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宗教は現代人を救えるか~読書記録386~

2020年 花園大学教授で浄土真宗僧侶の佐々木閑(しずか)氏、同志社大学教授でプロテスタント牧師の小原克博氏による対談集。

宗教は人々の心の中に存在する。
そして、政治・社会・経済に多大な影響を与えてきた。
いま、テクノロジーが人間の思考を規定しかねないほどIT社会が発達しつつあり、環境問題など喫緊の課題も取り沙汰されるなかで、仏教とキリスト教という二大宗教の教義と歴史、これを信じる人々の思考を深く知ることにより、物質世界の変化・進化への対処法が、より確実にわかるだろう。
激動する世界に生きるわたしたちを、宗教はこれからも導いてくれるのだろうか。
二人の専門家が徹底的に語る「現代宗教対論」。

佐々木閑
1956年福井県生まれ。京都大学工学部工業化学科、文学部哲学科卒業。同大学大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。インド仏教学者。現在、花園大学教授。文学部長、図書館長。著書に『出家とはなにか』『インド仏教変移論』(いずれも大蔵出版)、『出家的人生のすすめ』(集英社新書)、『ブッダ 真理のことば』『ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか』『般若心経』『ブッダ 最期のことば』『大乗仏教』(いずれもNHK出版)、『ネットカルマ』(角川新書)、共著に『真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話』 (幻冬舎新書)、『ごまかさない仏教』(新潮選書)などがある。

小原克博
1965年大阪生まれ。同志社大学大学院神学研究科博士課程修了。博士(神学)。キリスト教神学者・宗教学者。現在、同志社大学神学部教授。神学部長、良心学研究センター長。著書に『世界を読み解く「宗教」入門』(日本実業出版社)、『一神教とは何か』(平凡社新書)、『宗教のポリティクス』(晃洋書房)、『神のドラマトゥルギー』(教文館)、『人類の起源、宗教の誕生』(共著、平凡社新書)、『良心学入門』(共著、岩波書店)、『原理主義から世界の動きが見える』(共著、PHP新書)などがある。


このお二方の素晴らしいところは、お互いの信仰する宗教を尊重しているところである。
浄土真宗、親鸞だけが救いだ。キリストを信じないと救われない。などというところが全くなく、自分の信じているものを冷静な目でもって、時には疑いの目も持ちつつ、思考していく。
それでも、神学部部長、僧侶、牧師とされているのだから本当に敬服する。
私などは、未だに疑いばかりの、何も信じない、の頑なな人間であるからだ。

宗教を知らない人、宗教について考えたことのない人は、当然ながら宗教というものの本質を理解する力がない。「宗教というのは、神さまを拝んで幸せを願うことだ」といった表層的なイメージでぼんやりしていると、そこを宗教に付け込まれる。実際は宗教というのは、「神様を拝んで幸せを願う」などという生ぬるいお人好しのママゴトではない。宗教とは、「これこそが、あなたやあなたの家族に本当の幸福をもたらす、この世で唯一最良の生き方なのです」と言って語りかけて来る、幸せのアドバイザーである。
(佐々木閑)


ユヴァル・ノア・ハラリのサピエンス全史によると、以下のものも宗教だという。
1、共産主義
2、資本主義
3、国民主義
4、人間至上主義

ユヴァル・ノア・ハラリ (ヘブライ語: יובל נח הררי‎、英: Yuval Noah Harari、1976年2月24日 - )は、イスラエルの歴史学者。ヘブライ大学歴史学部の終身雇用教授[1] 。世界的ベストセラー『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』、『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』の著者。著書では自由意志、意識、知能について検証している。

最近の欧米、日本では「宗教離れ」が言われている。教会に行かない、教会で結婚式をしない欧米。墓じまいする日本人。無宗教です!と言い張る人が増えている。実は私もだ。
けれども、ハラリの書をよく読むと、殆どの人類は何らかの宗教を持っているのだ。お金が宗教になっている、など思い当たるかもしれない。

現代人はネットの中で「イイネ」を求めている。ネットの中で承認される事が幸せだと思う。こんな時代だ。

人に認められようが、認められまいが、私はここに私として存在しているのだということを、自分自身で納得できる境地が必要です。キリスト教の場合は、まず神の前に私が立っている、神によって私は祝福を受け、生かされているのだということがわかれば、他者の視線や評価を過度に意識する必要はなくなります。(小原克博)

若き日にキリスト教に触れたことは無駄ではなかった。孤独の中でも平気な自分でいられた。そこを改めて感謝できる書であった。

素晴らしい先生方に感謝だ。

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