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一般人の気持ちを寺側はわかってない


写真は、埼玉県飯能市にある無人の寺だ。歩いて20分ほどの場所にある寺院が兼務している。
本堂は小さいのに墓の多さに圧倒される。
これを管理する寺が徒歩で20分ほどの場所にある。
流石に、これだけのお墓があると檀家さんも多いだろうし、お寺には住めずとも潰すわけにはいかないのだろう。

今、お墓をどうするか?世間一般の人とお寺スタッフの間では乖離があると思う。
今の日本は少子化だ。結婚しない、しても子供を自らの意志で作らない。そんな人が増えている。親や祖父母の墓は守れても自分が死んだらどうするか。考えている人は多いと思う。エンディングノートは流行っているし。
私の友人、40代の姉妹2人は結婚しない(彼氏はいる)と決めているので、既に永代供養墓地を購入したそうだ。
人は必ず死ぬ。そして、死後の肉体処理は誰かに頼らねばならない。それをしてくれる身内がいなくなっているのだ。
私が小さい時にうちの墓地に知らない人のお墓があって、爺ちゃんに聴いたら「戦争中にどこからか来た子供が亡くなっていて。身寄りがわからないからうちで供養した」と。昔は、村でこういうシステムがあったのだ。
今はどうなのか?知らない人のお墓を建てて供養するなんてバカヤローはいなくなっているだろう。
そういえば、菩提寺を替えたら、あのお墓は無くなっていたな。。。
だから、行政に託すわけで。。。


こちらのお寺の件で、だいぶ色んなお寺の方が怒っておられた。
多額な離壇料はそんなに取られる事はないと思うのだが、一般人からすると、お寺には言いたい事も多いが言わないでいる人間が殆どなのだ。

まず、戒名ありき!の葬儀、お墓だ。
何故に戒名をつけなくてはならないの?
私の恩師はクリスチャンだったけど、亡くなった時に弟さんが仏教式の葬儀で戒名も付けられと・・・
友人は突然亡くなった時に、いとこが勝手に家族葬にしたと。
お墓も先祖代々ので。待ってよ!彼。教会の共同墓地を生前に買っていたんやで。
と、まあ、亡くなった後は、残された家族が勝手に行ってしまうので、エンディングノートをしっかりと書いておかないとなのだ。

私は悟りも得ていないし、信心もそんなにないので戒名は要らないと思ってる。
あと、息子は問題あって、私の死後の事は何も出来ないので誰がお墓の世話するの?と思う。
菩提寺のスタッフ?私の実家菩提寺なんぞ、兼務寺かなりあって忙しい。
夫実家の方も実は無人の寺が増えていくつか兼務してるらしい。
少子化で人口も減って行く。 僧侶の数だって減っていくと思う。 無縁墓になっても寺にお任せは、もう違うんじゃないかな。
昔の偉人のお墓は残して欲しいけど、私みたいなバカでクズのお墓なんか要らんやろ。 骨まで灰にしてもらって、埋めてほしい。


山を切り崩すし、墓石は処分が大変だし。今のお墓って自然環境を破壊してるような気がする。

それから!!
墓石って高い!高すぎる。


横浜市営墓地の前にある石材店にある見本だ。
価格も高いし、外国産が多くなっているのだ。お墓にする石だって無限にあるわけじゃないしね。バブル期は御影石のお墓とか、かなり余裕のある人もいたのだが、今はそうではなくなっている。石材店さんの感覚はバブル期のあままなのだろうか。


こちらが国産だ。
昭和の時代は、医療も発達していなかった分、病気や老衰では寝たきりの期間が短く、お金も使わなかった。今は医療が進歩しているのは若い人には良い事なのだが、定年過ぎの人間にはもういいんじゃないかな?という治療が多すぎるような気がする。胃に穴を開けたり、意識もないのに機械で心臓を動かしたり、チューブだらけのスパゲッティみたいな状態にしたり。
医療費、介護費用で退職金やら貯金は無くなり、墓石に費やすお金はない。ついでに、葬儀もお金をかけなくていい、となる。

お前は日本人じゃないな!と言われるかもしれないが、皇室、偉人のお墓は作り残しておくべきだが、一般人の遺骨はまとめて供養でいいのではないかと思う。
日本の国土は狭いのだから。


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