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自分のことが好きな自分が嫌い



 自分が嫌いだ。巷で流行りの自己肯定感とかいうやつは皆無だし、悪いことが起きたらとりあえず自分のせいにする。自分との約束ほど破りやすいものはないと思っているせいであと5分寝ると言って2時間寝るから、自分ほど信じられない人はいない。ネガティブで面倒くさくて重くて、とにかくめちゃくちゃ卑屈な人間だ。何をやるにも一歩踏み出せない。ギリギリまでやらない。人や物に当たり散らかすときもある。友達が輝いている姿に対してどうしようもなく醜い嫉妬をしたりもする。どっちを選んでも後悔するような選択ばかりして落ち込んで、またやる気を失って。自分には何も無いことに定期的に気づいては絶望して。そんな自分のことを好きになるのは到底不可能だと思っている。

 しかしそれと同時に、実は自分って自分のことがめちゃくちゃ好きなんだなと思うことが多々ある。実際、小学校中学年辺りまでは自分のことがかなり好きだった自負がある。幸か不幸か身内は私にけっこう甘かったので、自惚れていたのだと思う。中身にも外見にも自信があって、自分は世間的に見ても可愛い人間だと本気で思っていた。歌手やアイドルのようなキラキラの存在にだっていつか絶対なれると信じていた。自分は凄い人間なんだと、無条件に思い込んでいた時が私にもあった。それが一体全体いつからこんな卑屈になってしまったのか。

 とはいえまあ今でも、自分が書く文章は好きだ。そうじゃなきゃ、こんな長ったらしい文章を書いては見返してを繰り返したりしない。自分の歌が好きだから録音して何度も聞くし、自分の絵が好きだからたまに見返す。自分が撮った写真が好きだからそれ用のインスタのアカウントまで作った。自分の容姿もいい感じに撮れたやつだったら何度も見る。過去に提出した課題の中でよく出来たと思っているやつすらもたまに見返す始末で、こんなナルシシズムに溢れたやつは果たして他にいるんだろうかと時々不安になる。


 もしかしたら私は、自分の「自分のことが好きだというところ」が嫌いなのかもしれない。私は自分のそういうところが一番嫌いだ。嫌い嫌い言ってるくせに実は好き、みたいな訳の分からない矛盾。嫌よ嫌よも好きのうちってか?言動不一致にも程がある。どっちかにしてよ。第一印象サイアクだったアイツは実は…!?とか言って恋が始まるわけでもあるまいし、好きなのか嫌いなのかハッキリしてほしい。

 
 これっていわゆる「自己愛は強いけど自己肯定感が低い」ってやつなんだと思う。自分のことを優れていると思ってしまっているからこそ、駄目な部分が受け入れられない。自分は評価されるような人間じゃないと卑下しながらも、心のどこかで「君は凄い」「特別だ」「優秀だ」と評価されたいと思い、そういう場面で自分の名前が挙がることを期待しては落ち込む、という馬鹿を繰り返している。それってすごく不毛だ。けれど、分かっていても辞められない。これってつまり自分の弱点を理解してるくせに治せない、ということ。なんだそれ一番だめじゃないか。


 でも正直、こんな卑屈と承認欲求と自己顕示欲と臆病さを煮詰めた性格になってしまったのは周りのせいだ、と言いたくなるときがある。だって幼い頃の私はもっと鈍感で底抜けに明るくて自信があって、怖いものなんてなかったはず。それが成長するにつれてジワジワと変化していった。先輩後輩同級生や大人たちに見た目や言動をイジられ、家庭内と世間一般での自己の外見評価の違いを思い知った。自分の良さ・優秀さを主張することは【自慢】として煙たがられると悟った。個性を強く出そうとすると白い目で見られることが分かった。目立つことは恥ずかしいことで、派手なことは自分には分不相応だと。自信のある部分はなるべく隠して、分かってても分からないふり、できててもできてないふり。万が一にでも褒められたら謙遜、自虐。そうしたらみんなが同調して笑ってくれるから。

 そして結局のところ、周りを笑わせることが自分が最も受け入れられる立場だと思い込んでいった。否、もしかしたら笑われていたのかもしれない。それで傷ついて落ち込んだりもしたけど、中には自分のことを手放しに褒めてくれる身内もいたから、変な自信とプライドだけが捨てられなかった。はい、自己矛盾マンの完成。こうやって周りのせいにばっかりしてるところも嫌いです。


 どれだけ駄目な人間だと理解してても詰まるところは自分が可愛いから甘やかしてしまって、そんな自分がやっぱり反吐が出るほど嫌で、だから愛したくて文章を書いて満足して思い上がって、また失望して落胆して。

私の人生はこの繰り返しだ。

でもどう足掻いたって死ぬまであんたとはお別れできないんだから、そろそろループに終止符を打ちたいと思ってるんだけど、そこんところどうなの、自分よ。

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