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#241 「神風」だけではない、十死零生の特攻とは?

太平洋戦争末期、追い詰められた日本軍は、各地で「十死零生(じゅっしれいせい=生き残る可能性がゼロという意味)」と言われた特攻を指示した。

特攻の中でも最も有名なものが、航空機に爆弾を積み、片道のみの燃料を積み敵船めがけて突っ込むという所謂「神風特攻」である。「神風特攻」は連合国軍に恐怖をあたえ、現代でも「KAMIKAZE(カミカゼ)」として世界中で語り継がれている。

実は、当時の日本軍は神風以外にもさまざまな特攻を計画し、実行していた。

桜花

神風特攻は、それまで使用されていた航空機を特攻させるというものだったが、特攻をするために開発された航空機があった。
1人乗りの特別攻撃機「桜花」である。
桜花は、大型の爆撃機の下部にとりつけられ、目標付近で切り離される。機首には1200キロの爆薬を積み、最高時速648キロで目標へ特攻をかけるという兵器である。
一度切り離した桜花は帰還しないため、着陸用の車輪もついていなかった。
しかし、神風特攻と同じく、特攻をする前に敵航空機に捕捉され、その多くが特攻を前にして撃墜されてしまったという。

回天

神風特攻に次いで有名なのが人間魚雷回天であろう。
1人乗りの小型潜水艦のような形をした兵器は、天を回(めぐ)らし、戦局を挽回するという願いから回天と名付けられた。

当時、世界最高水準の破壊力と速度を誇った超大型魚雷、「九三式魚雷」を人が乗れるように改造。長さ約14メートル、直径1メートル、水中を時速約55キロで進む。

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「鉄の棺桶」とよばれた回天の操縦席に乗ると、目の前にあるのは潜望鏡だ。海上で敵艦の位置を確認すると潜航。前が見えないまま敵をめがけて突き進む。

回天に106人特攻隊員が命を落としたものの(出撃等で戦死した搭乗員87人、訓練時事故での殉職15人、基地空襲で戦士2人、戦後に自決2人)、沈めた敵艦はわずか4隻だった。

新聞は「神風」ならぬ「神潮」特攻隊として回天の戦果を華々しく伝えたが、防衛省の研究員が、戦後日米に残された資料を検証した結果、回天の攻撃成功率は…わずか2%だった。

「6号艇発動」人間魚雷“回天” 出撃し生き残った男性の葛藤【後編】

震洋


5mほどのモーターボートに250キロの爆薬を積んで敵艦に体当たりする。
敵艦に特攻をかけるボートは、「太平洋を震撼させる」という意味を込めて「震洋」と名付けられた。

米軍からは「Suicide Boat(自殺ボート)」とよばれた震洋だったが、訓練中に沈没したり、出撃しても敵艦にたどり着く前に撃沈されたりして、多くの命が戦わずして失われたという。

本土決戦が迫る中、終戦時に配備されていた震洋は約4000隻。
終戦が近づき航空機が不足する中、パイロットを目指した若者たちが震洋の操縦士として訓練されたという。

ボートの特性上、攻撃時に敵艦に発見されやすく、50隻出撃して数隻が敵艦に特攻できれば良いという杜撰な計画がなされていた。
震洋の戦果について詳細ははっきりしていないが、アメリカ側の資料によれば震洋による撃沈はわずか4隻。日本側の犠牲者は2500名以上と言われている。

伏龍

神風、桜花、回天、震洋は、兵器に乗り込んで敵艦に突っ込むという特攻だったが、身一つで特攻をかける文字通りの人間兵器があった。
日本本土を守る最後の砦として編成された「伏龍特攻隊」である。

「伏龍特攻隊」は、粗末なゴム製の潜水服に重さ80キロの潜水具といういでたち。
先端に機雷をつけた竹やりを持って海に潜ってじっとひそみ、敵の上陸用の舟艇が来たら船底を突いて自爆するいわば“人間機雷”でした。

水中特攻「伏龍」88歳の証言

訓練がはじまると、事故死が相次ぎ(他の特攻兵器も同様である)、毎日1〜2人が死亡しており、100~130名が命を落としたのではないかと言われている。
本土を守る伏龍攻撃隊は、配備されたものの実践を行うことなく終戦を迎えた。


窮地に陥った日本軍はさまざまな特攻を計画・実行した。
しかしその戦果に対し、被害は甚大であった。
戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない。

【目次】

【参考】


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