日中台のヒトとモノが自由に往き来できる環境を創る

こんにちは!盛海(せいかい)です。

最近流行の「note」を始めてみました。

第一回目ということでまず自己紹介します。

中国福建出身/日本東京育ち

(中国12年、日本12年、あと残りは台湾、東南アジア。。。)

國學院大學法学部卒業/上海復旦大学中国語言文学系協定留学

大学卒業後、ネット広告会社に入社したが、2か月ほどで退職する。その後、海外転送サービス&デジタルマーケティングを行うスタートアップに携わり、現在は、中国版Facebook&Twitterの「微博」の日本唯一の公式オフィシャルパートナー「Find Japan」で日本企業の中国向け口コミマケーティングプロモーションをサポートする

越境EC/中華圏マーケティング/福建自由貿易区に関するFBグループ運営

<座右の銘> 無難な人生よりも有難いと思える人生を!

私がどんな人生を歩んできたのかを伝えるため、一年半前位に、「和華」という日中文化交流誌第4号に寄稿した内容を転載します。

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 私は、10歳まで日本とはまったく無縁な人生を歩んできました。よく日本と中国のハーフと思われがちだが、実は純血の中国人として生まれ、故郷は台湾本島に最も近い福建省の平潭島である。(金門島は厦門に一番近い)


(台湾ー平潭間で一日一便ほど運航されている「海峡号」)

 さて、私にとっての人生最大の転換点は何かと問われるとしたら、一瞬の迷いもなく「来日」したことだと答えるだろう。それまで大都会である北京も上海にも行ったこともなかったにもかかわらず、いきなり東京という新たな環境で生活することになりました。楽しみである反面、似て非なる日中間の文化の差異に大変な苦労も経験しました。日本語がゼロの状態で、弟とともに地元の小学校に放り込まれ、言葉の壁を感じながら、何とか日本の生活に慣れようとしていた。当時の私は今から想像もつかないほどの内気な性格で、自分から他人に話しかけることもままならなかった。親が中華料理店を開業したことを機に転校した小学校に私と同じく中国から来日したクラスメイトがいたおかげで、徐々に友達を作れるようになり、卒業する頃には日本語に困らなくなっていた。

(なんだかんだで15年間続いてきた実家の飲食店「徳吉酒家」)

 高校に進学するかどうかで生まれて初めて親と大喧嘩をしたことがあった。私の両親は中国で教育をあまり受けていなかったので、義務教育が修了すればそれでいいというスタンスでしたが、まわりの同級生は進学することが当たり前で、進学しないことがどんなに恥ずかしいことで、親には私の気持ちが分かるはずがないと当時は思っていた。だから、奨学金を借りながら自分でアルバイトして進学しようと決意した。いろいろありながらも授業料を軽減してもらったりして何とか高校を卒業することができました。

 そんな高校時代に、もう一つの大きなターニングポイントがあった。それは「帰化」、すなわち日本国籍を取得するということだ。それまでは張という苗字を持つ一人の在日中国人として生きていた私が、突然日本人の身分となった。その頃、小泉首相が靖国参拝したことで反日デモがあった時期で、私自身のなかでアイデンティティの葛藤が生じた。日中関係をよりよくしたいと思い、日本と中国に社会貢献できる人物になりたいという志を抱くようになった。大学では国際法を学んで外交官を目指そうと思っていた時もあったが、アルバイトとサークルに明け暮れる毎日となってしまった。このまま大学生活を終えてはいけないと思い、ずっと憧憬を抱いていた上海に留学することにした。私より遥かに優秀な学生に囲まれたなかで中国文学を勉強した経験。世界各地から集った多様性に溢れる留学生とスポーツを通じた国際交流。日系企業でのインターンシップ経験。日中学生交流団体で相互理解を深める場を創造する活動をした経験。これらの経験を通じて、私自身がいかに無能であるか痛感させられた一方で、これまで生きてきた20年間で最も充実した時間であり、自由かつ主体的に行動できたと感じた。その頃から将来は起業家になって、ビジネスを通じて日中関係に社会貢献をしていくという目標ができた。

(上海でいつも一緒にいた親友のTheo(仏)とウドン(韓)懐かしい!)

 多方面の人から「あなたは日本人それとも中国人ですか」「日本と中国のどちらが好きか」といった類いの答えに困ってしまうような質問をされるが、今の私は、「自分が中国人または日本人であるのかということは、重要ではないと思う。これは決して、私自身が中国人または日本人であることに誇りを持っていないということではない。」と答えるだろう。グローバリゼーションが加速化しているこの世界で、こういった議論をしてもナンセンスだと思っている。日本と中国に12年間ずつ生活し、両国の恩恵を受けて育った人間として、日中関係が悪化するのはこの上なく心苦しい。(また、台湾にかかわるのは、地理的に近いという理由もありながらも、中国で過ごした幼少時代に台湾人との関わっていた原体験からきています)日中(台)関係を良くするためには私のようなミックス人材が率先してその使命を担っていくべきであると考えている。今後「日本・中国・台湾間の相互理解をより一層深めるために、人材とモノの行き来をもっと活発化させること」をビジョンに掲げて、私の命を捧げて生きて行こうと改めてここに決意する。

(日中の未来を考える会と浙江大学訪問団が南三陸で合流した際の一枚)

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