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中国の兌換券をSNSに挙げてみた。

かつて中国本土で使われていた兌換券と言われるものが引き出しからでてきた。

あまりに懐かしかったので、写真に撮りFBとInstagram、Twitterにそれぞれあげてみて反応を見ることにした。

知らない人のために説明をすると、兌換券とは中国政府が外貨を管理するために導入した紙幣のこと。(1979年~1995年)当時、短期留学生として初訪中する私は外国人と言う身分故、兌換券を持って中国に渡ったという経緯があって我が家に残っている。

その当時の中国には外国人が使う兌換券と現在流通している人民幣があり、兌換券の裏面を見ると「兌換券と人民幣は等価である」と書かれている。しかし実際のところ1.5倍程度で取引をされて兌換券の価値は人民幣よりも高かった。

私が考える理由はある。例えば、当時外国人向けに開いていた友諠商店では基本的に兌換券しか使えなかった。食堂などでも人民幣で払うフロアと兌換券が使えるフロアが違っていてサービスも異なっていた。そういったこともあって、裕福になりつつあった人々が人民幣では購入できないものを手に入れるために兌換券を欲しがり(中国の人はいくら人民幣を持っていても、兌換券を手に入れる術は公的になかった)、概ね1.5倍程度の価値が付いたのだと思う。

と、まぁ少々年代的にも背景としてもマニアックな物をそれぞれのSNSに挙げてみたが、反応が面白い。ダントツに面白かったのがTwitter。使っている年齢層が違うのか、Instagramなどより反応が良かった。Facebookはそもそも知人にしか公開していないので、「投稿、見たよ」的な反応が主。これは大人のお付き合い程度と考えるのが正解だから、いくら「いいね!」が付いたところで「だからどうだ。」と言うものだろう。

反面、Twitterは本当に兌換券を知っている人が♡をくれたり、リツイートしてくれている。中には引用RTやコメント欄で自らの体験や中国との関りなどを投稿くれて、自分自身も楽しむことが出来た。(交換レートが1.5倍というのは、地域差はあまりなさそうと知れたのも収穫であった)投稿して良かったな、と思えたのは間違いなくTwitterだった。

だからTwitterが良いとは一概には言えない。今回のテーマで反応を比較したらそうなった、と言うだけのことだ。ワタシの浅い経験から印象を言えば、所謂「映える」というものだったらInstagramの反応が良かっただろう。知人のみに公開しているFacebookであれば、内輪ネタが一番反応が良いだろう。

だたそれだけのことだ。

それを社会福祉的な視点で無理やり考えた。唐突だが、自分の居場所をある一か所に決める必要はないんだなぁと素直に思えたので、その線で話を進めることにする。

自分は何一つ変わっていないのに(投稿ネタは同じ)受け取られ方は場所(SNSのアプリ)によって全く違うという事実である。例えば、このネタで一番反応が悪かったInstagram一か所に決めてしまったとしよう。そうすると、うまくいかなかった時に自分を責めがちである。自己肯定感も下がる。そうなると益々蛸壺化して身動きが取れなくなる。視野を広く持てればいいのだが、そうはならない。所謂「生きづらさ」を感じるだけである。

少し前に「置かれた場所で咲きなさい」という本があった。たまたま置かれた場所で咲くことは、その人の人柄がとても良いか能力があるか・・・幸運が重なった結果で、稀有なケースで万人に当てはまるとはとても思えない。例えば、同じネタでもその場の特徴によって臨機応変に料理できる人だ。そんな能力を持った人はどこでも生きていけるので、おそらく福祉のクライエントにはならない。

SNSのように居場所を簡単に帰るのは現実的には難く、自分の居場所を見つけるのは容易なことではない。年齢を重ねれば猶更である。しかし、自分の居場所はココだけではないという視点はとても大切だ。

支援者としてはクライエントに如何に多くの選択肢を提示できるかだと考える。そうして今の状況を招いたのは自分自身だけに責任があるわけではない(中にはそういうケースもあるけれど)という事を知ってもらい、負わなくても良い荷物はおろしてもらう。

ただ、その中で今いる場所としっかり向き合ってもらう必要はある。つらい作業だけど、そこだけは代わりをすることは出来ない。それは次の場所できっと咲くために必要な作業だからだ。