雑感『街とその不確かな壁』

小説を読みました。

「村上春樹」さんの直近作『街とその不確かな壁』。
原稿用紙1200枚の長編。
厚さが5センチくらいある。

ボクが気になったのはこの本のタイトルの後半部分です。

『その不確かな壁』( ”Its Uncertain Walls”)

どういう意味だろ?
そう思いながら読み進めていると「はっ!」と気づきました。

「あるように見えるけど実は存在しない境界線」という意味なんだ!

「きみ」と「ぼく」、「街の中」と「街の外」、「夢」と「実際」、「現実」と「非現実」、「リアル」と「非リアル」、「ひとつの世界」と「もうひとつの世界」、「左の顔」と「右の顔」、「影」と「本体」、「魂」と「肉体」、「心」と「身体」、「あちら側」と「こちら側」…。

その境目はじつに曖昧なんです。
いや、ホントは実在しない。
対立するように見える二つはコインの裏表なんだ。

ボクは夢の世界と現実の世界とは一つの同じ世界なんだと思っています。
同じ世界なんだけど、まったく違う角度から見てる。
だから、登場人物も変わる。
眠る前に「夢であの人と会いたい」と思っても会えることはほとんどない。
現実の世界では会ったこともない人が出てくる。
だから同じ一つの世界には思えない。
だけど同じ世界。

ボクらは現実の世界で起こることをコントロールできない。
同じように、夢の世界もコントロールできない。
自分の夢のなのに。

「あなた」と「わたし」はこの「現実の世界」を生きてる。
ひとつの現実をどう見てるかは違っていたとしても世界を共有している。
同じように「あなた」と「わたし」は同じ「夢の世界」に一緒にいる。
たとえ「わたし」の見る夢に「あなた」が出てこなくても。
そして、「あなた」も「わたし」も二つの世界を行ったり来たりしてる。

ボクはそんな風に思ってる。
だから、この本を読んでいたらデジャヴを何度も感じたのでした。

ところで、そしたらタイトル前半の『街』(“The City”)というのはなんだろう。
そう考えたんだけど、そもそも壁がないとしたら、どこからどこまでが街なのかわからなくてなるよね。
で、ひとつになるのよ、ぜんぶ。
街は、もう、ない。

さてさて、突然ですがここで仏教のお話し。

仏教には「我」を「波」に例える教えがあります。

大きな一つの海がある。
この大海の表面では、月の引力によって潮が満ち引きしてるんだけど、天候によっては荒波になることもあるし、穏やかな凪(なぎ)であったりもする。

わたしは海の表面に現れるある一つの波を「わたし」だと思っている。
あなたは別の一つの波を「あなた」だと思ってる。
「わたし」という波と「あなた」という波は、あるときは愛しあい、またあるときには憎みあう。

でも、「わたし」と「あなた」はもともと同じ一つの大きな海なんです。
「わたし」も「あなた」も、なんらかの条件が与えられて一時的に波という現象で現れたにすぎない。
本来は大きな「海」という一つの「いのち」なんです。
だから、波同士のつまらない人間関係(波関係?)で気をもまなくてもいいハズなんです。

そして、この例えのもっと大切なこと。

「わたし」も「あなた」も同じ一つの大きな「海」の一部だとしたら、「波(我)」としての「わたし」が死んでも、「あなた」がいなくなっても、「海(いのち)」は死なないんです。

アップルのジョブズがその著書を愛読した鈴木俊隆老師は「死ぬのが怖い」という弟子にこう言います。

"You will always exist in this univers in some sorm"

「あなた」に「いのち」が宿ってるんじゃなくて、いまここで見えている「いのち」に「あなた」という名札がついているだけだよ。
「いのち」は違う名札をつけてこの宇宙でずーっと生き続ける。
「あなた」は「いのち」なんだから死なないんだよ。

…立ち返って、『街とその不確かな壁』(“The City” and ”Its Uncertain Walls”)。

こちら側の「ぼく」は、あちら側の「私」になり、「きみ」は「君」になる。
「ぼく」と「きみ」はこちら側で出会い、「私」と「君」はあちら側で出会う。
こちら側で出会った「私」と「少年」は、あちら側で一体になる。

そうなんです。
この本の物語は波と海の仏教のたとえ話の描写のように展開するんです。

これ、仏教書なんじゃないの?

そう思ったくらいです。

ところで、この本には著者である村上春樹さんご本人の「あとがき」があります。
そこにはこう書かれています。

『真実というのはひとつの定まった静止の中にではなく、不断の移行=移動する相の中にある』

「不断の移行=移動する相(すがた)」

あるときは「わたし」として。
またあるときは「あなた」として。
絶え間なく形を変えながら、いまここに生きている「いのち」の姿(すがた)。

これ、やっぱり仏教書でしょ。

『街とその不確かな壁』

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