失敗や災害は過去から学ぶべき

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

昨日は荒れていましたが、こちらは今日はいいお天気でした。少しづつでも暖かくなってほしいですね。

さて、今日は失敗や災害などというのは、今でもありますが、歴史上過去にもたくさんあったわけで、今とは道具とか全然不便だったとはいえ、過去の人たちは、それを乗り越えてきているので、どんな風にしてきたのかを学んでみようというテーマです。

今世界中で、最も関心があるのは、感染症でしょう。過去に恐ろしいものとしては、スペインかぜというのがありました。

それについて概要や経緯等を見ていきたいと思います。

スペインかぜの概要

世界全体では

世界全体の推定感染者数は世界人口の25-30%(WHO)、または世界人口の3分の1、または約5億人とされる。当時の世界人口は18億人から20億人と推定されている。

いまだったら15億~20億人くらいでしょうかね。

日本では

感染者数2380万人死亡者約39万人が内務省衛生局編『流行性感冒』(大正11年/1922年)による統計数値である。

第一波

1918年3月4日、アメリカ合衆国カンザス州のアメリカ陸軍ファンストン基地で、アルバート・ギッチェル (Albert Gitchell) という名の兵士が発熱、頭痛、喉の痛みを報告し、これが記録された最初のスペインかぜの症例とされている

被害者の年齢層

若年成人が死に至りやすい傾向が見られた。一般にインフルエンザの犠牲者は乳幼児(0–2歳)、高齢者(70歳以上)、免疫不全者に集中することから、これはスペインかぜの際立った特徴と考えられる。



「スペイン風邪」に当時の政府や自治体はどう対処したのか

大正8年(1919年)1月、内務省衛生局は一般向けに「流行性感冒予防心得」を出し、一般民衆にスペイン風邪への対処を大々的に呼びかけている。驚くべきことに、スペイン風邪の原因がウイルスであることすら掴めなかった当時の人々の、未知なる伝染病への対処は、現代の新型コロナ禍における一般的な対処・予防法と驚くほど酷似している。

どのように鎮静化したのか

日本各地で猛威を振るったスペイン風邪は、1920年が過ぎると自然に鎮静化した。なぜか?それは内務省や自治体の方針が有効だったから、というよりも、スペイン風邪を引き起こしたH1N1型ウイルスが、日本の隅々にまで拡大し、もはやそれ以上感染が拡大する限界を迎えたからだ。そしてスペイン風邪にかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したからである。

実に恐ろしいですね。ワクチンで解決したわけではないんですね。

当時の公文書

尚、当時の公文書をこちらから、原本の写しを見ることができます。

キーワード検索で、「流行性感冒」と入力してみてください

たくさん見出しがでてきて、文書を閲覧することができます。

・流行性感冒ニ関スル「ロスアンゼルス」市衛生局布告ノ新取締規則切抜送付ノ件
・流行性感冒患者発生の件
・軍艦矢矧流行性感冒に関する報告
・俘虜流行性感冒にて死亡の件
・流行性感冒治療諸費ヲ国庫剰余金ヨリ支出ス

実際の文書で、当時の生々しい状況がわかります。

ちなみにこのセンターの資料は、戦争とかそういうものもたくさんあるので、気になったキーワードで検索すると、貴重なものがいろいろ見れます。

現在の新型コロナと比較して、政策や人々の対応等がどうなのかを考えてみるのも良いのではないでしょうか。


それではまた。



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