗振山はその名の通り、以前は旗を振る人が立っていた山らしい。なんでも「旗振り通信」というもので、江戸時代に大阪の米相場を旗の振り方で他の地域に伝えていたそうだ。情報化が進んだ私たちの世界では当たり前のようにインターネットを使って情報のやり取りをするが、ネットがない時代に人々は力を合わせて情報を得ていたと考えると、その賢さとバイタリティたるや、尊敬に値する。

江戸の人々がどんな旗の振り方をして情報を伝えていたのか、そんなことに思いを馳せながら歩くのもまたいいのではないだろうか。

なだらかな山道がつづく


なぜ人は争うのか

山歩きをしていると、いろんなことが脳内を駆け巡る。

そのうちの「争うこと」について深く掘り下げてみる。

この登山道周辺では、以前源平合戦があったらしい。
いわゆる治承・寿永の乱(源平合戦)というもの古戦場なようで、歩きながら人々が戦っている姿も想像できる。

権力か、お金か、名誉か、それともそれ以上に手に入れたい何かか。

私たちは一般市民として、戦いを一切望んでいない。だが、歴史が証明するように、人間の世界では常にひどい戦いが繰り広げられてきた。源平合戦はまだ可愛いもので、人類は世界大戦も経験した。それらの戦いは、人々が望んだものであっただろうか。

もちろん、時には市民が立ち上がるという形で戦いが起きたこともあっただろう。しかし、その市民が立ち上がるまでの過程で、やはり市民が立ち上がらざるを得なかった理由がそこにはあるわけで、人間の本心では(もしくは人間が理性的に考えれば)「戦う」という選択肢は、無いように思われる。

とはいえ、人間を「自己中心的で自分の効用を追い求める」存在と仮定すれば、人間の社会で戦いは起きて必然なのかもしれないとも考えられる。(事実、ホッブスの著書『リヴァイアサン』では、人間の自然状態は「結果的には万人の万人に対する闘争に発展する」とし、秩序を守る役割としての国家の必要性を説いている。)

争うということが人間にとって自然なことなのかどうなのかは別として、いずれにせよ、争いがうみだす結果はそう嬉しいものではない。

実際、ウクライナとロシアの間で争いが起きているが、それもどれほどの一般市民が望んでいることなのだろうか。誰が争いたいのか。争うほど、価値あるものを得られるのだろうか。

戦争が起きると思っていなかった平和ボケのこの時代に生まれ、私たちはそのヨーロッパで起きている悲劇から学ばなければ、きっとまた同じ過ちを繰り返すだろう。

まあ、一般市民にできることに限りはあるが。

それでも、できることに制限がある中で考え、次の時代に思いを馳せるのが、私たち若い世代の役割の一つではないだろうか。


とにかく、私たちは考え続けなければならない。

(part 2に続く)

2022.07.03
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