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白状します、わたしは親友のことがずっと嫌いでした。

勘違いされそうなのではじめに書いておきますが、ここに出てくる「M」はツイッター上の人じゃありません。

高校生の時、わたしが”親友”とよんでいた人です。

Mはわたしの心の片隅にいつもこびりついていて、なかなか取れなくて今現在も苦しいので、文章にしてわたしの中にあるこのモヤモヤを解消しようと思い、今こうして書いています。

生まれて初めてできた"親友"

わたしの父が転勤族だった為、幼稚園、小学校と幼い頃から何回かにわたり引越しをしてきました。

それに加えてわたしがこんな性格なので、仲良しの子とはいつも仲たがいをしてばかり。

"親友"と呼べる人は一人もいませんでした。

そこで高校に上がり初めてできた友達がMでした。

Mとは出席番号が前後で気づけば二人でつるむようになっていました。

トイレに行くのも、何かの係をするのも、学校帰りに遊びに行くのも、週末クラブに遊びに行くのも、青春と呼べるものは何もかも一緒に過ごしてきました。

知らぬ間にできあがっていたヒエラルキー

わたしは共学の学校に入学したつもりでしたが、頭が悪すぎたらしく女子だけのクラスでした。

そして入学後も遊んでばかりで3年間ずっと女子クラスの席は前後。

まわりからはかなり仲良しに見られていたと思いますし、わたし自身もそう思っていました。

でも、この時はまったく気づいていなかったんです。

Mとわたしは極度に性格が似ている、そしてわたしはMに気を使いまくっている、わたしがいつもホワホワした天然キャラなのはMから身を守る為だったと。

彼女は学年でもトップのボス猿になっていきました。

例えるなら、わたしは”その周りにいつもいる人”だったと思います。

ボス猿は高校を出てもボス猿でした。

例えるなら、窮屈な人生

高校卒業後の数年間を表すと「窮屈」。

今思い返すとそんな言葉がぴったりだったと思います。

高校卒業後はキャバ嬢としてMと同じ店で働きはじめました。

そのお店にはわたしの方がかなり早くから働いていた為、どちらかというと”わたしの庭”でした。

しかし、仕切り屋で独占欲の強いMは自分の庭にしてきました。

お店での自分の位置を高く確立し、わたしを子分キャラに仕立て上げました。

そして、親友という縛りで私生活も束縛されていました。

そんなMに対して、わたしはいつもの可愛らしい天然キャラでMをかわしていました。

Mはものすごく気分屋で、すぐにツーンとなります。

ツーンとなると、冷たく当たられ、わたしの行動にいちいち口を出してきます。

例えば、カップラーメンを食べている最中にわたしが席を外した際、お箸が揃えられておらず、カップラーメンに入っていたことが気に食わないとそれから無言を突き通すような人でした。

生理前になると、Mの周りには結界が目に見えるほど人を遠ざけるオーラを出していました。

わたしはそんなMの機嫌が悪くならないよう、いつも気を使っていました。

男ネタ以外で笑顔にならない彼女に、男ネタをふるのに必死でした。

Mをいかにして笑わせるか、それがわたしの16才〜26才でした。

Mの奴隷

気づけばわたしはMの奴隷でした。

でも、これまで一緒にいたことやMから受けた愛情がなくなってしまうこと思うと、フワフワした天然キャラのわたしを突き通すことが楽でした。

水商売をやめてからも、Mのわたしへの助言という名の指示がバシバシ飛んできました。

「ミキにはちゃんと面接とか受けて職についてほしかったけどねぇ」

「今の仕事なんて水商売の客からもらった天下りやろ?」

「そんなんで今までと何が変わるわけ?」

ちょっと、意味がわかりませんでした。

わたしは水商売を上がってから、Mが働く会社の系列のカフェで仕事をしていました。

つまり、Mの管理下だったわけです。

しかしわたしはカフェで一生働く気はなかった為、正社員の仕事を水商売時代のお客に紹介してもらったのです。

ふとした瞬間、Mが何に不満を持っているのかわかってしまいました。

自分より輝いてほしくない

彼女はある時こんなことを口にしました。

「何者かになれると思ってたけど、何者にもなれんかった……」

お前はね!と口から出そうになりましたが、その時彼女の不満はそれが原因ではないか?と感じました。

ボス猿の彼女は、自分の手下が自分より高い位置に登るのが怖くてしょうがないのです。

思い返せば、競艇学校にわたしが入ろうとした時も「わたしの知り合いの先輩も入れなかったんだからあなたには無理」。

イルカの調教師になりたいといった時も猛反対してきました。

彼女はわたしを守るためといっていましたが、おそらくわたしの充実や成功が怖かったのではないかと思います。

わたし、結婚するんだ

ある日彼女から呼び出されました。

「結婚することになったんだ」

なんだか恥ずかしそうにそういう彼女に、わたしは涙が出ました。

これは、普通になんだか嬉しかった涙です。

しかし、次の言葉でぶっ冷めました。

わたしが「わたしが先に結婚するとおもっとった〜」と冗談をいうと「わたしはあなたより先に結婚するとわかってた、あなたが先に結婚するわけないでしょ」と。

冗談なく真顔でいわれました。

その言葉と上から目線ぶりに改めてびっくりしました。

愛人と遊ぶための工作の道具

しばらくして、男ずきなMは浮気をはじめました。

浮気については特に口出しする気はなかったのですが、わたしはある日飲みに誘われました。

しかしその日は仕事が立て込み、行くことができませんでした。

するとMは激昂しました。

よくよく聞くと、「あなたといる写真が必要だった」と白状しました。

その時思いました「なんだか、疲れたな。」

だましだまし続けてきた何かがプツンと切れました。

そのやりとりの後、わたしは彼女を着拒しラインをブロックしています。

友人のFacebookでたまに見ますが、どうやら当時の旦那とは離婚後、子供が生まれたようです。

その写真をみてわたしはこう思ってしまいました。

シングルマザーだったらいいのに

この子のお父さんにも見放されてボロボロになったらいいのに。

生活に困っていればいいのに。

何者かになれると思ってたけど、何者にもなれなかったのはあなたの努力が足りなかったからでわたしとあなたは違うのよ、と。

少し引きました?(笑)

でも、正直これが本心でした。

もちろん、シングルマザーの差別とかではないです。

ただただ、彼女の境遇が最低であればいいなと思ってしまうんです。

おそらく、今日ここまで書いた2500文字の中にはわたしを保身する文章が、わたしが気づいていない部分でいくつもあると思います。

いや、もしかしたら気づいてるけど認めたくないだけかもしれない。

Mよりパワーの劣っている自分を受け入れられないだけかもしれない。(←書いていて思った)

一番がよかったわたし達

今わたしが仕事がんばってたり、発信を通して何者かになりたいとどこかで思っているのはMのことが大きく関係していると思います。

わたしはMと性格が似ていて、その性悪さも一級品だと思います。

たまたまそんな二人が出席番号が前後になったからこうなった。

わかってるけど、今まで抑圧していた何かがまだこの歳になってもわたしの中でふつふつと湧き上がり、ふとした瞬間フラッシュバックして闇に葬られるんです。

このnoteは、というかこの出来事は今後ブラッシュアップしていきたい。

そうすることが、自分と向き合うことなのだろうと思うから。

こうなっちゃったのはわたしがMのことを大切に思っていたからなのか、自分の気持ちを大切にしすぎたのか、あなたはどちらだと思いますか?

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