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日本人に「宗教」は要らない~読書記録290~

2014年にドイツ人で元キリスト教徒、曹洞宗住職のネルケ無方によって書かれた。


ドイツ人住職が教える「日本人の宗教観」の凄さ!
世界一宗教にこだわりがないと言われる日本。
他国と比較して、果たしてそんなに異常なのだろうか……?
日本には宗教間の対立がほとんどない。日本人同士は宗教のことでいっさい喧嘩をしない。
仏教と神道が争うことはない。いまの日本人はキリスト教を否定しない。
西洋人が日本人から大いに見習うべき点は、ここだろう。
そして、日本人は無意識のうちに、日常生活の中で「禅」の教えを実践している。
だから、日本人に「宗教」は要らない!
坐禅と自給自足に生きるドイツ人住職の日本人論。
キリスト教と仏教の違い、欧米と日本の宗教観の違いを分析しながら、日本人が宗教とどうつきあっているのかを解明する一冊。(出版社紹介)

そもそも宗教とは何でしょうか?
宗教とは、「特定の神様がいて、それを信じるか信じないか」である。
もしこれが、宗教の定義だとすると、「仏教は宗教ではない」と言えるかもしれません。禅宗の場合は、仏に手を合わせて祈ることより、自分が仏として生きる道を模索します。
曹洞宗の開祖である道元禅師は、「座禅だけでなく日常生活も大事である」と説かれました。日々の一挙手一投足に「仏性」が宿るとされたのです。料理や掃除の作法からトイレの使い方まで。生きていく上での「実践」に重きを置いています。
この日常生活の実践を、身を持って行っているのが日本人です。道元禅師が大切にされた日々の生活(仕事や家事)を黙々とこなし、人とのつながりを大切にし、自然と共生する生き方を無意識に実践しているのです。
日本のような安定した社会、争いごとの少ない社会は、世界でも珍しいのです。
書名である「日本人に宗教は要らない」の真意は、まさにそこにあります。日常生活の中に、仏教や神道の教えが根付いているからこそ、日本人は宗教に無関心だったのではないでしょうか。日本人は、宗教を考える必要がなかったのです。(本書より)

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教の国々の一般の方が観ている日本人観とネルケ僧侶が感じているものは違うなと率直な感想だ。
私自身も、ネルケ僧侶と同じで、元キリスト教徒であるから(破門された)書かれている事は、他の日本人、特に元からの仏教信者、神社に普通に参拝する人よりも共感出来る所が多いだろう。
日本人は自分たちで知らないうちに、無意識のうちに、大切な日常生活を送っているのだ。
学校給食において、「いただきます」と手を合わせて食べること。「ごちそうさまでした」の心。学校、会社などで自分の使う場所は掃除する姿勢。
自分が使う教室、机などは掃除するのを当然と思える心が自然に身についている。
最近は、マンションなどでも「お金を雇って共用部分やら自分のごみを分別して出してもらうのは当たり前」のような人たちが増えてしまった感はあるが・・・

葬式仏教と化してしまった仏教界に対する苦言も的を射ていて頼もしい。
本来、仏教は生きる為の教えだったのだ。僧侶、寺が葬儀優先となってしまうのはどうなのか?私もそう思う。
御朱印などを欲しい旨を言うと、神社は、日曜日に行っても受け付けてもらえるが、寺院は「法事があるから平日が空いている」の返事を多く聞くのだ。
江戸時代に、お寺で寺子屋なるものがあり、そこで読み書きそろばんを教えていた事は教科書にもある。そのような役割も今やなくなっている。
私としては、読み書きそろばんは義務教育に任すにしても、書道などどうだろうか。
又、ネルケ僧侶も書かれていたが、お寺で座禅やヨガなどを開催するにしても、年配の方ばかり。若者だって求めているのではないか。オウム真理教に若者が何かを求めて沢山集まったが、お寺に来る事は出来なかったのか?
座禅をしたかったら曹洞宗。お題目を知りたかったら日蓮宗、念仏を覚えたいなら浄土真宗、密教を悟りたいなら真言宗。。。などなど、檀家だけの為のお寺ではなく、求める人が来られないだろうか。日本仏教が、そのような若者たちの受け皿となりえたはずなのだ。
それは、私も大いに思うのだ。いくつものお寺で「檀家さんですか?」と聴かれた。ネットや本で知識を得てから来てください、のような対応のお寺も多かった。
真言宗も別れすぎて、本尊をよくわかっていないから聴いてるのに、なんでやねん!と思うこともあり、浄土宗と浄土真宗の違いがよくわからないから浄土宗の信徒さんに聴いたのに「檀家さん?」の一言で終わってしまうとは。。。
多分、多くの僧侶は、父、祖父ら代々が僧侶で、自分は当たり前と思っていることが、案外世間の人は知識がない事を知らないのだろう。
その世襲制という日本独自のものも見直すべきなのだろうが。
仏教界だけではなく、政治の世界が一番問題だが。
ネルケ僧侶は、もっと僧侶たちは外に出て社会と交わるべきだと書かれている。江戸時代までは、もっと地域社会に根差したものであった。

外国人だからか、元キリスト教徒だからか、ある意味、世襲制でもって僧侶になった人に対する考えもハッキリとしており、心強い。
今後の日本仏教界はもっと変わって欲しいと願うのであった。




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