創作『かざぐるま』[第4話]

[第4話]颯太

作者注)本話は性的な表現を含みますので、ご注意お願いします。

颯太:23歳 男性 大学院1年生
 心理学科卒 春稀の恋人
 
 X年9月。時計を見ると、もう午前11時を過ぎている。俺は自宅のベッドから出られずに、無駄な時間を過ごしていた。頭も身体も動かなくて、何をするにも億劫になってしまっている。そうなると、おかしいくらいにどうすることもできない。ただ、無機質な時計の音を響かせる部屋の一部になるしかない。
 ふと、布団の中で腹を一発殴られて、おぅ、と腑抜けな声を出した。同じベッドに寝ていたはずの春稀はいなくなってしまったようだ。こういうことはよくあるので驚かない。これは彼と生活する中で起こり得る出来事の一つに過ぎない。
「昨日も好き勝手犯しやがってクソ野郎」
 布団の中から姿を現した彼は春稀の眼をしていない。鋭い目つきの彼は俺に馬乗りになって、俺の腹を殴り続けている。
「はいはい、ごめんなさい」
 俺は抵抗せず言い訳もせずに、彼が落ち着くのを待った。発作的なものだから、ちょっとの間辛抱すればいい。それに俺の身体はそんなに弱くない。一応、鍛えてはいるからね。彼の方だって手加減しているのは分かる。だから危険な状態ではない。大事なのは、とにかく待つことだ。
「…今日は先生のところに行く日なんだけど。春稀さんを起こしてくれる?」

 しばらくして彼は何も言わずにベッドから降りて、全裸で風呂場へ行ってしまった。俺もようやく布団から出て、彼がシャワーを終えるのを待った。「彼」が出ているときは一緒に風呂場に行くと嫌がって暴れるから、俺はいつも別のことをして時間をつぶしている。今日は午後に春稀の心療内科の受診がある。駅前のビルの中にある心療内科まで、俺もついて行く。特に準備は必要ないが念のためバッグの中身を確認し、今日着ていく服を適当に選んでベッドの上に投げた。
 風呂場から出てきたとき、彼は「春稀」になっていた。待たせてごめんね、と春稀は申し訳なさそうに言った。うん、大丈夫。午後は、と俺が言いかけると、
「先生のところだよね。」
 と彼はいつもの無垢な笑顔を見せた。
「ユキ、変なことしてなかった?」
 ユキというのはさっき俺を殴っていたやつで、春稀の交代人格だ。
「うん、また殴られた。けど痛くない、大丈夫だ」
 俺がそう答えると春稀は決まって謝ってくる。そして呼吸するみたいに自然なキスを1回する。

 春稀は高校の同級生だ。1年のとき席が近くて、少しずつ話すようになって、休みの日にも遊びに行く仲になった。志望大学と学科が同じだったのもあって、一緒に勉強も頑張った。いつ頃からかは分からないけど、同じ時間を過ごすうちにお互いを意識するようになっていた。俺は男が好きだが、春稀は全性愛者で、俺のことを好きだと言った。でも受験が終わるまではそれに集中しようと思っていたから、特に進展はなかった。その後受験が終わって余裕が出てきた俺は春稀とのことをいろいろ考えた。それで卒業式の夜に俺が春稀に告白して、交際を始めた。俺と春稀の関係は、みんなには隠していない。隠していたら逆にやりにくいと思うからだ。大学1・2年のときは2人とも学生寮だったが、3年になって一緒に住み始めた。大学院に入った今でも、彼との生活は続いている。
 彼のいわゆる病気のことは、高校のときから知っている。学校にいるときはユキはほとんど姿を現さないが、春稀と過ごす時間が長くなり、彼のことを知っていくうちに、ユキは俺の前に出てくるようになった。あの通り今でも俺のことは好きじゃないけど、俺はユキも春稀の一部だと思って接しているつもりだ。なかなか難しい子で、悪いことばかり言ってくるけれど、俺はもう慣れてしまった。

 朝ご飯も兼ねた昼ご飯を食べていると、向かいに座った春稀が話してきた。
「そうちゃんは今年も実家、帰らないんだっけ」
「うん」
 今は学生は夏休み期間だ。そして俺たちにとって今夏は事実上、最後の夏休みになる。来年、つまり大学院2年の夏休みは実習で多忙を極めるから、1年生は遊んだほうがいいよ、と先輩に言われていたのだ。だが俺は実家に帰っても居心地が悪い。母親のことは好きじゃないし、父親は単身赴任で平日はいない。それに夫婦仲の冷めた両親を相手にするのは気が引ける。だから大学に入ってから実家に帰ったのは数える程度だ。それにしても日が経つのは早いもので、気づけばカレンダーは9月になっていた。あとひと月、いかに充実させるべきか。
「じゃあ、どっか行く?」
「どこに」
「うーん…、分かんないけど。人がいるとこは嫌だなぁ」
「同じく」
「じゃ、そうちゃんと僕で楽しく暮らそう!」
 春稀が笑う。俺は春稀をかわいいと思う。
「あ、でも今度の土曜、映画観に行きたい」
 今度の土曜は、バイト―春稀にはそう言ってある―があるから難しいな。彼は「そうか、」とだけ言って味噌汁を飲み干し、「ごちそうさま」をして席を立った。
 バイト、というのは……嘘だ。自分でも本当にどうしようもないことだと思っているが、実は俺には春稀以外に関係を持っている人がいる。その人との付き合いは長くて、俺の相談相手でもあり、春稀とのことが上手くいったのもその人に相談していたからだ。だから今の俺があるのはその人のおかげと言っても過言ではない。いつかは関係を断とうと思っているのだが、ずるずると続いてしまっていて腐れ縁どころではない。それと俺の体質にも問題があって、俺は周期的に男に抱かれたい欲求が出てきてしまうのだ。これは自分でもどうにもできない。なんとか春稀には隠しているのだが、多分彼は気づいている。それもあって彼の症状は悪化しているのだと思う。俺は、最低な人間だ。