離婚したいけど

義母とあたしは、全く違う人種だった

人のことを干渉し、言葉遣いが乱暴、外でお義父さんの悪口を言う…どれを取っても共感できるものは何一つなかった。

他人と家族になるという事は、本当に難しい事だと思う。

旦那との仲は、子供が小学生の時から覚めていた…いつも自分勝手な夜の生活が苦痛でしかなかった。拒み続けると男は怒る。そして「じゃ外でしてきてもいいんだな!」と…どーぞご自由に。夜の生活がパートナーとの絆を深める…なんて思ったこと一度もないし、そう思わせてくれるような事も一度も無かった。ただの自分が満足すればそれでよかったんだろう

それでも子供達は、なんとかまともに育った。反抗期もなく、喧嘩をした事も一度もなく、お互いを尊重し合う姉弟。自慢の子供達。この2人がいなかったら今のあたしはない

娘が高1、息子が小6の時、旦那の携帯から電話が来て出ると、会社の人だった。旦那が仕事中倒れて救急車で運ばれたと…

すぐ子供達と車で運ばれた病院へ行った。病院には、社長の奥さんと、もう1人会社の人がいた。奥さんはすぐあたしに寄り添ってくれた。そして「多分脳梗塞だと思う。この歳で色々見てきたけど…だからすぐ救急車を呼んだの」と…まさか!?と思った。旦那は痩せてて持病もなかったから

しばらくして処置室に呼ばれた。ストレッチャーに横たわる旦那と、主治医や看護師さんがわんさかいた

「脳梗塞です。発症して2時間なので、有効な新しい治療ができます。でも稀に血管が切れて脳出血するリスクもありますが、どうされますか?」と決断を迫られる…

家族4人泣いた。本人は左半身の麻痺だけで意識がしっかりしていたから声を出して泣き出した…それを見てまたみんな泣いた

治療は本人の希望に任せようと思い、確認すると、受けると。点滴の治療みたいだったから外科的手術は無かった。その投与が終わるまで待った。処置が終わり呼ばれ、集中治療室の中に入る。そして主治医から説明を受ける。脳梗塞が即、死に繋がるイメージがなかったから、先生に「死にませんよね?」と聞いたら「いや、わかりません。今晩が山です」と言われた。帰り道、よく運転して帰ってきたなぁと思う

それから毎日片道1時間半かけて、病院へ通った。日に日に回復し、一般病棟へ移りリハビリも開始した。後遺症は左半身の麻痺だけだったから、約1ヶ月で退院した。稀に見る回復だったらしい。