読書感想文 #39 『1988年のパ・リーグ』
みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
今日は晴れましたがやはり寒かったです。祝日でしたので外出もしましたが、いくらかリフレッシュすることができました。
今日はこちらの本の感想になります。
1988年のパ・リーグ
山室寛之著
あらすじ
目次
感想
当時を知る人でしたら、目次の内容を見ただけでも激動の1年だったことがわかるような歴史的な年でしょう。昭和最終年でもあり、30年以上経った今のプロ野球に影響を与えた年だったといって過言ではないでしょう。
大きく分けて2つの話で、同一年におきた2球団の買収と、最後のダブルヘッダーで2連勝したら優勝という近鉄と最下位ロッテの死闘の試合について書かれています。
当時のパ・リーグは在京(西武、日ハム、ロッテ)と在阪(阪急、近鉄、南海)という2つの地域に球団が密集するという状態で、現在と比べても観客動員には非常に苦労していました。そのため赤字経営から脱却したいという思惑が球団を売却したいという形となりました。一方で以前プロ野球球団があった福岡市は去られた苦い思い出がネックになりながらも、急速に増える人口で市民の意識がまとまるにはプロ野球球団を再度招致したいとなり、活動していきます。また流通業界から初の球団をと名物経営者中内功氏のダイエーや翌年に社名変更予定のオリエント社はプロ野球球団所有の恩恵を受けられることから、買収の動きを見せますが、マスコミのスクープに翻弄されたり、売却の条件を詰めたり、オーナー会議の承認をとる必要など大変な苦労の連続で、こんなに大変なのかと驚きました。地域鉄道会社よりも全国展開する企業のほうが抜群の知名度となる球団を持つメリットがあるという時代の流れもあり、また突然そのニュースを聞かされる監督や選手の落ち込む様子やファンの怒りなども書かれています。当初対象はロッテで、状況が変わり身売りがなくなって、先に決まった南海に比べて、阪急は寝耳に水で衝撃はすさまじかったようです。マスコミに交渉がスクープされて中内氏が記者の質問に「野球は嫌い、マラソンの中山選手(ダイエー所属)のソウル五輪で金を獲れるかで頭がいっぱい」と答えていたのは笑えました。
そして伝説のダブルヘッダーについても詳細が書かれています。その年は異常気象で夏の雨などひどく、近鉄は最後に13日で15試合という超過密スケジュールを戦わねばならず、西武との熾烈な首位争いをしていたのですが、先に西武はシーズン全日程を終了し、近鉄は最後のロッテとのダブルヘッダーで連勝のみが優勝という状況となりました。当時ロッテの本拠地の川崎球場は普段閑古鳥が鳴くほど観衆の少ない球場だったのが、この日は超満員で球場の外の建物の屋上にまで人が登ってみるほどの異常な人気で、2試合とも死闘となり1試合目は近鉄が勝利、2試合目は引き分けとなり、西武が優勝しますが、連戦で疲労困憊の選手達が死力を尽くし、試合中に泣いたり、ロッテも最下位とは思えない驚異的な粘りをみせて近鉄に立ちはだかり、有藤監督が試合時間4時間超えると延長で次のイニングにいかないというルールの下で試合終盤に長い抗議をしたのはなぜかなども書かれています。パ・リーグの試合がテレビ中継され関東で30%、関西では46%の高視聴率、試合時間が長引き、「はぐれ刑事」は休止、ニュースステーションもその日はリクルート事件と阪急身売り等の大ニュースを差し置き中継を最後まで延長したことで、後に高評価されたそうです。優勝なくなり、イニング裏のロッテの攻撃が近鉄の最後の守備機会ですが、選手の顔のアップとかボクはいまだによく覚えているのですが、テレビディレクターの細かい指示があったのだそうです。当時ボクは翌日が中学校の定期テストでしたが、中継に釘付けで結局勉強せず、燦々たる結果になりました。
近鉄は翌年にリーグ優勝し雪辱を晴らしましたが、日本シリーズで3連勝した時のヒーローインタビューで選手の不用意な発言が巨人に火をつけてしまい4連敗したのは有名な話ですが、このダブルヘッダーのロッテ戦も似たようにロッテに火を付けることがあったとは知りませんでした。
当時を知る人が読んでも大変興味深くていろいろな事情を知ることができますし、知らない人が読んでもこんな劇的なドラマがあったのかと知ることができるとても良い本だと思います。
それではまた。
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