創作『かざぐるま』[第5話]

[第5話]D

D:24歳 女性 大学院1年生
 心理学科卒 元浪人生
 
 X年10月の日曜日の夕方。私は駅前のパン屋で、Cちゃんとおしゃべりをしていた。ここはコーヒーが美味しくて、私1人でもたびたび訪れる店だ。私がこの土地に来て半年。最初は不安だったけれど、今では話ができる友人もできて、院生活にも慣れてきた。そして今日は、Cちゃんと初めてカラオケに行くことができた。彼女とは以前から親睦を深めたいと思っていたがなかなか予定が合わず、今日はようやく取れた予定なのだ。大人しいイメージだがCちゃんは歌がとても上手で、私はその声だけでなく卓越した表現力に魅了されてしまった。これまでたくさんの人とカラオケに行ったけれど、こんなに素敵な歌い手には出会ったことがないと思った。それに刺激を受け、私も張り切って十八番から練習中の曲まで歌える曲は入れ尽くし、すっかり歌い疲れた私たちは、このパン屋で一休みしてから帰ることにしたのだった。
 2人でたわいもない話をしていると急に雨が降ってきて、窓の外を見ると重苦しい雲が現れていた。こういうどんよりとした天気になると、元カノが出て行った日のことを今でも思い出して嫌な気分になってしまう。向かいに座ったCちゃんはコーヒーカップから口を離し、「どうしたの?」と聞いてくる。「ううん、なんでもない」と前髪を払って私は答える。

 2年前の10月。学部4年だった私は院試受験の真っ最中で、メンタルも不安定というか、いろいろと切羽詰まっていた。その頃私には別の大学に通う彼女がいて―ああそう、私はレズビアンなんだけど―、その年下の彼女と2年付き合っていた。だけどある日私がバイトに行っている間、彼女は「さよなら。好きな人ができた」というメモを残して出て行ってしまったのだ。そのとき雨が降っていて、落ちてきそうなほど暗く大きな雲があった。もともとアクティブな子ではあったけど、私と付き合うことで落ち着いていると思っていた。でもそれは違って、後から他の人に聞いたら陰で遊んでいたらしい。それでも彼女との日々は楽しいものだったし、私は幸せだった。彼女も私のことを愛してくれた。これは嘘ではない。だから彼女が目の前から消えたとき、何が起こったのか私にはまるで理解ができなかった。一晩考え、もう一晩考えても私の頭は現実を受け入れるのを拒否した。
 その後時間が経っても状況は変わらなかった。連絡手段はすべて使えなかった。彼女の友人に聞くのは気が引けたからやめた。彼女の住んでいたアパートは空き家になっていた。もう無理だと思った。誰にも相談できなくて、彼女が嫌がるから太らないようにと、ずっと我慢していた食べ物を買い込んで、笑い声のしなくなったアパートで泣きながらやけ食いした。ほとんど飲まなかったお酒も飲むようになった。
 そんな状況だから、第一志望の院は落ちた。第二も第三も全滅で、進路も決まらず卒業した。それからバイトをしながら、浪人生活を送った。昼間は勉強、夜は居酒屋のバイト。その繰り返し。周囲には似たような境遇の人なんていなかったから、文字通り孤独との闘いだった。
 でも幸い浪人生活は延長もなく、2回目の受験はうまくいった。大学のあったところからは遠いところに来てしまったけれど、新天地で新たな人生を送るのも悪くない。

「ありがとう。」「また行こうね。」
 車でCちゃんをアパートの前まで送ってから、私は帰り道を走行していた。とても爽やかな気分で、自然な笑顔ができるようになっていることに気づいた。さっきのが嘘みたいに、雨はすっかり止んでいた。ミックスリストで元カノが好きだったアーティストの曲が流れてきても、一瞬もやっとしただけで終わった。赤信号で私の十八番に切り替えて、歌い出しを待った。私の車はファミレス近くの道路に止まっていた。
 そのとき何気なくファミレスの方を見たら、丁度、同期の春稀くんが同年代くらいの女の子と楽しげな様子で出てきた。私は一瞬目を疑ってしまった。念のためもう一度そっと見たら、本人だった。…いや、別に誰が誰と会ってようと自由だし、私には何の関係もないことだけど。そうだ、昔の女友達とかそういうのかもしれないじゃん。うん、関係ない。私は何にも見ていない。部外者は早く帰ろう。そう思って、青信号の交差点を思い切りすっ飛ばした。
 …あー彼女ほしい。気づいたらそう、口に出していた。