お料理瞑想−教える側、教わる側なんて無い−

教わる相手の経歴や経験値、自分と合うか、その道での知名度、話し方、雰囲気、オーラ、年齢、性別などなど。なにかを習いたい、教わりたい、聞きたいと思ったとき、選ぶ基準があるうちは、なにも得られない。ってゆう視点(´⊙ω⊙`)

お料理にしても、瞑想にしても、学校の勉強や習い事であっても、なんにでも当てはまる私流の視点について、ちょっとしたエピソードとともにお話ししますね。

自分がどのレベルであっても、初心者であっても、プロで活躍していたとしても、教える立場であっても、一生涯死ぬまで(死んでからのお話は別のところで?)学ぶことはできますよね。アーユルヴェーダやヨーガの学びについて、とある先生が『どうせ、今世では学びきれないのよ。前世とか来世とかいくつも合わせてやっと全部学んだと言えるようになるくらいの智慧の宝庫なの。だから、マイペースでいいのよ〜』と声をかけてくださったことがありました。『たしかにぃ〜』と目からホロリ。

そして、別の先生は『初心者だからこそ、教えなさい。そして、プロだからこそ、なんんの知識もない素人から学びなさい』と言ってくれました。『たしかに、たしかにぃ〜』と目からホロホロリ。

私には「この人!」と決めたグル(師匠)はいません。決めてしまうと、どんなに大きく深い恩恵だと感じているヴェーダ哲学やヨーガの師だとしても、視野を狭めてしまう気がするから。理由は先に書いたとおり。出会いのなかで、ホロッと言葉にしてくれた人に救われたり癒されたりすることがある。そんな時、全ての人にアートマン、神、天使、なんでもいいのですが、そんなような何か凄い存在がその人のなかに宿っていると感じます。その人が子供だとか大人だとかも関係ないのです。

毎年、味噌仕込み会をしています。(きっかけはまた別のときに)一応、講師としてご紹介いただいたりもしますが、気分は「今回はどんな学びや気づきがあるかなぁ〜」と生徒さん目線。子供が参加してくれるときは、本当に楽しみです。本能がダダ漏れになるから(笑)

美味しいときは、大豆を潰すより、お口に運んでばかりになっちゃう♡
糀の味に何かが響いたのか、ちょっと食べてはモグモグモグモグ・・・の繰り返し♡
興味なければ、どんなに親がわめいても遊びに行っちゃうし♡
楽しければ、親の手をはらいのけてでも自分でやろうとしたり(3歳だったのに)♡
みんなの前ではモジモジ。でも、家族にはニコニコ感想をずっと話してたり♡

なになに?聞かせて、聞かせて♬
私はめっちゃハイテンション♬

なるほど〜!
あぁ!そういえばどうなんだろう?
えー!マジで!?
そうきたかぁ〜!!!

お味噌を仕込みながら、参加してくださった皆さんが色々なことを教えてくれます♬
味噌の仕込み方は簡単です。材料も豆・麹・塩の3つだけだし。茹でて、混ぜて、発酵してもらうだけ。そのシンプルな工程を通じて出てくる言葉は無限に広がっていきます。

だから、わたしは毎回、教えるため・伝えるために準備するのではなく、たくさんのことを教えてもらうために会を開きます。

アーユルヴェーダやヨーガもその道のプロに学ぶことはとても貴重だし、楽しいし、幸せです。母校・日本アーユルヴェーダ・スクールの校長クリシュナ U.K.先生に会えるというだけでボランティアでもなんでも駆けつけるほど大好きで尊敬していて、それ以上の存在です♡

でも、その一方でアーユルヴェーダのアの字も知らない方と話すことも大好きです♡より一層、私のなかにしっかりとアーユルヴェーダが浸透していくから♬

お料理瞑想についても、何度も投稿していますが、今日1番伝えたいこと。それは「これ書いてる人、何してる人かよくわかんなくても、へ〜って思うことがちょびっとでもあれば嬉しい♡」っていうことです(*´꒳`*)

あ。昔、ある人に『お前の話って、いつもオチないよね。結局、なにが言いたいの?』ってキレられたことがあるんです。お後がよろしくないようで・・・・。すみません🤣

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