全ては自分次第なのやめて
自分を何とかできるのは自分だけなんだ、と思うと、時々無性に恐くなる。
自分を救ってあげられるのも、助けてあげられるのも、道を切り開いてあげられるのも、詰まるところは自分しかいないのだ、自分が動くしか現状を変える方法はないのだ、という事実は、自分を愕然とさせるには十分すぎる。
もちろん周囲の人々は言葉なり物理的な補助なり何なりで一端を担ってくれるわけだけれど、それを受けて何に変えるのかは自分であって、どんなに良質な供給をもらっても、自分次第でそれはガソリンにも塵にもなり得てしまう。
そう、最終的には全て自分次第。
……重い。私にはとても荷が重すぎる。
誰か適当な感じで私を動かしてほしい。自分じゃ止めるのはちょっと難しいくらいのある程度のスピードを持った何かに私を乗せて、そのまま走らせてほしい。乗り心地とか到着地とかへの文句は、なるべく言わないようにするから。
だから私は運転が嫌い。自分次第で天国にも地獄にもなりうる。一瞬気を抜いただけで、人の生死に関わってしまう。当然ハンドルを握ってる人の責任。こわい。怖すぎる。ぼーっとしてたらひとをころしてしまうような乗り物の操縦権を自ら握るだなんて怖すぎる。
その点、公共交通機関は安心する。座ってればおっけー。今みたいに日記をつらつら書いてたらそのうち目的地に到着してくれる。満員電車は苦手だけど、運転手になるよりずっとマシだ。ありがとう、各公共交通機関の運転手さん。わたし含め大勢の命への責任を背負ってくれて。
運転する時は遠くを見て広い視界を持ちましょうって教習所で習った気がする。視界が狭い人は、歩行者や信号に気づくのが遅れたり曲がるのが下手だったりして事故を起こしやすい、みたいな。
それってたぶん人生も同じで、私みたいに目の前のことを何とかするので精一杯な人は、運転も生きるのも下手くそなんだと思う。
人生にも教習所があったらいいのにって思ったけど、きちんと通った上で車の運転苦手なんだから意味ないような気がする。
社会の歯車となって何にも考えずひたすら動き続けることができたら、どれだけ楽なんだろう。
いっそ何も考えられないようになりたい、って何度も思った。でもなれない。いつもいつもずっと、何かを考えてしまっている。
脳内にも赤信号とかないんですか。
頼むからガス欠してくれ。ぷしゅー。
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