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【シェア街住民インタビュー】「家族の繋がりを大切にし、ローカルなコミュニティづくりに携わりたい」 シェア街メディア編集部、宿野部真央さんがLittle Japanにたどり着くまで

シェア街で、メディア編集部をはじめ様々な活動に携わり、リアルきょてんであるゲストハウス「Little Japan」でもスタッフを務めていた宿野部真央さん(以下、まおさん)。この2021年7月をもって双方を卒業されるということで、お話を伺いました。どちらも現在、メンバーやスタッフを絶賛募集中ですが、それぞれの魅力が伝わる内容になると思います。前・後編の2本立ての初回は、シェア街にたどり着くまでの話について。


最初はシェア街と聞いてよくわからなかったけど、何となく面白そうだなと思って

現在の仕事や活動などについて教えてください。

シェア街では、リアルきょてんとなっているシェアハウスの運営としての内覧イベントや、メディア編集部などに携わりました。
Little Japanのスタッフとしては週2日くらい、夜番でチェックイン対応などをしていました。
それ以外では、大手町や秋葉原にある、大手不動産会社が持っているコワーキングスペースの運営を業務委託で請け負っていて、内覧対応や場づくりの活動を担当。
あとは、omusubi不動産という、レトロな物件やD.I.Y可能な物件を多く扱っている会社で物件ライターをし、少し前には探偵の仕事をしていた時期もありました。

それぞれの仕事は期間としてはどのくらいやっているのですか?

もともと自転車で日本一周をしていたのですが、コロナ禍で動けなくなってしまって。
なので、どの仕事も始めたのは2020年の8月くらいからです。
シェア街に加わったのは、その年の11月くらいになります。

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個人的にまおさんというと、珍スポットやエロカルチャーなどへの造詣が深い印象なのですが、そのあたりも教えてください!

日本一周をしていたときにInstagramなどで、エロスポットトラベラーとして発信を始めたのがきっかけで、今も珍スポットやエロスポットめぐりについてのブログを書いたりしています。
それは趣味として、自分のなかのテーマとしてやっていますが、いずれはディープスポットツアーなどもやってみたいなと思っています。


シェア街に参加したきっかけを教えてください。

4年くらい前に、浅草にあったBOOK AND BED TOKYOというホテルで支配人をしていて、そこでシェア街主宰の柚木理雄さんと繋がりができて、そこからFacebookでシェア街の取り組みを知りました。
実家が東京都国立市なのですが、東京の東側で暮らしてみたいなと思っていた時にちょうど、シェア街のリアルきょてんである浅草橋のLittle Japanで住み込みスタッフの募集を見つけます。
最初はシェア街と聞いてよくわからなかったけれど、何となく面白そうだなという雰囲気を感じて飛び込んでみました。
加えて、コミュニティーやゲストハウスに興味があったこと、色んな人に出会える環境に憧れがあったことも要因です。

シェア街ではどんな活動をしていましたか?

まずはメディア編集部。
それまでメディア制作やライティングといった経験はほとんど無くて、noteやブログを書いていた程度でした。
シェア街がシェアハウスの運営に力を入れていこうとしていたタイミングだったので、入居者募集のための記事を書くようになりました。
オモコロが好きなので、そんな雰囲気の記事を書いてみたり、街散策の記事を書いて、シェアハウスの周辺に「こんなお店があるよ」とか「こんな面白い人が住んでるよ」といったことを伝えたりするようにしました。

その後、だんだんとライターができる、もしくはやりたい、という人たちが入ってきたので、ディレクションをする側にまわります。
メディア編集部長のジーコと一緒に、どんな記事を書いていくかを決めたり、PV数・フォロワー数の目標を設定したり、といったことをしていました。

あとは、シェアハウスの内覧会。
以前、不動産業界で仕事をしていたので、建物の案内は慣れていました。
内覧会では、参加してくれた人と仲良くなって、「こんな生活ができるよ」「まかないご飯をみんなで食べませんか?」などと、入居した後の生活をイメージしてもらうようにしました。
そこで実際に仲良くなって入居してくれたり、「最初は住む予定は無かった」という人を巻き込めたりできたことは、良かったと思います。

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海外で暮らしたことで、日本人としてのアイデンティティが強くなった

シェア街に入る前のことを教えてください!

親が国際協力の仕事をしていた関係で、小さい頃はフィリピンに住んでいました。
そこでは、自分とそれほど年齢が変わらない子どもたちが物乞いをしている風景がありました。
そうした人たちの援助の仕事をしたいと思って、日本に戻ってからは大学で平和学を専攻しました。
学生時代はアフリカの電気も水道もない街にホームステイをしたのですが、そこでは家族やコミュニティーがしっかりと構築されていて、みんなが幸せそうに暮らしているように感じました。

それを見てから日本に帰ってきて、改めて満員電車などを見ていると「日本は豊かなはずなのに、なんで疲れている人が多いと感じるんだろう?」「日本は成熟しているけれど、心の豊かさはどうなんだろう?」などと考えるようになりました。
海外で暮らした経験から、日本人としてのアイデンティティが強くなった気がするのと、やっぱり日本の文化や歴史が好きということもあって、「自分がやりたいのは家族の繋がりやローカルなコミュニティーに携わることだ」と思うようになりました。

大学卒業後はどんな仕事に就いたんですか?

空間デザインの会社で事務職、不動産の仲介の営業、ホステルの支配人といった仕事を経て、2019年に会社員を辞めて、ドイツのベルリンを拠点にヨーロッパを3ヶ月ほど周遊してきました。
地域活性化や街づくりに興味が出てきて、日本でそうした仕事をしたいと考えたとき、ヨーロッパの街も見てみようと思った、というのが経緯でした。
ベルリンは首都であるにもかかわらず、カオスな雰囲気のある街なんです。
約30年前まで、ベルリンの壁によって東西に分断されていた歴史があるためか、インフラが整っていない様子が見られます。
また、格好良い路上アートやテクノミュージックなどの独自のカルチャーがあったり、地域の人が街にコミットしていて地元愛の強さが感じられたりして、街歩きをしていて楽しいです。

それで帰国してから、自転車で日本一周の旅に出たんですね。

東京は嫌いではないけれど「ずっと住む場所ではないな」と思っていました。
自然の中で暮らせて、自給自足ができる場所、狩猟にも興味がありました。
自転車ならそれぞれの地域の生活がしっかりと見られると思って、テントを担いで野宿をしながら、最初は北海道へ。
そこで3ヶ月ほど滞在しながら、昆布漁を手伝ったり、ジンギスカン屋さんやゲストハウスで働いたりして、地元らしさを感じながら過ごしました。
まだシェア街が立ち上がる前でしたが、札幌のゲストハウスWayaの柴田涼平さん、フォトグラファーの山内康平さんとも出会いました。

その後はフェリーで京都へ。
陸路で愛媛まで行って、ミカン農家で働いたこともありました。
そこから東へ向かうところで、岐阜市に寄ります。
岐阜城からの景色も良く、職人街や鵜飼漁など文化や歴史があることに加えて、県庁所在地で、名古屋から電車で20分ほどという場所にもかかわらず、駅前にレトロな歓楽街があるなど、ベルリンのカオスな雰囲気に通ずるものがあって、気に入りました。
結局、コロナの影響で日本一周は中止せざるを得なくなって、東京に戻ってきました。
実家で過ごしていた期間やキャンプ場で働いていた期間もあって、そんなときにシェア街の募集と出会いました。

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後編へ続く

【クレジット】
編集:Atsushi Nagata Twitter / Note / Youtube
執筆:早川英明
写真:提供写真

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