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#336 虫を分析すると縄文時代が分かる?

現代では貯蔵米にわく害虫として知られるコクゾウムシ。
稲作がはじまっていない縄文時代には日本にはおらず、弥生時代に稲作と共に日本に渡ってきた外来種と考えられていた。

しかし、縄文土器の分析を通して、稲がなかったはずの縄文時代にもコクゾウムシがいたことが判明している。

コクゾウムシの化石がみつかったわけではない。
縄文時代の土器にコクゾウムシの痕跡が残っていたのである。
土器をつくる過程で混入したコクゾウムシは、土器の焼成過程で燃えてなくなってしまうが、コクゾウムシがいた場所は土器に微細の空洞として残る。
その空洞の形を分析すると、コクゾウムシの形をしていたため、縄文時代にもコクゾウムシがいたことが判明した。

しかし、コクゾウムシのエサとなるはずの米は縄文時代の日本には存在していなかった。

コクゾウムシが米のかわりに食べていたのは、ドングリや栗などの木の実だったのではないかと言われている。

中には、500匹ものコクゾウムシが混入していた土器もみつかっている。
これほど混入しているとなると、「たまたま入った」とは考えづらいため、縄文人によって意図的に混入されたと考えられている。

こちらの記事では、「縄文人がコクゾウムシをクリの化身とみなして豊穣を願ったことを示唆しているのではないか」という説が紹介されている。

コクゾウムシは貯蔵されている穀物にわく害虫だ。
そのコクゾウムシがみつかったということは、人々は木の実を採集するだけでなく、貯蔵して、定住をしていたということだ。

人々が狩猟採集の生活を行っていた縄文時代は、その日暮らしの生活のように思われがちだが、食料の貯蔵が行われていた。

また、別の研究では、縄文時代の遺跡からみつかる豆の大きさが時代が進むにつれて大きくなっていったということが判明している。
つまり、人々が大きい豆を選別して、より大きい豆を育てる工夫をしていたということだ。

縄文時代は狩猟採集ではなく、狩猟栽培生活だったという指摘もある。

文献がないため詳細が分かりづらい縄文時代だが、分析技術が発展するにつれて、その全容が明らかになろうとしている。

【目次】

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