#315 豊田佐吉は何を発明した?

「日本の発明王」として名高い豊田佐吉は、何を発明したのか。

豊田佐吉が発明したのは、「機織機」だ。
彼はどのようにして機織機を発明し、トヨタ自動車につながる産業を生み出していったのだろうか。

明治直前の1867年、現在の静岡県で生まれた豊田佐吉は、小学校を卒業したころから父の大工仕事を手伝うようになり、腕の良い職人として信頼を集めるようになった。

一方、新聞や雑誌を読み漁り、夜には村の青年たちと勉強会を開くなど、世の中へ強い関心を持つ青年でもあった。

佐吉が目を付けたのは母が行っていた機織だった。
佐吉の村では少しでも収入を増やすために、女性が機織をしていた。
しかし、布を織るには手間と時間がかかっていた。

「効率よく品質の高い布を織る機械」をつくれば母のため、村の人々のため、世の中のためになると考えた佐吉は、大工の仕事もせず、家にこもって機械の研究に没頭した。

当時、ヨーロッパの機会は蒸気機関で動くことは知られていたが、高価だった石炭を手に入れるのは難しく、蒸気機関ではない方法で効率よく布を織る機械の発明を目指した。

1890年、佐吉は24歳にして最初の発明となる「豊田(とよだ)式木製人力織機」を完成させた。

人力織機は1人1台が基本となるため、生産性に限界があった。
そこで、動力を使った織機の開発を目指した佐吉は、1896年(明治29年)、日本で最初の動力織機である豊田式汽力織機を完成させた。

佐吉が発明した力織機の仕組みは以下の動画でわかりやすく説明されている。

その後も佐吉は力織機の改良を重ねた。
1924年(大正13年)、さまざまな改良を施した「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」が完成した。佐吉が織機の発明を決意してから30年以上の月日が流れていた。
G型は世界的にも評価された画期的な力織機だった。

以下の動画でその仕組みが説明されているが、正直複雑すぎて「すごい」ことは分かるものの仕組みを理解するのは難しい。

1926年、株式会社豊田自動織機製作所(現、株式会社豊田自動織機)が設立した。

1930年、生涯を力織機の発明にささげた豊田佐吉は63歳で逝去する。

1933年、佐吉の長男である豊田喜一郎によって、豊田自動織機内に自動車開発部門が設置され、1937年にトヨタ自動車工業として独立、日本の自動車生産を牽引していく存在となっていった。

【目次】

【参考】


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