創作『かざぐるま』[第1話]

まえがき

こんにちは。作者です。
pixivに投稿していた一次創作小説が一応の形で完結してから、一年近く経ってしまいました。
完結したらnoteにも載せたいとずっと思っていたので、この度こちらにも投稿いたします。
この半年、転職などでバタバタしていたのですが、落ち着いたらまた小説の方も書こうかなと思っています。趣味の時間を楽しみたいこの頃です。

あらすじ

<2人の大学院生をめぐる、喪失と修復のモラトリアムドラマ>

某大学院臨床心理学専攻に通う、颯太と春稀をめぐるお話です。
物静かでクールな颯太と、愛嬌のある笑顔が印象的な春稀は恋人同士。
いつも一緒にいて、一見円満そうに見える2人ですが、実はお互いに秘密を抱えていて…。

男性同士の関係性を描いた作品ではありますが、メイン2人の視点だけでなくクラスメートのA・B・C・Dなどの様々な視点から物語が進み、ヒューマンドラマ色が強めになっています。

本作品はフィクションであり、実在の人物等とは一切関係ありません。一部、性表現及び性暴力表現を含みますのでご注意お願いします。

[第1話]A

 A:22歳 女性 大学院1年生
 心理学科卒 優等生
 
 X年5月、放課後の院生室。私は自分の席に座って、パソコンと講義資料と交互ににらめっこしながら、重めのレポート課題に取り組んでいた。ずっとパソコン画面を見続けて目も疲れてきた頃、ふと遠くの壁に掛かっている時計の方に目線を移すと、7時を過ぎていた。ああ…、お腹空いた。夕飯どうしよう。作るのもめんどくさいし、またコンビニおにぎりかな。それにしても、課題が全然終わらない。私は今まで何をしていたんだろう。時間を費やした割には昨日からちっとも進んでいないことに気づいて、溜め息が出る。

 丁度そのとき、「お疲れさまで~す」と緩いトーンの声が聞こえた。院生室のドアの方を見ると、小さめのリュックサックを背負った春稀が愛想よく手を振っている。すると、まだ院生室に残っていた学生たちがそれぞれ、「お疲れー」と覇気のない声をかけた。そして春稀のすぐ後ろには、軽く会釈をしながら颯太が続き、2人は静かに院生室から出て行った。バタン、と扉が閉まる音が残る。
「仲良いなー」
 左隣の席のBちゃんが、他人事のような感情のこもらない声でつぶやく。先ほどまでノートパソコンのWordを開いて課題をしていたはずなのに、いつの間にかイヤホンをしながらYouTubeを観ていた。
「…ねえ、ずっと気になってたんだけど、あの2人って、いつから付き合ってるの?」
 右隣の席のCちゃんが、声のボリュームを落として聞いてくる。Cちゃんは別の大学から来たので、うちの大学の事情がまだ分かっていない。ましてや学部からの持ち上がり組の恋愛事情など、知る由もない。
「うーん、私もそこまで詳しく知らないんだけど…、学部の1年の頃には、もう既に付き合ってたかな。」
「えー、ほんと? すごい続いてるじゃん!」
 すごーい、とCちゃんは手を合わせてうっとりしている。ちなみに言い忘れていたが、先に述べた不真面目なBちゃんも、この純真な乙女のようなCちゃんも、腐女子である。
 キュンキュンしているCちゃんをよそにBちゃんのパソコン画面を見ると、今度発売されるBLCDの試聴動画が再生されていた。
「ねえ、ダメでしょ、ここでそんなの聞いてちゃ」
 Bちゃんの肩を軽く叩くと、Bちゃんは「音漏れてないからいいじゃん」という目を向ける。私は呆れて、何も言えなくなる。
「ねえ、そういえばAちゃんは…その、恋人とか、いるの?」
 Cちゃんがまた話しかけてくる。Cちゃんも課題を諦めたようで、パソコンの画面をパタンと閉じた。「彼氏」じゃなくて「恋人」という聞き方はニュートラルでいいな、と感じた。良い意味でも、違う意味でも。 

「…うーん、今は、いないかな」
 私は過去を思い返し言葉を選びながら、事実を伝えた。たぶん「彼氏」と聞かれたらきっと、何か刺さるものがあっただろう。「恋人」と聞かれていまいちピンとこなかったというか、私にもそういう人がいたという事実を思い起こすことに、時間がかかったというか。…実際、私には学部時代に「彼氏」がいたのは間違いない。だが、その男性とは恋人らしいこともほとんどせずに、卒業を境に自然消滅してしまった。私はそのまま大学院に行くことが決まっていて、彼は県外に就職することになっていた。思い返せば私たちはもともと、お互いがそこまで本気だったわけではないというか、ただなんとなく「彼氏」・「彼女」の関係を続けていただけだった。一方で周囲の人間は、彼と私のことを恋愛関係にあるとみなしていた。でも実際のところは、私はそこまで彼に愛情を感じていたわけではないし、彼も恋愛に対して多くのエネルギーを割きたいわけではなかった。彼も私も割とドライな方だったので、たまに会って、ご飯を食べながら話をして、夜になったら別れて、数日経ったらまた会って、を繰り返すだけで十分だった。
 誰も、誰かのことを深く知らない。結局私は彼のことを知らないままで、終わった。彼の一番好きなものも、私は知らない。彼の過去や、友人、家族のことも…、知らないことだらけだ。そんな私と彼のことも、周囲の人間はよく知りもしないで、お似合いだとか理想のカップルだとか勝手なことばかり言った。みんな不確かな、断片的な情報だけで人を判断し、理解した気になるのだ。

「あの2人も、仲良さそうに見えて実は…、なんてね。」
 気づいたらそんなことを口走っていて、私は慌てて口を押さえた。
「おい、非リアだからって恨み言は醜いぞー」
 イヤホンを外したBちゃんが横から言う。いつの間にか話を聞いていたらしい。
「恨み言じゃないし」
 すかさず私は言い返すが、
「なぁ、飯食い行こーぜ」
 と、Bちゃんは聞いていない。
「まだ3人で行ったことねえよな。」
 確かに、と私はうなずく。Cちゃんは「いいの?」と子どもみたいに嬉しそうな目をしている。
「そんで、どこ行くのよ?」
「は? 学食でいいだろ」
 そう言ってBちゃんは大きなバッグを担いで立ち上がり、先に行ってしまう。
「ごめんね。Bちゃんて、ああいう人だけど、悪い子じゃないの。」
 私はそうCちゃんに言うと、Cちゃんは「面白い人だね」と無邪気に笑った。そして私とCちゃんも院生室を後にして、Bちゃんを追った。この日が、私たち3人の初ご飯になった。