#143 ベトナム戦争はどのように始まったのか?

ベトナムは長らくフランスの植民地だったが、日中戦争でアメリカやイギリスが中国を支援する所謂「援蔣ルート」を遮断するために日本が占領した。
ベトナム建国の父と言われた共産主義者のホー・チ・ミンは戦時中にベトミン(ベトナム独立同盟会)という組織をつくり、日本からの独立運動を行った。

第二次世界大戦後、日本から解放されたベトナムにフランスがふたたび植民地支配をするために戻ってくると、1946年12月、今度はベトミンとフランスの間で戦争がはじまった。第二次世界大戦の戦火の冷めやらぬ中はじまったこの戦争はインドシナ戦争とよばれ、ベトミンをソ連・中国が、フランスをアメリカが支援する形でインドシナ戦争は東西冷戦の代理戦争となった。
1954年にスイスで結ばれたジュネーブ協定の結果、戦争は休戦となり、ベトナムは北緯17度線を境に南北に分断された。丁度1953年に休戦して南北に分断した朝鮮戦争とまったく同じ構図である。

ベトナムは選挙を実施して南北を統一する予定だったが、ベトナムの共産主義化を恐れたアメリカが南部に傀儡政権となったゴ=ディン=ジェム政権を樹立した。しかし、ゴ=ディン=ジェムは独裁政権となり、クーデターが相次ぎ、腐敗した政権に反対する人々が「南べトナム解放民族戦線(ベトコン)」を結成し、反政府のゲリラ活動が活発化していった。
アメリカは南ベトナムに18万人を超える軍を派遣し、南ベトナムはアメリカ軍と解放戦線との内戦状態となった。

アメリカは北ベトナムが解放戦線を支援していると断定し、北ベトナムを爆撃する「北爆」を開始した。1964年に行われた最初の北爆は、トンキン湾を巡視中のアメリカの駆逐艦が北ベトナムの魚雷艇の攻撃を受けたことへの報復攻撃だと発表された(トンキン湾事件)。これが後に泥沼の戦争となるベトナム戦争の始まりである。
しかし、4年後に大統領と対立した国務大臣マクナマラはトンキン湾事件がアメリカ側の捏造であることを暴露。ベトナム戦争におけるアメリカ側の正義が大きく揺らいでいくことになった。

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