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「義務」から「オシャレ」へと変化したネクタイ

クールビズ以降、服装の自由化は夏場以外にも広がり、様々な企業でネクタイだけではなく「脱スーツ」の流れが加速しています。
以前のような「作れば売れる」といった環境はとうに終わり、もはやマスでは生き残れない業界になっています。

今までのスーツやネクタイの考え方は、ある意味【義務的】であって、それゆえにその意味について社会的にネガティブなイメージを語られることも多いのが事実です。

たしかに、機能的な面から見れば決して生産性が高いものではないのかもしれません。
ネクタイに深く関わっている私ですら、ネクタイをしている時としていない時のいわゆる「快適さ」で比較すると「していない時」の方が開放感があって楽です。

じゃあ、そもそもネクタイの存在意義はないじゃないか?

と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそうは思いません。

その理由について2つのポイントと共に書いてみたいと思います。

【変わるネクタイの意義】

前述したように、ネクタイは今まで【義務的】な側面がありました。
仕事に行くときは必ずスーツ着用で、暑いのに我慢してきていないといけない苦しさや堅苦しさを感じていた人たちや、いわゆる社畜感を感じる服装の代名詞的なものだったのかもしれません。

それでも「そういうものだ」となっていた風潮から、否定もできずにそれに「嫌気」がさしていたのが今までの印象なのかもしれません。
近年になってそれが「古い意識」となってきて、一気に存在意義がなくなってきたのが現実なのではないでしょうか?

たしかに、義務的な一面からは脱却したのかもしれません。

ただ、これは意義がな無くなったのではな「変化」をしたのだと考えています。

どう変化したのかというと、単純明快。

【着用義務アイテム】【オシャレアイテム】へ役割が変わったんです。

例えば、ネックレスや指輪とは「つける人はつけるが、つけない人はつけない」ですよね?
身に着ける人の多くは「オシャレ」や「ステータス」のために身につけています。

それと同じように、スーツ着用の際の「オシャレ」として一種のアクセサリー的感覚になってるのです。

ネックレスを自己判断でつけたりつなかったりするように、ネクタイも義務ではなく選択ができるようになったのだと私は考えています。
ただ、このあと書きますが、ネクタイには一つ、アクセサリーとは違う一面を持っているのでそれも紹介させていただきましょう。

【変わらないネクタイの意味】

大それた話っぽく書きましたがこれもまたシンプルな話で、私たちは普段の生活や仕事をしていく中で様々な「テンプレート」に囲まれて生きています。
例えば、ビジネスシーンにおける見積書や請求書、大きく言えば様々な社会的ルールもそうかもしれません。

義務的一面もあるのかもしれませんが、ある一定の決まり事の中で私たちは生きています。

それと同じように、スーツにネクタイというものは、男性の服装としての「テンプレート」なんです。

例えば、結婚式やその二次会、その他パーティーの招待状に「平服でお越しください」と書いてあった場合、そう書いてあるのだからそうすればいいのかもしれませんが「一応スーツで・・・」という感覚は誰しも持っているものだと思うんです。
まさにその感覚が、テンプレート意識で、「最終的にこれで安心」という最終着地点があるかどうかは、精神面にも大きく影響してきます。

そういった意味で、多少価値観が変わったとしても、大切に残しておかなければならないものの一つであると考えています。

私はネクタイを作っています。
もちろん、たくさんの人にネクタイを好きになってほしいし、
手に取って頂きたいとも思っています。

ですが、クールビズ反対を唱えてみたり、ネクタイをしないことを悪く言うことはしません。

繰り返しになりますが、変化を自覚して新しい価値を提案していく上で、
「存在意義がない」という意識だけは持ってほしくないという想いでいるだけです。

だって、ネクタイが好きだから。

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